2015年07月24日

語りのカタルシス

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いよいよ夏まっさかりですね。
みずみずしい果物や野菜が、ほ〜っと身体をいやしてくれる季節ですが、
連日の猛々しい暑さにまけずに、お元気にお過ごしでいらっしゃいますか?

このところ、うちの主宰の仕事のお手伝いに狩り出されていました。

ラジオドラマの尺出しという、台本の芝居部分のタイムを計るための仮朗読で、
全6冊のすべてのセリフを独りで読んだのです。

とてもいい江戸のお話でしたよ、
初見でやったので、泣きそうになるのを堪えて鼻声になっちゃったぐらい。(笑)

かかったかなと思ったら♪のあの方と、もしもピアノが♪のあの方の番組です。
本放送については、ちょっとまだ局のほうで情報解禁になっていないようなので、
後日あらためてお知らせしますね。
今日の扉もそのタイトルにゆかりする写真です。


で、この尺出しの朗読が、初めてやったんですけど、すごくおもしろかった!

時代小説から書き起こしている作品なので、語り部分が多いんですが、
この「語り」を読むということには、独特の魔力がありますね。

読んでると、なぜだかハイになってくるんですよ。

なんでしょう、こう、作品のトーンを決定付ける担い手になれるというのかな、
物語のノリをひとりでつむぎだす快感のようなものがある。

自分も知らない素の自身がそこにいて、魂をこめる、
そう、歌うことに近い感じがするのです。

こういう感覚は、役を演じることとは明らかに違います。

そうして語りの場合は、自然と感情のニュアンスを最小限に抑えたくなるので、
逆に、いま伝えられなかった!という実感が即座に自分にはね返ってきて、
理性でコントロールすることが楽しくなってくるんです。

そこにはまた、抑えようとしてもどうしても出てしまう自分の感情があって、
そのひそやかな、ほっそりとかそけき想いに出くわすことが、
楽しいんですね、
ああ、自分はこういうことを感じ入る人間だったのかと。

この滲み出てくる感覚との未知の出会いに、えもいえぬカタルシスがあるのです。

老若男女の登場人物すべての役を演じながら、合い間あいまに、
役とは違った性質を持つ「語り」にもどらなければならなかったので、
役になることとの違いが、よけいに強く感じられたんだと思うんですけどね。

語るということにはこういう悦びがあったのかと、驚きました。

これまでも官公庁関係の素材のナレーションなどをやったことはあるんですが、
物語の語りというものは、明らかに身体に残るものが違います。

このごろ町に増えてきた朗読サークルの人気のひみつはこの快感にあるのか〜と、
初めて分かりました。

これはちょっと、かなり健康によいジャンルなのではと思ってしまいましたヨ。


みると、YouTubeなどでもずいぶんたくさん朗読がアップされているんですね。
んー、でも、やっぱり、自分に酔っている人が多いかなー。

そう、酔っちゃうんですよね〜、語るってこのとおり気持ちいいから。
特に時代ものには独特の陶酔感があります。

今回やってみて一番苦心したのも、浮つかずにちゃんと伝える、
けれど物語ですから、叙情性はあとを引くように残さなければならない、
というところで。

これを両立させるのは、簡単なようでいてなかなか取り付かせてはもらえません。
ほんのチョットの違いなんですけど、そのチョットに読み手のすべてが現れる、
という・・・きゃーこわいですネー。

そうそう、その昔には、
メニューを読み上げたら居合わせたお客さんがみんな泣いちゃったという、
オーソンウェルズのレストランの伝説なんてものもありましたね。

反対に、ふつうに読んでるのになぜだか笑っちゃうというのもスゴイですよね。
声は生ものなので、正直で、おもしろいです。

今回の本読み教室では、語りの極意にも迫っていけたらと思っています。

未知の自分との出会いに、きっと驚くことになると思いますヨ。
まだまだご応募、お待ちしております。
















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