2015年10月14日

ブロック3:読み解きノート

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【貨客船の暮らし】
■荒くれた男たちの中で女は6人、外界との隔絶状態で何ヶ月も寝食を共にする。
船の裏方は、船長やチーフメイト(一等航海士)といった管理側の制服組と、火夫
やコック、給仕、荷揚げ人足などの労働組に分かれていたと思われる。
いわゆる女中に相当する6人の女たちは労働組。

■過酷な船底の労働者の日常は、勢い猥雑で奔放なものになる。
直前まで英国人の家庭で上品に暮らしていたるいにはまったく馴染めない世界。
一方で乗船のキッカケを与えてくれた制服組とは、職域も階層も違いすぎて個人的
に親密になれるような踏み込んだ機会は得られない。
マルセイユ行きの船を降りた時点までは客、再び乗船した時には従業員になってい
たのだから。
るいはどっちつかずの孤独な存在だった。

■周囲の色に染まらないるいは、意志が強いとも融通が利かないとも言える。
この不器用さ、かたくなさは処女性のあらわれ。
12年もイギリスの少女と暮らしてきたるいの心持ちは、30を越えても乙女のまま。
このおぼこ娘ぶりは生涯に渡るるいのパーソナリティになっている。


【るいの相克】
■女たちのふしだらさを嫌悪しながら、うらやみ妬ましく思う矛盾に苦しんでいる。
一生男に触れない高潔さを誇りつつ、女ざかりをむざむざ枯らす自分を惜しむ。

「十六,七から二十頃までの憧れにも似ながら、もっと差し迫った刺々しい気分」
「よし、そんなら、という気になっても〜男の前に出るとかしこまってしまう」
恋人を求めながら叶えられないフラストレーションをどうにも解消できないるい。

「正直な鏡ってものもございます〜世の中で自分が一番醜いとは思いたくない」
るいは鏡を見るたびに自分の醜さを思い知らされている。

※この狂おしい葛藤には、文字で読む以上に激しく切迫した運命的な悲惨がある。
これをリアルに理解して演じられるかで、この物語のスケールが決まる。

※一方で園子の聞き方、リアクションも物語に深みを与える大きなポイント。
園子役は、ここでは徹底した「受けの芝居」によって役の魅力を出していく。

■16ページの3行目から10行目までのるいの台詞には大きな意味がある。
「。」が付くまで実に8行を要している、作家はこの切れ間ない台詞にもっとも
大きなエネルギーを与えているということ。
「あんたに誰もそんなことをしないのは、あんたが…と言いかけてくすくす笑う
だろう」
台詞の終わりに来るこの言葉がるいの抑圧のすべてを表している。
膨大なるいの語りの中でもっとも印象に残さなければならない箇所のひとつ。

※「あんたが…」この「…」が大事。
ハッとさせる鋭さを込めることによって、物語はスリリングな急展開を始める。
この瞬間が芝居に観客を引き込んでいくターニングポイント。


【受講生たちの深まる解釈】
■「よし、そんなら、という気に幾度なったか、しかしそれ以上の工夫がつかない」
受講生より、るいは役割としての自分しか知らない人、という分析が出る。
職業人である以前の、女・人としての自分に出会ったことがない危うい状態。

■「自分はもともと清浄無垢な人間という嬉しい得意な気持ち」
 「一生男の肌に触れないでいることがどんなに仕合わせなことか」
英国人家庭で勤めるあいだにキリスト教にも触れたはず。
るいは男を知らない自分とマリア様を重ねる気持ちもあったのでは。
そう思って演じたほうが、後の‘男’とのアクシデントがよりショッキングになる。

秀逸な分析がよく出るようになる。
解釈のコツがつかめてきたようだ。


【解釈の男女差】
レイプに関する若い男性受講者の分析に女性陣驚愕、目からウロコが落ちる。

■女性陣の解釈は‘男’にとってもるいが初めての女だったというもの。
だからるいの名前を覚えており、20年ぶりの再会でも認識できた。

対してその彼より、‘男’の落ち着きぶりが指摘される。
るいが‘男’の顔をハッキリ記憶できなかったことに‘男’の冷静さを感じる。
初体験ならもっと動じる、慎重に顔を見せずにスッとその場を離れるなど不可能。
計算できる余力を持っていたところに女慣れを感じる。

■‘男’はなぜるいに乱暴を働いたか。
火夫という過酷な労働も英語の独学も先の見えない閉塞感を伴う苛立たしいもの。
そんな時に目にしたるいの、海風に吹かれ星を仰ぐ姿はあまりにも自由。
そこに「こんちくしょう」と思うのだという。
その怒りが性衝動に転化する流れは男ならよく分かるという意見。

情けなさや負けん気・プライドが怒りになる、という男性の行動原理は驚きの初耳。
非常に説得力があり、いまひとつ曖昧だった‘男’の人物像がくっきりしてくる。
‘男’がどれだけ本気で将来を切り開こうとしていたかがよく実感され、克己心の強い
真面目な性格なら‘男’にとっても忘れがたい「事件」であったと容易に想像できる。

初めての女という解釈以上の‘男’の心のドラマへの理解が、教室に広がる。

■不縹緻(ぶきりょう)という言葉には別の意味があるという。
なぜこの字を当てているのか分からなければ‘男’の行動心理が理解できない。
不器量の意味はブスだが、それでは押し倒す気になれないらしい(彼は・笑)。
これには何か意味があると踏み、読みが分からず漢字の部首から調べたらしい。
(解:縹=はなだ/緻=“せいち”と打つと出てくる・精緻)

結果、不縹緻には「地味で控えめ」という意味を発見。
ネクラな女の伸び伸びとあでやかな一面を見たら急にそんな気になるのは分かる、
と聞いて一同納得。

この探究心には脱帽した。
「ぶきりょう」という音を聞いただけで年嵩の人間(私)はそれ以上調べなかった。
るいが不美人なのは確かだが‘男’の気をそそるぐらいのものはあったのだ。
るいの親は、娘の容姿より人づきあいの下手な頑固さを見極めたのかもしれない。

この物語は、ひょっとすると鈍臭い女の成長物語としても成り立つのでは?
今のるいは、落ち着いた笑みを絶やさない客あしらいの上手い女なのだから。

彼女はどこからこんなに変化したのだろう?


【るいの思いの反転】
■自分をレイプした男を愛しく思えるようになるものかがこの話の解釈のかなめ。
男性作家が書いた幻想、女の生理を無視した物語という意見もあり。
一方で、求め続けた願いを意図せぬ形ではあったが叶えてくれたのが‘男’であり、
生涯ただ一人の相手ならなおさら、美化も含め愛の対象になるのはあり得ること、
という意見もある。

1つ言えるのは、るいはレイプとは思っていなかったということ。
「ちょっと待って…あたしをどうする気なのさ…ねえ待って頂戴…もう一度、顔を
…あんたの…それじゃ名前を聞かして…名前だけ」

「あたしをどうする気」は、先々恋人づきあいが始まるものだと思っている言葉。
あたしどうなる気、に置き換えて考えると分かりやすい。

ところが‘男’は、一度歩みを止めながら無言で立ち去ろうとする。
それを見てるいは自分の望みが叶わないことを察し、その背中に投げかける。
「もう一度、顔を…あんたの…」
これは、それならせめて顔を見せてという願い。

しかし‘男’は頑として振り向かず歩いて行ってしまう。
「それじゃ、名前を聞かして…名前だけ」
るいの望みはどんどんグレードダウンしている。

そう、るいは懇願しているのだ。
被害者と思っていたら、この一連のセリフはもっと責め立てわめく内容になる。

るいには、ついにその時(幸せな未来)が来たという想いがあったのだろう。
それが容れられないと解かった後になってから、ただ自由にされただけという
無念さ情けなさが湧いてきた、というのがるいの心理の順番。

このセリフのあと、るいは泣き崩れる。
なぜ泣いたのだろう?
園子がもらい泣きするほど激しく揺さぶられた感情とはどういったものだったか?

実際その場で泣きながらこのセリフを言ったとは思えない、‘男’を引き止めるのに
必死でそんな余裕はなかった。
過去に涙する行為は、自分を眺めるある種の俯瞰、距離感があって起こるものだ。
ただの無念や情けなさだけではないものが、ここには動いている。

るいは‘男’に惚れてしまった。
「若いたくましい顔でございました」このセリフには嫌悪感が感じられない。
自分を選んでくれたという意識もあったろう、その充足が愛情にすり替わったと
しても不思議はない、まして初体験の相手なのだ。

受け入れがたい暴力だったら一刻も早く忘れようとするのが普通。
冗談にも「わたくしのロマンス」などという表現はできないだろう。
生きる支えにするほど思い続けているのは、‘男’への情が生まれてしまったから。

■るいの現在の落ち着きはどこから来ているか、彼女はいつから変わったのか。
必死で捜し求めた‘男’はついにみつからず、もう会えない絶望と取り残された自己
嫌悪と「どこかには生きている」という未練が、激しく交互に繰り返される。
どん底の心理体験は、一方で人を波のように洗っていくものでもある。

時代的には翌年に第一次世界大戦が勃発、欧州航路は南米航路に変更されている。
るいの海上暮らしもさらに命がけの様相を濃くし、緊張の数年だっただろう。
恋の苦しみや度を越えた労働は、人に達観をもたらし人格変容の契機を与える。

そのうえで、現在のるいはあれを尊い思い出と言える心境になっている。
‘男’との出来事がなければ、るいはどんな女になっていただろう?


【なぜ『顔』なのか】
■顔がないと思い出が完成されないという意見が受講生から出る。
だからいつまでも顔を追ってしまうのだと。
20年前に愛した男の顔を、女はつぶさに思い浮かべられるものだろうか。
そのとき一度しか会わなかった相手の顔は、どのぐらい擦り切れているものか。

‘男’はるいを認識していたが、るいは「初めて見た顔だった」と言っている。
生涯最大の事件の相手の顔は何があっても忘れないということもあり得る。
たとえば犯罪者の似顔絵を作ることが可能なように。

るいが一番知りたいのは、あの時‘男’は自分に気持ちがあったのかということだ。
実際、園子にそう尋ねてもいる。
客観的には到底そうとは思えないから園子は口を濁して話を打ち切るのだが。

岸田國士はなぜこのタイトルを、たとえば『波』にしなかったのだろう。
『波』は広くいつまでも繰り返す、たゆたっては寄せ、また引いていくうねり。
『顔』は一点凝縮された、たった一つのものだ。

では、『記憶』にしなかったのは?
『記憶』ではなく『顔』。

これはやはり秀逸なタイトルだ。
感覚的なもので説明できないが、そのもやもやと奇妙な説明し難さはそのまま、
るいのもどかしさ、漂泊感にオーバーラップしてもいくのだ。



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ブロック3は、やはり深くて面白い解釈がいっぱい出てきましたね。
密度が濃すぎて、このまとめもずいぶん長くなってしまいました。
疲れた(笑)

俳優というものは自分の心の動きに敏感でなければならず、またそれを覚え続け、
いつでも自在に取り出せる能力がいるのだということを、再認識した回でした。

そして、今回は解釈の男女差の発見が白眉でした。
今まで知りえなかった異性のリアルと向き合えるというのは、こういう場ならでは。
スリリングな興奮に満ちた謎解きの数々は、魔法のように鮮やかでしたね。

2週間のお休みでリフレッシュはできましたか?

今週はいよいよ最後のブロックに入ります。
ここはまた物語がもっとも動く場であり、それぞれがくっきり浮かび上がってくる
ダイナミックな終幕ですからね、5人の人生の在りようを思いきり楽しみましょう。

では、週末に、元気にお目にかかりましょうネ。






posted by RYOKO at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 『顔』を読む! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする