2016年01月29日

『ロミオとジュリエット』〜謎ときの旅のはじまり

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『ロミオとジュリエット』 の講座が始まっています。
こちらのクラスはまた、『芝浜』とは違う独特の快感があるんですよね〜。

文学的アプローチから未知を解き明かしていく集中には、
なにか心を浄化してくれる作用があると、いつも感じます。

楽しさもひたひたと忍び寄ってくる肌ざわりで、気づけば軽い興奮状態になっていて、
もっともっと知りたい!という思いが、新鮮なオレンジを噛むようにあふれだすのです。

体験受講でいらした方も継続になってくださいました。
昨日まで知らなかった人と一緒に新しい扉を開けていく…思えば極上の出来事ですよね。
この熱い歓びもまた、教室を開いてみて初めて知ったことのひとつです。

さて、『ロミオとジュリエット』 です。
訳者によっては文庫本で240ページに至る長尺、教室では一幕から順に追いかけます。

な、長すぎるので、しかも内容がまた濃すぎるので、最後まで行き着けなかったら、
まあ夏からの教室に持ち越しでもいいやと、腹を括ることにしました。(笑)
実際、大急ぎでやるにはもったいなさすぎる名作ですからね。


【プロローグを置いたワケ】

このホンには、プロローグがある。
芝居の始まりと共に、序詞役(じょしやく)というキャストが出てきて前口上を語るのだが、
この内容がビックリすぎる。

物語の始めに、結末をネタばらししてしまうのだ。

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普通、物語というものはラストシーンを隠すものだ、
そこにこそ、時間をかけてその世界とつきあった醍醐味があるのだから。
シェイクスピアは何故こんな構成にしたのだろう。

彼のほかの作品に、オープニングで結末まで開示しているものは無い。
まして上演時間にまで言及しているのはこの作品だけ。

もしもこのプロローグが無かったら、観客は若い男女の純粋な恋心に酔いしれたまま、
二人が自殺してしまうという悲嘆のどん底に突き落とされることになる。
ショックが物凄いだけに、ほかには何も思い至れなくなる。

シェイクスピアは、それを嫌った。
彼が観客に提示したかったものはもっと深い、運命への俯瞰といったものなのだ。

序詞役は 「二時間」 と言っているが、実際の上演時間は3時間以上になる。
「二時間」 は記号なのだ。
恋の始まりから悲劇的結末までほんのちょいの間で突っ走る、という誘導がなされている。

ロミオとジュリエットが出会うのは、芝居が始まってほぼ30分後。
二時間と聞いた観客は、
やっと出会った二人が、残りわずか1時間半で心中するのだと思うことになる。
観客の無意識には、この二人には時間がないという切迫が擦り込まれる。

その切迫感はそのまま、若い二人の恋情の激しさとリンクしていく。
それはまた、運命というものの厳しさを身に沁みさせる一因ともなる仕掛け。

つまりは、観客の興味は、何が起きてなぜ死ぬことになるのか、その一点に絞られる。

死ぬことが分かっているのだから、「なぜ」 ということが最重要になるのだ。
その 「なぜ」 こそが、シェイクスピアが見せたかったものということになる。

なぜそんなことになったのでしょう?

それはこれから、一人一人の解釈によって導き出される。
「あなたの答え」 を探していただくのが、このクラスを開いた意義なわけです。


【劇場構造がもたらす芝居運び】

上では一幕と書いたが、実はシェイクスピアの原本には 「幕場」 が書かれていない。
一幕一場のような区切りは後世になって便宜上加えられたもの。

これは、当時の劇場の構造によるところが大きい。

シェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を初演した小屋(劇場)はグローブ座ではないが、
構造はだいたい似たような作りで、舞台センター奥にカーテンで仕切られた開口部、
左右に役者の出入り口 (この図では赤い柱の蔭になっている部分) というのが基本。

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たとえばジュリエットが仮死の薬を飲む場面などは、センター奥を自室としておこなわれ、
ジュリエットが倒れてカーテンが閉まるか閉まらないうちに、
上下(かみしも・舞台の左右)の出ハケ口から役者がセリフを撒きながら登場、
舞台は一転、大広間ということになり、即座に次のシーンが始まるという、
スピーディーな展開で芝居が進んでいた。

ちなみに、この二階部分を有名なバルコニーのシーンに利用した。
というかこの構造だったからあのシーンを作ったのかもしれない。
グローブ座の場合は、本来は観客用の桟敷席。

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この古い図はちょうど 『ロミオとジュリエット』 を上演しているところに見える。

劇場は半野外で舞台は張り出しているため、天井はあったとしても雨風はしのげない。
セットの無い、いわゆる素舞台(すぶたい)の状態で、
物語は役者のセリフや動きでのみ進行する。

照明が無いため芝居は日中おこなわれる。
暗転が出来ないのだから、小道具や置き道具の出しハケも芝居なかで行われる。
(ゆえに自分の行動や物の動きを指示する説明ゼリフが多い)

現在のようにセットチェンジで別のシーンを作ることはなく、
いわんや緞帳など存在しないのだから、「幕」 という概念自体がなかった。
というか舞台セットという概念さえなかったと思われる。

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Shakespeare's Globe --London

芝居は始まったら最後、切れ間なくノンストップでラストシーンまで行く。

舞台の周囲は立ち見席で、かなりの高舞台(たかぶたい・舞台部分が高いということ)のため、
最前列の客は舞台に腕を置いて見られるほど。
観客は自由に場所を移動できるので、私語も多い開放的な状況だったと思われる。

役者もだが観客も、悪天候の上演時は大変。

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シェイクスピアの芝居はなぜあんなに早口でまくし立てるのかと思っていたが、
セリフの分量の問題以上に、役者の演技力だけを見せる芝居だからかもしれない。

この、セットのない素舞台で役者たちが早い長ゼリでパワーを放出する芝居というと、
おのずと思い出すのはつかこうへいだ。

日本のアングラ演劇の概念を塗り替えたあの若さあふれる舞台と同じものを、
エリザベス朝の人々は、シェイクスピアの芝居に見ていたのではなかろうか。
ものすごい熱狂で迎えられた気がする。


【モンタギュー家とキャピュレット家の諍いの理由】

『ロミオとジュリエット』 の初演は、だいたい1595年頃というのが定説。
16世紀末に書かれたこの芝居の舞台は、14世紀のイタリアの古都ヴェローナ。

ヴェローナはイタリア北部、アルプス南麓に位置する古来よりの交通の要衝。
イタリアからオーストリアに抜ける南北路と、
ジェノバ―ヴェネツィア間を結ぶ東西路が交差する地。

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物語より百年ほど前、ヴェローナはこの地政学的影響と相まって、
神聖ローマ皇帝の後押しを受け、周辺諸国を征服し盟主となるが、
ローマ教皇が神聖ローマ皇帝を破門したため戦争になる。

以来この地の支配層は皇帝派と教皇派に二分され、熾烈な争いをするようになった。
物語のベースは、この歴史的事実を踏んでいると言われる。

ロミオのモンタギュー家は皇帝派、ジュリエットのキャピュレット家は教皇派。
皇帝派は封建貴族や地主層が多く、教皇派は新興の大商人層が多かったとされる。

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【名前にこめられた意味】

『ロミオとジュリエット』 の登場人物の名前には、それぞれ意味が隠されている。
英語圏の観客はスペルを見てそれぞれのキャラクターをイメージできる。

大公
エスカラス

ESCALUS

実在のヴェローナ大公スカリジェリ(デッラ・スカラ)家より。
スカラーは英語で天秤の意。天秤は裁判所のマーク。

モンタギュー

MONTAGUE

Mount を想起させる。そびえ立つ旧家のイメージ。

キャピュレット

CAPULET

Capital を想起させる。資本家のイメージ。

ロミオ

ROMEO

イタリア語でローマへの巡礼の意。
巡礼は恋人への呼びかけ語でもある。

ジュリエット

JULIET

イタリア語名では女性名詞につきジュリエッタになる。
若々しい意味のJulia+可愛らしいを意味する愛称 etta。
July (聡明・明朗の意味有)と同じ語源、7月生まれ。

マキューシオ

MERCUTIO

Mercurius(メルクリウス=マーキュリー)を想起。
メルクリウスは世界にゼウスの意思を伝えて回る韋駄天。
スピーディーで雄弁な神。

パリス

PARIS

スパルタ王妃を略奪しトロイア戦争を引き起こした王子の名。
権力よりも戦勝力よりも世界一の美女を選んだ美男の優男。
パリスの審判」 元来は軽薄な軟弱者をイメージする名。

ティボルト

TYBALT

イギリス諸島の古い民話 『猫の王』 のタイトルロールの名。
ネズミ捕りの意味。

ベンヴォーリオBENVOLIO「善意」 という意味。
   



…講座内容全部は、とてもじゃないけど書ききれませんね。

まだまだ、ロミジュリの背景調査は始まったばかり。
しかし解釈は、
こうして外堀を埋めていく中でいつのまにか「確信」に迫っているものなのです。

次回はさらにたくさんの質問が出る時間になればいいですね。
疑問は知性の鍵ですから。

さあ、小さかったり古かったり、透き通っていたり重かったり、
扉は居並んでいますヨ。
次はどこからあけていきましょうか。








2016年01月25日

『芝浜』 第二回:江戸に迫る

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第二回は、柳家さん喬師匠の書き起こしテキストを読みました。

台本は志ん朝さんの半分の厚みしかなく、
噺も動画で聴くと30分もかからずに終えてらっしゃるのですが、
テンポはむしろ倍ぐらいにゆっくり。

実際に読んでみたら、話がパンパンと進んで凄い急展開をしていくんですね。
ヘアピンカーブの連続とでも申しましょうか。

これは、スイッチをしっかり利かせて、緩急の山をしっかり自覚的に作っていかないと、
筋さえ伝わらないものになってしまう。。
難しいホンです。

芝居をしていても観ていてもいつも思うのですが、「山」 というものは本当に大事。
自分の役でも芝居全体でも、山をみつけてそこに向かってそこを立てようとすることが、
何よりの肝です。

解釈というのは、構成全体の中からこの山を探し出すことなのですね。

『芝浜』 の山は二つ、騙しとバラシです。
どちらもリードを取っているのは女房ですが、これが成立するのは、
ひとえに勝五郎のキャラクターあってこそ。
現実を夢だと言いくるめられてしまう人物像を、嘘なく描けるかどうかが肝なんでしょうね。

まあ、今は全員で少しずつ回して読んでいるので、
こまかな表現テクニックが中心の講座になっていますが、期間を延長しましたからネ、
この2本の落語作品のどちらかを、それぞれが通しで読みきることが目標です。

さん喬版は、“ドラマティック”には欠かせない、大胆さ・骨太さが身につくと思います。

志ん朝版は、繊細になめらかに、気づいたらお客さんも手の上で転がされていた、
というようなスライドの妙を学ぶに絶好のホンだと感じます。

どちらも、演じ手にとっては、ノドから手が出るほど欲しい魔法です。

同じお話なのに真逆の向き合い方を打ち出せる、やっぱり『芝浜』は名作なんですね、
観客にとっても演者にとっても。

今季はぜひ、おうちでも作品に触れる時間を増やしていただきたいです。
落語は成果が分かりやすいので、予習復習をしただけすぐに力になっていきますヨ。

声に出して、本気で騙される自分、本気で騙す自分をみつけていってほしいです。


(笑)そうそう先週は、ひとつ面白いことを発見しました。

今、『ロミオとジュリエット』 の講座も始まったのですが、
特に女子に男性のセリフを喋らせると、うまいんですよこれが、
翻訳ものならではの硬いセリフに、品格と男気と切れ味まで出してきて、
みんな異様にかっこいい。

ところが、『芝浜』 になると、とたんに四苦八苦、というか、どどどうしたおい?
とツッコミが入るほどの七転八倒ぶりなんですね。

「に言ってやんでィ、っとにもゥ」 のような独特の表記に振り回されるということも、
確かにあるのですが、『ロミジュリ』 のほうがむずかしく硬い言葉遣いだったりするのに、
ここは難なくクリアできてるこの不思議。(笑)

これ、たぶんね、
若い人たちは、『ロミジュリ』 はアニメの感覚で読めるんだと思うんです。
男たちの壮大な戦い、みたいなものに感応しやすいというか、慣れていて、
イメージがパーッと広がるんでしょうね。

一方で和もの、商いだの朝湯だの、飲む打つ買うだのメシがどうした銭がどうした、
というこまごました庶民の人情噺には、
本当に馴染みがないんだなあと、これはちょっとビックリしました。

世代間格差というか、大げさでなくこの国の文化の断層を実感したです、ホントに。

私より上の世代の受講生さんたちは、落語はもうお手の物なんですよね、
みなさん上手いですヨ〜。

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 お一人などは、
 実は芝浜の女房を演ったことがあった、
 なんて発覚したりして。

 そうそう、こういうムードですね、
 愛情あふれるまなざしで亭主を支える、
 働き者の女房。

 この道20年のベテラン、浜三喜子さんです。
 真っ先にご応募くださった、
 『顔』 クラスの頼れるリーダーです。

アニメのおかげでイマジネイションを広げる術を持てているなら、それは強みでもあります。
絶対ほかへの応用もできますからね。

逆にまた、慣れているものは 「きれいな鋳型」 にハマりやすくなるので、
その罠は誰もが自覚しなくちゃいけないところでもあるわけですが。

きれいに読めるということと、よく伝わってくるということはまったく別のことで。

ゲストで来ていたリブレ主宰の読みは、マジもんのアル中を疑う迷走っぷりで、
江戸っ子でもなければ魚屋でもありませんでしたが、とにもかくにも爆笑でしたもんね。
みんなが大笑いしたのは、ぇえええ〜? と困り果てた心情が伝わったからですよね。

まずは本気があること。
どこからどこまで。

やっぱりこれが表現の原点ですね。


扉の絵は、男になってからの勝五郎さんって感じですね、おかみさんが幸せそう。
『芝浜』 となるとこういう絵を探して塗り絵するのが、このごろの頭休めのマイブームです。

この絵の魚屋さんのキリッと安定の面差しが、さん喬さんの勝五郎にはピッタリだなと。
そうそう、さん喬さんてば、
やっぱりあの声にメロメロになってる女性ファンが多いんですって。

末廣亭までは3分のご近所ですからね、教室の女子隊でぜったい迫りにいかなくちゃ、
さん喬さんに、、ではなく江戸にね、江戸に。(笑)







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2016年01月17日

『芝浜』 第一回:江戸に酔う

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『芝浜』 第一回、いやぁ盛り上がりました〜。

落語はもしかしたら、聞くより演るほうがおもしろいかもしんない。
まあ、聞くと演るとぁ大違い、ありゃりゃ…ってことも、
やってみてわかったわけですが(笑)

あの独特の調子で走り出すと、あっという間に世界に引き込まれちゃう。
落語っていうものは、どんどん気持ちが開放される、
聞いてるほうにもそれが伝染ってって、みんなが一つになりやすい。

ある意味、お酒飲むより酔うかもしんないですね。
ゲラゲラ笑ってましたからねみんな、言い間違えさえ肴になる感じで。
ああいう無邪気な罪のなさっていうのが、お江戸の魔力ってことなんでしょうかねえ、
日本人のDNAを持ってる快感に打ち震えた時間でした。

おもしろかったのは、それぞれの個性が芝居をやるより明確に見えたことで。

話芸っていうのは、そういうことなんですね、
もちろん「役」にはなるんですけど、素で勝負ってところが大きい。

芝居の場合は、役からはみ出るのは基本御法度という堅固な枠があるわけですが、
落語は自分が話すわけだから、むしろ話し手の人間性がどんどん見えてきちゃう。

隠れ蓑があるか、裸を晒すかの違いと申しましょうか。

一枚まとうことがなりわいの役者にとっては、このへんかなり度胸がいるんですね。
ヤケに恥ずかしい!って言ってるメンバーが多かったのが印象的でした。
いや、実際おそろしい芸ですわ、落語。(笑)

古今亭志ん朝さんの噺を、テキスト化してもらって読んだんですけどね。

随所に出てくる「ええ?」とか「なあ」とかいう、“おのれ合いの手”みたいなアレが、
どこにどう入ってくるかというのは、志ん朝さんの語り口のクセなんだけど、
役者はここに苦戦するわけですよ、
言葉として再現しようとしちゃうんで、つい何か意味を持たせてしまうんですね。

いやいや、単に調子を整えるための生理的な音だから、ってことなんだけど、
これは芝居の台本には無いものなので、新鮮、かつスリリングで、
カルチャーギャップをもっとも感じた、妙味のあるところでしたね。


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時代の違うホンに当たるときはお勉強は欠かせないのですが、
この 『芝浜』 に出てくるのは、
江戸情緒を言葉のみでかもし出そうというわけですから、
お江戸の魚屋さんの持ち物や扮装、小道具ひとつとっても分からない名詞ばかりです。

でもこういうのは自分で調べたほうがいい、というかそのほうが圧倒的に楽しい。

私がああ!と見つけたのは、「福茶」 と 「笹」 の意味。
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ほぼスープ…(^ ^:)
福茶 (ふくちゃ) とは、お正月や節分などに出す
昆布や梅干などが入った縁起物の緑茶、
ということだったんですが、
なんか飲み物として強引じゃないですか? 不味そうで(笑)

いや、噺の中で魚屋の熊さんもそう言ってるんですけどね。
私も、いくら縁起物でも大事な節目に不味いもの飲むなんてヤダなあと思い、
何のこだわりが? と疑問が湧いたのです。

そしたら、柳家さん喬さんの 『芝浜』 で、ひとくち飲みながら、
「福じゃ、福じゃ」 って言ってるのを聞いて、あー!語呂あわせを楽しんでたのか!と。
これならやせ我慢が信条の江戸っ子は喜んでやるね、と納得したのです。

そして、「笹」 ですが、
これもかなり唐突に出てくるので、ん? とノッキングするところ。

これはですねぇ、もともと 『芝浜』 は三題噺 (さんだいいばなし) といって、
休憩中に、お客さまから三つのお題をいただいて楽屋で組み合わせて筋書きを作り、
すぐに高座にかけるという、取って出しの荒業(笑)から生まれた噺だそうで、
「酔っ払い・芝浜・財布」 という三題だった、というのが定説なのですが、

もうひとつ、
「増上寺の鐘・財布・笹飾り」 という説もあると知って、あー、この笹なのね、と。

何がなんでもねじ込まなくちゃいけないので、あんな急に出てきたんですね。
そういうライブ感を知って読むと、
噺も終わりがけになって笹が出てきたところで、お客さんはドッ!と湧いたろうなと。

お見事ですもんねえ、お江戸の寄席の楽しさが実感できますよね。
調べてよかった。
 
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商売繁盛 笹もって来いこい♪
ちなみに、笹は、
根強く、繁殖力も強く、風雪寒暖にも強い、
ということで、
古来より神聖な植物として愛でられ、
葉がサラサラと擦れ合う音は、
神さまを招くと言われてきたようです。

笹はタダだが飾りにお金がかかるようで、
魚屋の熊さんのお宅でも、
福笹を求める余裕が出来たんですね。


『芝浜』 は、目利き腕利きの魚屋でありながら仕事に身が入らず、
酒を飲んではサボることばかり考えているダメンズの熊五郎が、
革財布を拾ったことで真人間になっていくという、煎じ詰めればそういうお話。

大ネタなだけあって(1時間前後かかる)、聴けるのは大御所の噺ばかりなので、
この夫婦も30代か、へたしたら40代ぐらいのイメージで、
なるほど演劇的に言うなら、主人公夫婦の 「再生の物語」 なんだなと思ったのですが、

もう一つ、
これって 「成長物語」 にも出来るんじゃない? と、
わたし思いまして。
この切り口でやってる噺家さんがいてもよさそうなものなのになあと、
思っていたら、やっぱりいらっしゃいましたよ。

そう、福茶のフォローを入れてくださってた、柳家さん喬さんです。

さん喬さんの魚屋(こちらは勝五郎)の、キリッといなせな声を聴いたときに、
ああ!これは若い二人の物語だ!これはまた別のいじらしさに涙できる、
と嬉しくなっちゃいました。

『芝浜』 には、大きく分けて二筋あるんだそうですね、
志ん朝さんの噺は、華やかで安心して笑える伝統的な古典、
さん喬さんの噺は、三代目桂三木助師匠の流れにある文学的な新作、
ということになるようで。

正直、女房の第一声を聞いたときには、く、暗っ!うらめしや〜って言いそう、
なんて思っちゃって一瞬聞くの萎えたんですが、ところがどっこい、この人の勝五郎が、
ものすっごい色っぽさ!

それで最後まで聴いちゃって、女房の口説き場まで来たらもう号泣に。
同じ噺なのに、こんなに違うんですよ。
このバージョンを知ってしまったら、ちょっともう素通りはできなくなってしまって・・・
全身耳でテキスト聞き起こしました。

はい、第二回はこの、さん喬版 『芝浜』 を読みます。

必聴です。
さん喬師匠の、水も滴る艶っぽい勝五郎を確かめてください。


たぶんこのおかみさんは、『天皇の料理番』 の黒木華さんみたいな、
喜怒哀楽がおとなしい、けれどしっかり芯のある女なんだなーと感じました。

演劇人にとっては、ドラマチックなこちらのホンのほうがやりやすいかもしれませんね。

今回は受講生さんから自発的に出た企画。
こういうのは大歓迎ですね、
教室をご自分の興味の実現の場にしていただくという理想が、早くも動き出したわけで、
意気に感じてわたくしも、『芝浜』 豪華二本立てにしてしまいました。

名人お二人のホンを比較して勉強できるなんて、ゴージャスにもほどがありませんかい?

そんなわけでこの 『芝浜』、期間延長することにしました。
一回ずつ当たって終わりなんて、もったいなさすぎるぅもっとやりたいぃいいい、と、
受講生さんたちから阿鼻叫喚が出たので。(笑)

これが大事。
自分がやりたいって求めるものが、何につけても何よりの進化をもたらすのですもの。

面白いことになってます。

たぶん、次の教室が待ち遠しくなってくださってるんじゃないかな、なんて、
こんなに仕合せでいいのかい? とふるえつつ、
困るのは、
講座が面白いと寄り道もしたくなっちゃうことで。

しかも新宿、燦然と輝く「末廣亭」の前なんかに出ちゃったひにゃあ、
どうしたって一杯ひっかけてきたくなっちまうんですぁ旦那。

この誘惑と戦うのが、っこわい!
なんたって呑んじゃったら、

夢ンなるといけねえから。







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2016年01月07日

こいつぁ春から

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1月は新春特別企画で、古典落語の『芝浜』を読むことにしました。

受講生さんからのリクエストがあって、私も今回はじめて聴いたのですが、
スゴク面白い噺ですね!
鮮やかなどんでん返しにびっくりぽんです。

これは、夫婦のキャラクターをどう作るかで、味わいがかなり変わるホン、
なんですね〜〜〜。

役者としては、ぜひとも自分オリジナルのキャラ獲得に、
ファイト燃やしたくなるところです。ニンマリ(笑)

短期集中講座ですので、『芝浜』は今月3週間だけのテキストです。
タイムテーブルはこんな塩梅で、1週ごとに段階を追っていきます。

第一週13日(水)15時〜18時
 15日(土)15時〜18時
第二週22日(金)19時〜22時
 23日(土)15時〜18時
第三週29日(金)19時〜22時
 30日(土)15時〜18時

駅地上出口から天国のように近い、新宿三丁目教室での講座です。

本読み教室では、数人でのダイアローグ(会話)でやります。
なので、ちょっとハードルは下がった感じかな。(笑)

いやいや、だって一人芝居ですものね〜落語って、しかも無対象(パントマイム)!
とても一朝一夕に出来るような件じゃございません。

知れば知るほど、噺家さんとは凄い人たちだなあと、つくづく思う今日このごろです。

…ここまで、噺の筋書きを記していないのにはワケがあります。
私が四の五の語るより、
名調子をお聴きになったほうが1000倍イイですものネ♪

ハイ、お楽しみください、三代目古今亭志ん朝師匠の名演、『芝浜』です。


人情噺って、いいですね〜。
私はいつもこの下げ(オチ)で、くっと涙がこみ上げてきます。

でもそれは、志ん朝さんだからなのかもしれない。
他の噺家さんだったらきっと、また全然別の気持ちになるんだと思います。

さてさて、どんな魚熊さんとおかみさんを演りたくなりましたか?
あたしだったらねぇ、、ふふふ。

今なら若干名の空きがございます。
初春から、ちょっとフレッシュな3週間を過ごされたい方は、
どうぞお気軽にお問合せください。

あー、あたしも浜いって釣竿でもたらしてみようかなー。
かすりもしなかったネ、年末ジャンボ♪ (号泣)






posted by RYOKO at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新春特別企画 『芝浜』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

初春ですね

あけましておめでとうございます。

旧年中は、みなさまには本当にお世話になりました。
心より、ありがとうございました。
おかげさまで、たくさんのフレッシュな出会いにめぐまれた記念すべき年となりました。

今年もその勢いのままに、
みなさんと喜びに満ちた時間を紡いでいけるよう、
私も精進いたします。

どちらさまも、晴れやかでうららかな1年となられますように。。


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本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


リブレ本読み教室  山岸 諒子