2016年02月15日

『ロミオとジュリエット』〜秘めやかな誘惑

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仮面舞踏会でジュリエットをみつけたロミオは、ひと目で激しい恋に落ちる。

音楽と踊りと、嬌声と喧騒と。
華やかな賑わしさの隙を突いて、ロミオはジュリエットの手を取る。

そして言うのだ。


ロミオ
もしもこの卑しい手が
聖なる御堂を汚すなら
優しい罪はこれ
僕のくちびるは顔赤らめた巡礼ふたり こうして控え
そっと口づけして 手荒な手の痕を清めよう
ジュリエット 
巡礼さま それではお手がかわいそう
こんなにも礼儀正しく帰依する心を示しているのに
聖者の手は巡礼の手が触れるためにある
手のひらの触れ合いは 巡礼たちのくちづけ

出逢ったふたりは手のひらを合わせ、恋に落ちていく…

いかな「本読み」教室とはいえ、このホンにかかわってこの名シーンを体験しないのは、
シェイクスピアへの冒涜ともいえようもの(笑)
当然、手の動きを入れながらの読みをしてみた。

ここで問題になったのが、手を取ってから手のひらを合わせるまでの流れ。

ロミオはジュリエットの手を取り、突然こんな手荒をした罪を赦してほしいと乞い、
その罪を清めるために、巡礼者が額ずいて聖者の足に接吻するように、
手の甲にキスさせてくださいと懇願する。

ロミオは初めからジュリエットを聖なる愛の殉教者と定め、崇敬の対象とし、
教会で祈る巡礼のように、心のすべてをあなたに預けていると言っているのだ。

その悲壮で純粋な思いに、ジュリエットはほだされる、というより火をつけられる。

見知らぬ仮面の男なのだ、警戒すべき相手であるはずなのに、
ロミオの情熱は戸惑うより先に心を突き崩し、ジュリエットを無垢の塊にしてしまう。

そんなに畏れないで。
手のひらを合わせて心を通わせるのが巡礼の慣わしなら、
わたしのこの手はあなたが触れるためにあるのだから。

ジュリエットが言っているのはそういうこと。
そうして取られた手を解き、手のひらをロミオに向ける、という流れ。

ジュリエットは、取られた手をいったん離さないと手のひらを垂直にできないわけだが、
やってみるとこの離す動作がポイントになることがわかる。

拒否した風にならないように、そっと指をはずしていく。
これはひとつの賭けのようなもの、思いが感じられなければ相手は追ってこれない。
演者の間には密度の高い集中が通い合う。

そして、たなごころを合わせる。
この単純な動作がこんなにドキドキするものとは、みんな初めて知って驚愕していた。

このホンのエクスタシーは、まさにここにある。
バルコニーの場でも、結ばれて別れる夜明けの場でもない。
初めて相手を受け入れた瞬間なのだから。

清らかさとさりげなさを装った、とんでもなくセクシャルな行為。
それが手のひらをぴったりと合わせる動きなのだ。

こういうシーンは段取りにしてはならない。

演じ手同士の自然が絡み合うと、思わぬ化学反応が起きることになる。
自分も相手も次にどう出るのかわからない、スリリングで濃密な時間…

ここにこそ演じる醍醐味がある。
他人と溶け合える瞬間は、そうあるものではないのだから。

まあしかし、演者も人間なので、どんなにセクシャルなシーンでも、
いかんとも相手に反応できない組み合わせがあることも確かではある(笑)

この手のケミストリーは、演者同士の相性がよくなければ起きない。
演劇の奇跡のひとつだったりもするのだから、体験すると生涯忘れられない記憶になる。

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何組もでやってみてわかったのは、ジュリエットは決して受身ではないということだった。
ことほどさように、意外にもジュリエットのほうが明確に誘っているのだ。

初めて会っていきなりのこのスパーク。
あまりにも非現実的な、芝居じみたデフォルメの最たるシーンかと思っていたが、
さにあらず。

ロミオ役に真摯が見えると、そんなにも誠実に情熱的に思いをぶつけてくることに、
自然、you do wrong your hand too much 「かわいそう」 という気持ちになってくるのだ。
この思いの熱さは実際に動作をして初めて感じられたことだ。

可哀想ってのは惚れたってことさ、と言ったのは夏目漱石だったが、
文豪はみんなこういう真理を知っていると思うと震えが来る(笑)

確かに、そう思うと指は勝手に動いてロミオの手をきつく握り返してしまうなどという、
思わぬ反応が起きて自分でも驚くことになったりするのだから。

読解だけでは得られない登場人物の生の気持ちに触れられる喜びは、
こういう中にある。

しかし、手というものは雄弁だ。
実は言葉よりも真実を語るものかもしれない。
この手のひらを合わせる行為は特に、ある意味ではくちづけよりセクシーなものだ。

このへんの話をしていて、手のひらは五感の中でもっとも敏感な部分だからじゃないか、
という意見が出たが、
たとえば洋服を買うときには無意識に手触りをポイントにしているように、
確かめるという行為をもっとも的確かつ熟練ワザで行っているのは手なのだな。

その手でそういう手を感じるのだから。
手のひらをぴったり合わせるというのは。
ものすごく官能的な行為だったのだと、今更ながらにかなり驚いている。

シェイクスピアってやっぱり、とんでもない手練れだ。

『ロミオとジュリエット』を書いたのは、まだ20代の頃だったと思ったが、
こういう生理的な官能性を熟知していたことに驚嘆する。

ロミオは、合わせたジュリエットの手のひらから、指先から、
何を感じただろう。
それがあればこそ、二度もくちづけをねだる挙に出られたのは確かなのだ。

恋は、秘めやかな通い合いであるほどセクシーなものなのかもしれない。
その二人にしかわからない、秘密の華。

これを共有してしまったら、そのひとはもう群集の中の一人ではなくなる。
ふっくりとしたつぼみが、少しずつ、けれど素早くひらかれていって、
気づいたときにはもう、落ちている。

結ばれてはいけない相手なら尚のこと、あっというまに落ちていく。
恋という名の厄介な甘い苦しみに。


  これこそがみなさんにお見せしたかったロイヤルの Dnce of the knights。
  またすぐ消されてしまうかもなので急にアップされた幸運を喜びつつちゃんと観てねと切望。


「もしもこの手が…」
このセリフが始まるまでに、ジュリエットもロミオをみつけていたのだろうか。
それとも、スッと目の前に現れた見知らぬ男に手を取られ、驚いたそのとき、
初めてロミオの目を見たのだろうか。

シェイクスピアの原本にはト書きがない。
書かれているのはセリフだけ。
ジュリエットがどの時点でロミオを認めたのか、この会話がどこでなされたのか、
何も書かれてはいない。

それどころか、直前まで、
ロミオを追い返そうとするティボルトがキャピュレットに叱責される場が続いていて、
うっかりすると見逃すほどに、二人の出逢いのシーンは唐突に始まるのだ。

動きの指定がないということは、いかようにも演出できるということだ。

私なら、周囲の役者の艶なる動きも媚笑の交し合いも、そのまま続けさせる。
けれどロミオがジュリエットの手をとった瞬間、会話は手話のように無言にさせる。
音楽もピタリと止め、しかし楽士たちの楽器を繰る動きは続くのだ。

衣擦れの音しかしない静寂の中、ロミオの恋のささやきが始まる。
深海魚のようにゆらめきさざめく人々を背に、そこは二人だけの世界になる。


初めてのくちづけをロミオから二度も授けられたあと、
ジュリエットは言う。
「お作法どおりのキスね」

原本でのこのセリフは、You kiss by th’ book.

ブックとしか書かれていないのだ。
これはいわゆるエチケット本のことというのが、翻訳の際の定説になっているらしいが、
個人的にはここはそのまま、「本のとおりのキスね」 としたい。

ジュリエットはきっと、恋物語を読んでいたはずだから。
お話のとおりだった・・・そこには、未知のものに触れた驚きと、
思ったとおりのロマンチックを体験できた高揚がある。

ジュリエットは恥じらいながら、震えながら、しかし夢見心地の面差しでこう言ったのだ。


こういう微妙なシーンは、人によって違う流れになるのが面白かった。

若い人は形を整えないと入っていけない人が多い。
熟女陣はむしろ驚くほど素直だったりもして。
残っている恥の分量の違い…とは思ってませんよ(笑)

むしろ、刹那に身を預ける術を知っているかどうかの違いだろう。
今、目の前にいる人に、瞬間、恋する。
まさしくのロミジュリそのものじゃありませんか。

せっかく世界一の恋物語と縁が出来たのだ、
3月が終わるまでこのロマンスに夢中になっていただけたら、
センセイは本望です。(笑)