2016年02月02日

『芝浜』 第三回:江戸に想ふ

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『芝浜』 第三回は、亜呂波亭ロコ輔さんにご参加いただきました。

身ごろが赤と黒に分かれたモダンで粋なお召し物に、銀糸の縦縞の白い羽織と、
目の覚めるような装いでご登場くださったので、受講生さんたちも思わず、おお〜…
口数が少なくなったぶん、目がキラッキラと輝やくかがやく。(笑)

ああいう凛と華やいだ空気に触れるというのも、初めての体験だったかもしれませんね。
伝統芸能にたずさわる方は、みなさん独特の品格を放ってらっしゃいます。

受講生さんたちに違う世界を感じてもらおうというロコ輔さんの心意気が、
とても嬉しうございました。

装いというものは、手みやげというか、「情け」なんですねぇ、
あらためて、しかし目からウロコの発見もいただけました。


噺家さんは、なにせ話す人ですから、
活字を読んで伝える朗読とは気の持ちようの根本が違うわけで、
慣れた 『芝浜』 をあらためて字で追う、しかも根掘り葉掘り(笑)
表現の差というものをしきりに感じていらっしゃるようでした。

実際われわれも、ホンを離して立ち稽古に入ると、
体の実感がセリフを支えるようになっていって、
覚えて話すのと持って読むのでは、やっぱり熱もリアルもまるで変わりますよね。

以前、まだリーディングというものがこれほど一般的でなかった頃に、
そのさきがけとなるような企画に参加したことがあるのですが、
そのときの演出も、最終的には少しカラダの表現を入れる形を取られました。

読む嘘というものに我慢できなかったんじゃないかと思います。

セリフが伝えるものは実感がすべて。

と言いきっても過言ではないと私は考えているので、
「読み」 も頭でやっちゃだめだと思っているのです。

この教室もその獲得を目指して立ち上げたんですが、
あのときの演出家も同じことを思われていたのが、今になるとよくわかります。

噺となれば尚のこと。
ロコ輔さんの声からは、私がこれまでに体験したことのないものが届いてきました

ご本人は、文字を追うということで演劇寄りの表現になったので、
噺とはまったく違うとおっしゃっていましたけど、
やっぱり俳優のアプローチからは得られない実感を――私が欲しい実感を(笑)
シャワーのように浴びせていただけたんですよね。

なんというか、凄い包容感という感じで、無理というものがまったく感じられなかった。

受講生のお嬢さま方も、なんだかわかんないけどフワ〜っと、
不思議に包み込まれるようなやさしいあれはいったい何だったんだ?!と、
興奮しきりでした。

実はこのフワ〜っと感を、前日の 『芝浜』 クラスでも私は体験していまして。

今季からプロのナレーターの男性がご参加くださって、その初回だったのですが、
そのかたからも、同じ、得も言えぬ包み込み感をいただけたのです。

思えば、噺家さんもナレーターさんも、肉体によらずに言葉を繰るお仕事ですよね。

声のみで伝える、ということの本質を、
期せずして同じタイミングでお二人の男性からいただけて、
ありがたいことに、第三回はジュエルの輝きの教室になりましたね。

年齢もキャリアも、みな違う人間同士が集まっている講座ですから、
その気になれば、どなたもいくらでもご自分の求めるものに出くわせると思うんです、
この教室をそんな風に使っていただけたら、私は本望ですねぇ。

さっそくロコ輔さんからは、出張高座で教室に来てくださるお申し出をいただけて、
ヤッター!
ジャンルを越えて、どんどん広がっていけば、いいですよね〜豊かですよね〜。


落語の基本は、「言葉に演技が奉仕する」 というものなのだそうです。

落語の説得力は、あくまで声の力によって生まれるもので、
しゃべりだけで時間も時代も場所も状況も、もちろん人物も、表現しないとならないので、
声のコントロールということを演技より重視されているとお話ししてくださいました。

話芸というものは、聴き手に押し付けてはならないものということでしょうか。

それは芝居も同じですけど、演技者の場合はヘタクソでも心情があれば伝わる、
という事もあり、場数を踏むほどかえってそのナマ感の獲得に必死になっていきますが、
落語の場合はまず、ヘタじゃ勤まらない厳しさがあるということかもしれませんね。

技術というものは、やはりおろそかにしてはならないものなのですね。
そうして私が感じているシビアな事実は、センスがなければ技術は身につかない、
ということだったりもします。

センスあっての技術なのです。

でもセンスって身につくんですよ。
俳優の場合は、「実感を再現できる力」 のことだと私は思っているのですね。

そのためには色んな経験をしたほうがいい、痛い経験ほどいい。
そして、その痛みを刻み付けて絶対に忘れないこと。

それがセンスを磨くと、私は思っています。
人としては、ゆえになかなか生き辛いことにもなるわけですが。(笑)
まあこの話は、また別の機会にでも。


ロコ輔さんとお手合わせしていただいて、ひとつ大きな発見をしました。

芝の浜で財布を拾った、あれは夢だったのだと騙された勝五郎に、
心底申し訳ない気持ちになったんですよね。

だから、亭主が 「すまねえ」「悪かった」 と謝るたびに、その言葉は聞きたくなくて、
明るいほうへ明るいほうへ気を引き立ててやりたくなった。

ごめんねって言うのはあたしのほうだよと、泣きたい気持ちになりました。

この女房は、三年間ずっとこの重石を抱えてきたんですよね。
あの日から真実、亭主を愛しぬき、労わり大事にしてきたんだなと、
実感できました。

一つ間違えば、夫をたばかる小ざかしい女になりそうで、
難しい役だなと思っていたのだけど、
小ざかしくてもいいんだと思った、
それをやったあとで、心から、「ごめんね!おまいさん!」 って心が振り絞られれば。

『芝浜』 の二人は、成長していったんですね。
こうして 「人」 になっていった。
それが人々の心を打つんだな。。

『芝浜』 と、ご縁があってよかったなあ。
ロコ輔さんとも、実はお会いしたのは初めてだったんですけど、
お導きがあってよかったです。

教室は、こういう化学反応が起きる場所です。

新しくて心ふるえるような自分との出会いを、今週もみなさん、ひとつでも、
していただけたらいいなと願っています。





posted by RYOKO at 00:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 新春特別企画 『芝浜』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする