【るいの半生】
明治15年(1882) 伊勢生まれ
明治22年(1889) 7歳 横浜へ移住
横浜・東京が市になる(全国36市制定。それまでは町村の概念しかなかった)
大日本帝国憲法発布/大隈重信遭難事件(テロ行為により右足切断)
パリ万博
明治33年(1900) 18歳 英国人家庭に乳母としてあがる(12年間)
横浜居留地は山下(関内)と山手(中区)の二ヶ所
外国人は山下埠頭に商館を立て、山手の住宅地から通っていた
当時の居留外国人は5000人ほど 中国人に次いで多かったのが英国人
短期滞在を考えれば横浜港にはこの倍近い外国人がいたと思われる
大正元年(1912) 30歳 スタッフとして乗船(客室係?16年間)
大正2年(1913) 31歳 男との邂逅
昭和3年(1928) 46歳 ホテルで女中頭(ハウスキーパー)になる
昭和7年(1932) 50歳 現在 4年目
【るいという女】
■洋装がすこぶる板についている
昭和7年はまだ着物の時代。
白いカーディガンをはおっている姿(冒頭ト書き)はかなりラフで異色。
上着に袖を通さないスタイルは派手、現代でも日本人には少し勇気がいる。
ホテルに来るまで長年客船に乗っていたことを知った園子の台詞「道理で…」は、
るいの姿勢のよさや堂に入った異質な雰囲気も指している。
■両親が異国人の家庭に奉公にあがることを望んだのはなぜか?
「母など口を酸くして勧めますものを、わたくしがいやがりまして」
るいの親は横浜に出てきて魚屋をやっていた。
当時の居留地にはグランドホテルなどがあり、たぶん厨房に魚を卸していた。
その過程で、娘が異人に雇ってもらえれば将来は安泰だと考えたのだろう。
「それが急に気が折れまして…近所の娘が男と駆け落ちをしてしまったので」
るいは尋常小学校を出てからどうしていたのだろう?家業を手伝っていたにせよ…
当時の適齢期を考えれば、10代の娘には当然縁談がもちあがったはず。
実際、同じ年の幼なじみは相手をみつけて出奔までしている。
後半の‘男’の述懐
「あいつは確か一番年増で一番不縹緻(ぶきりょう)、そこへきて変に行儀がいい」
つまりるいはブスだったのである、というか親はそう認識していた。
縁づき先を探す余裕がなかったのか、娘の女としての幸福を早々と諦めてしまった。
るいは容姿がコンプレックスになり、物堅くてまるでコケットのない女になった。
※るいの話はあっちへ飛びこっちへ飛び、それこそ波のうねりのように変化に富む。
「姉妹のようにしておりました、近所のお初さんという娘(こ)」の話など、一見
蛇足のように思える。
が、作家がこの短編の中でわざわざ字数を割いている以上、そこには意味がある。
いや、むしろこういうところにこそ物語の核心を突くものが仕込まれている。
そこを見逃さずに食いつけるかどうかで、解釈は作家の正解に近づいていける。
【英国人家庭でのるい】
■18歳から30歳までの一番華やかな時期を、るいは異人の家庭のみで過ごす。
これはるいの人間形成に決定的な影響を及ぼしている。
乳母としてあがった銀行家のクレプトン家は奥方がイギリス貴族、
るいも英会話は元より、使用人の心得や振舞い方などを徹底して仕込まれたはず。
■初めて見た外国人の女児は天使のようにかわいらしく映ったことだろう。
るいは8歳のカザリンお嬢さまに魅了され20歳で帰国するまで夢中で仕えた。
「その間どなたからも叱られたということがない、これは私の自慢になりますか…」
叱られたことがないのはカザリンでありイコール乳母の自分もということ。
■るいは日本人の男と身近に接することのない12年間を送った。
【園子の(微かに笑う)の謎】
■園子が聞きたいのは、るいが独身である理由と女としてのこれまで。
「お嬢さまが大きくおなり遊ばす間に自分も年をとることを忘れていた」
このるいの発言を聞いて園子はなぜ笑ったのか?
出てきた解釈は、‘そんなわけないだろという嘲笑’というものと、
‘夢中になったら一直線になるるいの性質への軽い驚きと納得’
という二つに割れるが、これはどちらもアリ。
いずれにせよるいのパーソナリティが常識の枠外にあることが判る反応であり、
園子もそのキャラクターを左右する女性としての成熟度合いが垣間見えるところ。
【マルセイユ行きの船上でのるい】
■「お嬢さまのお伴という大役を仰せつかって、船では夜もろくろく寝ずじまい」
夜もろくろく寝られないというのはどういう状況か?
‘これは自分がいかに有能であったかという「盛り」が入った自慢の台詞’
‘お嫁入り前のお嬢さまに悪い虫がつかないように気が気でなかったという善意’
‘るいは必要以上にいっしょうけんめいになってしまう人’
講座ではシニカルな解釈がよく飛びだす。
読解にはその人の価値観や人生観が現れる。
受講者は未知との遭遇に驚かされることしきりな様子。
■「その船で日本へ帰って参ります時は、精がなくて精がなくて、つい涙が…」
るいはなぜクレプトン家を辞めて船で働く気になったのか?
今の邸宅には主夫妻が残るのみ、自分の情熱の受け皿になる環境ではない。
手塩にかけたカザリンが帰国したことで燃え尽き症候群のようになった。
■るいは大海原の上で本当の‘独り’になる。
英国人の家庭という閉ざされた一点の、対極にある広い世界を初めて知る。
日本の男たちが目の前に立ち現れたのも人生で初めての経験。
【るいを理解するポイント】
■「船の仕事は荒うございましたが、一番、人様のために尽くし甲斐のある気が
いたしました」
この台詞がるいの真骨頂。
るいは人に必要とされることを生きる希望にしている。
※表現としても、この台詞はもっとも力を入れるべきところ。
特に「一番」の前後に句読点が入っている意味を正確に捉えなければならない。
【るいの今】
■「ほんとに海上生活って申すものはよろしうございますね」
船は勝手に自分をどこかへ連れて行ってくれる。
命がけの緊張感と目的地に向かう高揚感がない交ぜになった充実が常にある。
■船上生活にくらべて今の自分は、
「望みがないものには行く先のあてでもなければ、その日その日が真っ暗…」
「こうしていても明日のことは考えようにも考えられない」
るいは孤独、帰る家もなければ迎えてくれる人もいない。
これに関しては受講者から、この気持ちはよくわかるわ〜という意見が出る。
誰かの妻、誰かの母でしかないまま三度の食事づくりに追われるだけの生活は、
明日もあさってもずっと変わらない、このまま終わるのかと思うと気が萎えると。
当時の感覚ならるいも自分はもう老境だと思っていたはず。
海上生活ならまぎれていく不安が、陸上の定点ではしょっちゅう意識されてしまう。
■るいは読み手が思う以上の諦観と切迫感に揺れているのかもしれない。
【るいが肥っている意味】
■岸田國士がるいを肥った女に設定したのはなぜだろう?
昔のままの姿だったら‘男’にはひと目でるいだと分かってしまう。
‘男’の認識を曖昧に書いているのは、秘められた過去の重さを劇的に見せるため。
るいと‘男’の再会は意図せぬ偶然、でなければ物語の衝撃度が薄くなる。
作家がこういう仕掛けをしている以上、‘男’は例の事件の当事者ということになる。
また、時間の残酷さ、長さが浮き出て、るいが人生の終盤にいることが分かる。
7歳から50歳までの女の一代記といったスケールの大きさが航海のイメージと重なる。
■るいはいつから肥ったのか?
‘綱に脚をとられて肋骨を折り退職した、その入院がキッカケ’
‘クルーズではやることがないから船に乗っていると肥っちゃう’という体験談。
そこから思いがけない解釈が。
‘そもそも、肥って動きがもたつくようになったせいで綱にひっかかったんじゃ?’
今回一番の爆笑ポイント。
【役づくりのコツ】
ブロック2は比較的難しい解釈を必要としないため、表現方法の具体についても
突っ込んだ講座内容になった。
・台詞は「サンドイッチ」で表現する
・きれいに読もうとする自意識を捨てないと役の心情は伝わらない
・自分の解釈に固執しないこと、反面、仮説はしっかり追うこと
また、このホンは想像以上に笑えるポイントがたくさんあることも発見。
それも表現の仕方如何で、活かされもすれば殺がれもする。
笑いは人間が求める感動の最たるものの1つ、積極的に拾って表現するべき。
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今回は男性にもるい役を読んでもらったのですが、男性が読む女性役には独特の
あたたかみやまろやかさが出て面白いですね。
むしろよっぽど女性らしさを感じられたりもして(笑)
女優がしぐさを学ぶなら女形から盗むのが一番だと、常々私は思ってきましたが、
それに近いものを感じます。
すでに読みだけでは飽き足らず、実際に動いて演じたいなんてご要望も上りつつ、
次回は『顔』の一番目のクライマックスシーンへと入っていきます。
おとなしそうに見えてこの物語、演ずるには思う以上の熱量が必要だということが、
次回でわかるかナ。
男性役にとっても、実は核になるシーンですからね、次回は逃せないブロックです。
自分を傷つけた男を恋しがるなんて反転が、女心には本当に起こりうるものなのか。
『顔』とは何を意味するものなのか。
そんなあたりを予習しておいていただければと思います。
掛け合いのセリフの妙味がわかりはじめてきました。
>台詞は「サンドイッチ」で
一つのセリフの中で、いくつも気持ちのスイッチが切り替わっている箇所の解説と、りょーこさんの軽く言っているセリフに
圧倒されました。流石です!。
大変、面白かったです!。
殿方が、るいのセリフを読み上げる回に居合わせたかったです。次回、聴けるかしら。
楽しみにしています。わくわく。
ありがとうございました。
戯曲解釈だけではなく、心情を表現する台詞の読み方も教えていただけてとても勉強になりました。
このまとめをふまえて、もう一度戯曲を読んでみようと思います。
今回も素敵な時間をありがとうございました!
あと1ヶ月、きっともっと色んな発見があるのだと思うとワクワクします!
次回はいよいよ山場ですね!見逃しがないように改めて読んでいきます!
ふだんの会話の中では、みんな自然にころころスイッチを切り替えて喋っているのに、
それが台詞となるととたんに再現できなくなるのが、芝居のやっかいなところですよね。
逆を言えば、これを意識するようになると日常でも説得上手になるかもしれません。
詐欺師なんかはテクニックとしてこの手法を知ってるんじゃなかろうか(笑)
こうして文字にして、るいの人生の歩みをまとめている内に、
あたしもこれまでになかった気持ちが湧いてきました。
ずいぶん可哀想な人だったんだなあと。
次のブロックで、最終的にるいは泣くじゃないですか、園子夫人がもらい泣きするほどに。
あれが唐突に感じられていたんですが、全然そんなことはなかったですね。
るいの容姿コンプレックスは、人生の可能性を潰すほどだったんですねぇ…
次回、みなさんにもこの感じを掴んでもらえたらいいな〜。
女なら誰もが身につまされるんじゃないか、と期待してます(笑)
今は解釈中心の時代ですが(笑)これから徐々に表現のレクチャーも増やしていきますヨ。
早く自在に台詞をあやつりたい!と思っていただけることが大切なので、
おうちで声に出して読むことは非常にオススメします。
肉体を通すと解釈もまた進化しますしね。
次回のブロックは凄い密度ですヨ。
るいの気持ちは嵐のように乱れ、あげく反転してしまうわけですから。
女心の魔性、ってやつでしょうか(笑)
芝居をやっていて一番醍醐味に感じることは、
やっぱりこういう、自分の人生にはない気持ちの変遷を体験として落とし込めることかと、
思います。
まあ、そういう作品もなかなか少ないんですが、
出会えたときには、自分に厚みをつけられる大チャンス、というわけですよね。
このホンは十二分にそういう体験をさせてくれるものです。
自分の告白だと思って、るいの台詞を読んでみてください。
うわぁ〜そう言っていただけると、本当にうれしいです。
続けても意味ないな、ぽいっ、
って思われるかたが増えるんじゃないかとビクビクしていた、
図太く生きられないアテクシなので。(うそつけっ・笑)
段階があるのでねえ、
やっぱり基礎の基礎をものにするということには辛抱がいるのです。
辛抱はジャンピングボードだということに、気づけないかたは多いですよね。
我慢しきれなくなって、どこへ向かうかという目標そのものを投げ出してしまう。
あたしもよくあります〜(- -;)ゞ
ローマは一日にして成らずで、逆に言えば時間をかけたものは何でも強いんですよね。
視点が変わったことに気づかれたのは、けいかさんがブレないからですヨ。
もっと知りたい!って、いつでも思ってるでしョ。
それって、どんな仕事・どんな出会いにも勝算を見込める重要な資質です。
そんな思いにお応えできるように、ハイ、講座はだんだんハードになっていきます(笑)