2015年07月08日

身に余る仕事

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最近、魅かれている言葉。


  Always take a job that is too big for you.

  常に身に余る仕事を引き受ける


Harry Emerson Fosdick というアメリカの神学者の言葉なんですが、
いいなあと思って。
ちょっと禅の世界観にも通じるような。

禅は、楽(らく)のきわみの極楽を目指す道ですけど。
大変な仕事であるほど楽しめば、それまで得られなかった境地がひらけるよ、
という感じの、ね。

うわこれは大変だあ、と思うような仕事なら、
それはもうひたぶるに、目の前のひとつひとつに集中して、丹念に、
クリアしていく。

タスクは大きいほど世界は開かれていくわけで、
そりゃあもちろん、とてつもない努力も必要なのですが、
でも、努力できるしあわせを噛みしめる、というかね。

それを喜びにできるかどうかは自分しだいですものねえ。

やるって決めたからやるんだよ、という感じで、
外野のことも耳に入らず、評価も気にせず、
自分の納得を求めて行動しているひとは、見ていてもうつくしいなあと思います。

常に身に余る仕事を、する、んじゃなくて「引き受ける」ってところが、
ポイントなのだな。
「引き受ける」には意思があるじゃないですか、それがかっこいい。

たいへんですけどね、実際、常にそんなことをしていたら、
でも、ヒトカドになった人は、みんなそんな感じだなあって思うので。
たぶん、努力とかそんなレベルでも、もうなくなってくるんでしょうね、
自分の納得の前には。

うん、たぶんね、というかきっとね、
暮らしの中で引き受けるということをやっていると、自然に、
舞台を引き受けるという気構えもできるんですよね。

自分のシーンは自分が引き受ける。
お客さんは自分が引き受ける。
自分が舞台を背負う。

そういう気構えがある役者とない役者では、
客席にとどくものはまるで違ってくる。

…この自分「が」っていうのは、「我」ってことだから、
あたしがあたしがっていう女は大変みっともない、
なんてことを学生のときに言ってた教授がいましたけど、
でも、この場合の「が」は、なかなかいいんでない?と思います。

ケツを持つっていうのは、それだけで尊いですもん。
こういう「自分が」は別次元だな。
引き受けるって、そういえばたいがい身に余ることだったりしませんかね。(笑)

常に、身に余る仕事を引き受ける。

うん。
そう思うと、こころに鎮めができる。

なんか、自分を生きる、って感じがします。

オススメです。(^_-)-☆