2017年02月23日

解釈ってやっぱり「核」なのよ

pandra06480.jpg

劇団離風霊船ザ・ポケット公演『パンドラの悩み』
ご来場くださいましたみなさま、 本当にありがとうございました。 

終わりました〜。 
暮れの稽古初日から千秋楽まで、日を追うごとにハードになっていった、
とてつもない公演でございました。 
 
今回はリブレには珍しい、いやもしかしたらほぼ初?か? 
というオムニバス形式の3作品。 
第一話『駆けつけ警護』 
第二話『異邦人』 
第三話『自信のない男』 
 
山岸はこの第二話に出演、
劇中でタイトルになっている「パンドラ」というワードが何度も出てくるし、
作品全体のテーマ曲がまた “異邦人”だったりということで、
なにげにあからさまな(笑)プレッシャー感じつつ、
また役が役でしたのでねえ〜、
冗談抜きで身体のコンディションを整えるのが仕事の大半という過酷な現場で…
 
もうあのセリフと切り替え芝居のおそろしい圧力から永遠に開放されたと思うと、
ほんっっっっとにホッとしてます〜。
 
早乙女純子という2017年の裕福で幸せなご婦人の脳内に、 
早乙女ヒナという2217年の反乱軍の女戦士が突如タイムリープ。
全編に瞬時の切り替えを要求された二役でした。 
 
そう、ヒナさんは人類を支配するAIパンドラの魔手を命がけでかいくぐって、
一か八かの決死行で200年の時をさかのぼって来た、戦士、だったのですよね。 
 
初めはここがわかっていなかった。 
 
周りから、二人の人物を演じ分けるなんて簡単に出来ることじゃないんだから、
違いは見せないほうがいいと言われて、
キャラの差をつけずに進めてきた稽古でしたが、どうも違う…
 
その違和感は日に日に大きくなり、
小屋入り直前のオフの日にもう一度ホンをよく読みなおしてみた。 
 
そうしたら、ヒナという女の思いが、 
自分の先祖の造ったAIが人類を窮地に追いやってしまったことへの悔恨が、 
そこからなんとしても抜け出さねばならないという強い意志が、情熱が、
自己犠牲の思いが、 
せつせつと胸に迫ってきた。 
 
そうしたら、ねえ、純子と同じ、しおしおとたおやかに女らしい、
そんなところで生きている人じゃないと確信しちゃいますよね。
そうしたら、もう、演じ分けも何も、そんな役者の技術の問題でなく、
まったく違う人物になって当たり前じゃないですか。 
 
本読みって、解釈って、本っ当に大事だわ〜。
 
台詞の繰り方と演じ方ばかりに追われて「物語」を全然読めてなかったんですね。 
ホンの中に、ヒナと純子の思いが、これだけちゃんと書かれてるじゃないかよぅ、
小屋入り三日前の、この土壇場での発見。
間に合って、ほんとよかった!
 
後はもうヒナさんの意思に山岸の心を預けてみたのです。
あなたはどうしたい? 
どんなまなざしでものをみつめたい? 
どんな声で何を話しにきたの? 
あなたの必死の思いは、どんな身体の動きを呼ぶの? 
 
写真は、自分で作った純子とヒナの切り替え用設計台本です。
普段は明かさない企業ヒミツですが(笑)
この教室にご興味を持ってくださったあなたのために、特別公開です。
 
ヒナさんの強い意志、その流れをこうして書き留めてみたら、
女二人の在り方が通っちゃった。 
どうしたらよいか困惑していたラストのオチまで、ハッキリつけられた。 
 
オフ明けの稽古ではこの設計図を抱いて、いきなり、
さながら宝塚の男役のような、強い強いヒナさんになりました。
男っぽい女を意図したわけではなかったんだけど、自然とそうなって、
そうなるほどにしっくり来るのを感じました。 
 
それまで何十日もかけて造ってきたもの全部、一日でひっくり返しちゃったんで、
みんな相当に驚いたと思います。
 
バッシング覚悟だったけど、もうそんなものどうでもいい、
誰が何と言ってもあたしはこのヒナさんを生きる、そう決めていたので…
 
そうして、ラストから二つ目のセリフ、 
 「パンドラがなくなった世界がどんなせかいなのか、ママ、楽しみだわ」 
これはもうどうしても泣きながらしか言えないセリフになってた。
自分でも意外でしたけどね、自然に感極まるところまで行けるとは。 
でもそれをみて、もう何も、誰も、言いませんでしたね。 
 
その瞬間、この物語の感動点がハッキリ解かったのです。
すべてこの一点に向かって昇っていけばいいのだと。
 
そうして、現場の空気も…この作品と自分の役に対するそれぞれの覚悟…も、
その時からガラッと変わった気がしました。 
あたしが失敗の出来ない旅に出たことを感じてくれたからではないかと思います。 
自分も続くと、思ってくれたからではないかと。 
 
本当に本気になると、人間ってほんとに周りの音はどうでもよくなるんですね。 
そこからは、いつも真っ直ぐ前しか見ていなかった。 
ヒナさんが日常にもしょっちゅう入ってくるの、感じてました。 
そうして、そんなヒナさんが現れてくれたから、 
純子さんもどんどん生き生きと喋るようになっていった。

ギリギリまで純子の感情のままで居て、
限界の寸止めでヒナの心と身体に切り替わる、もちろん逆も真なりで、
これがまた対立した考えの二人なものだから、
ほんとにも〜、この身を入れた切り替わりの度に寿命が縮んでましたが(笑)
お客様はすべて爆笑してくださいました。

何よりなによりのご褒美。
役者のカタルシスはそこにこそ有り、そこにしか無い。
でもそれは特大のそれで、削った命を倍にして戻してくれるのです。
 
いとしい愛しい、二人でした。 
出逢えて、本当によかった、たいせつな作品になりました。
  
 
 
とまあ、ことほどさように、
「解釈って、やっぱ役づくりの核よ」 という長〜い例えでした(笑)
 
3月6日からは、本読み教室もいよいよ春クラスが始まります。

余勢を買って、King of comedy ニール・サイモンの戯曲に挑戦。
凄い楽しみです〜♪♪♪
 
『パンドラ…』で摑んだもの、ぜんぶ、
受講生さんにさしあげますからネ!

無料体験もできますので、みなさんどうぞお気軽にいらしてください。
 
 
山岸






2017年01月03日

あけましておめでとうございます

2017.jpg

新しい年が始まりましたね。

みなさま、どんなお正月をお過ごしでしょう。



本読み教室も、おかげさまで昨年は本当に充実した1年になりました。

2015年秋の『顔』から始まって、
『隣の花』 『芝浜』 『ロミオとジュリエット』 『卒塔婆小町』 『たちきり』 『驟雨』 と、
気づけば7つの物語をひもときました。

どの作品も本当に、書かれていたのは驚くほど清らかな世界でした。
知れば知るほど究め足りない思いがするのは、公演の稽古と一緒ですね。

解釈したいホンは、あとからあとから出てきて、選びきれない思いですが、
さて、今年はどんな旅に出ましょうか。



季節を追うごとに、どんどんたくさんの方と出会えて、
正直、1年後にはなくなっていることも覚悟して始めた教室でしたので、
今こうしてみなさんが笑顔で通ってきてくださることの感慨が、深く身に沁みる新年です。

物語の一つひとつに、思い出す顔があります。
纏っているのは、美しく、いとおしい記憶ばかり。

そうしてお一人おひとり、またきっとお会いしたい方ばかりです。
今、あなたは何をしていますか?



出会ってくださったみなさま、本当にありがとうございます。
そうして、これから出会ってくださるみなさま、心よりお待ちしております。

今年の教室は、春の光がきらめきはじめる3月から、はじめます。

2017年も、健やかに。
また一歩ずつ、進んでまいりましょう。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。




本読み教室 山岸諒子








2016年03月01日

恋の手引きで。

d_juliet01a.jpg

春のクラスを始めて6週間がたちました。
みなさんの熱い心に後押しされて、夢中でここまできたけれど、
ふと立ち止まればあと4週。。

来週からは本格的に自分の劇団の公演稽古が入ってきますし、
4月になれば、教室は初夏までお休みになるのです。

それを思えばなおのこと、あとひと月でみなさんにどれだけのものをさしあげられるのか、
まだまだ、もっともっと!
気持ちばかりが前のめりになって困ります。

あと4週間、とは。
なんだか、春が来るのがこわい。

不思議なものです。
だって、去年の今頃は自分が教室をはじめるなんて思ってもいなかったんだから。
それが今こんなにも愛するものになっているなんてことも、夢にも思わなかったんだから。

というか、こんなにも愛せるものにめぐり逢えた、その不思議に、
打たれているのかなー。

ほとんどが見知らぬ人たちとして、初めまして、から始めているのに、
そういう人に、こんなに想いをかけられるという不思議に、かなー。。

感じているのは、出会いの妙。
よくぞみつけて、尋ねてきてくださった。

たどり着いても続かないご縁もたくさんあったのだし、
それを思うと、会うたびに心の糸を縦に横にと紡ぎ合えている、
これはほとんど奇跡です。

定点にいて待つ身には、その有り得なさが、よーく解かった半年でしたね。


講座は3クラスともかなり深まって、個別の記事にまとめづらくなってきています。

企業秘密的な内容が増えているので(笑)ということもあるけれど、
何より、『ロミオとジュリエット』と『隣の花』の読み解きが、
自分の中で渾然となってきているのが大きな理由かもしれません、
どっちにも共通することなので、どちらかを選んで書けない、というようなね。

どちらも恋がはじまる物語。

そしてどちらも、障害にはばまれた恋。

偶然なんですけどね、
なんだか蓋を開けたらどのクラスでもこの問題と向き合う羽目になってるのが、
お、おぅ?(笑)

ただ、物語が目指す観客席への置き土産は、真逆です。

ロミジュリは、至高の愛、愛の信念を問いかけてくるお話なので、
最終的には宗教的とすら言える人間の崇高の極みが迫ってくるわけで、
まともに触れたら人生観すら変わりかねない強いパワーのある物語。

隣の花は、もっとナマモノな世界、
日常がいかに危ういバランスの上に成り立っているものか、
逸脱させないものは何なのか、それは果たして真に大事なものなのか、否か、
という、軽々しくみせながら多分にシニカルな大人のお話、ですのでね。

その違いは、横たわる障害のビジュアルを見ても一目瞭然。
ロミジュリの間を阻む壁は、こーんなに高い。

dicksee_RM.jpg
 とりあえず、いっこらせっ…
 とよじ登らなければ、
 ジュリエットには触れられない。

 つま先だけで自重を支えるなんて、
 若者にしかできまへん(笑)

 一方で、隣の花の両家を隔てるものは、
 低くて軽い竹垣ひとつ。

 その気になれば、ひょいと跨ぐことも、
 でいっ! と蹴り倒すこともできちゃう、
 有って無きような便宜的結界。


 しかし、どっちのほうが高い壁かといえば、
 これはなかなかに深い問題。

 簡単に蹴りこくれるような境のその向こうに、
 魅惑の花が、
 たまらん風情でふっくりとひらいていたら…

 あーたは花泥棒にならずにいられますか?



という、ドSにもほどがある選択に、悶々と懊悩することになるわけですから。
大人の日常は、すべてこの闘いかもしれませんが。(笑)

阻まれる恋のことを考えていたら、なんだか『椿姫』が読みたくなってきました。

隣の花には『マノン・レスコー』に触れたセリフが出てくるけれど、
ちょっと前までは雛子のようにファム・ファタールに憧れた自分もいたけれど、
今は『椿姫』が、
やけに気になります。


恋って、なんなんでしょうね。

したいからってできるものでもないし。
周囲は絶賛する存在なのにまーるで心が動かないことだってあるんだし。

本当に、
落ちるもの。

もう二度とするもんか!と誓っていても落ちるもの。
さすがにもう無いと思っていても落ちるもの。
だめだめダメ!と思っていても落ちるもの。。ってダメと思ったときはもう落ちてるのか(笑)

意図せぬうちに、気づいたらもう囚われて、抜け出せなくなっているもの。

  〜ひとりのかよわい娘の中で分別と情熱が格闘している場合、
   我々の経験からいって、9対1の割合で情熱が勝ちをおさめるな〜

                  シェイクスピア 『からさわぎ』

恋をすると詩人になるよね、とは教室で出た話題ですが、
だからロミジュリはセリフがやたら詩!だったりもするわけですが、

芸術はもとより命までも、万物を生み出すエネルギーであるがゆえか、
世の中でもっとも厄介なものでもあるかもしれません、恋は。

そうね、パワーないとできないものだから、
その意味では、恋に落ちる力があるうちは安心していいのかもしれない、
生き物として大丈夫、みたいな?

えーっじゃああたしダメじゃーん!とガヨーンとなるのは早計です。
だっていつ落ちるかわからないのが恋だから。

      〜驚きだ、いつも目隠ししているくせに
       恋の神は見えぬまま思いどおりの的を射る〜

               シェイクスピア 『ロミオとジュリエット』

恋には賞味期限があるけれど、恋する気持ちには、それはない。
いつだって新鮮な罠は待ち構えているのです。

罠にハマればもがくことになるのは必定だから、
仕掛けがありそうなところには近づかない。
あるいは、よほど強力な罠でなければ、かかることはない。

まあ、それも、わかる。
けれど肉体の旬というのはあるのでね、まぎれもなく。
器が丈夫なら、火傷するような熱さも御馳走にできるのです。

いっぱいしたほうがいいですよ、一度しかないんだから人生は。
それも、苦しい恋ほどいいね。

       〜真の恋の道は、茨の道〜

               シェイクスピア 『夏の夜の夢』

人間大きくなりまっせ(笑)


先週は、ボディクラスも『ロミジュリ』と連動し、
マキューシオのセリフを使って、つか風の見得切りをやったりしました。

今の人ってみえきり、知らないのね、やって見せたらわーっと吸い込まれたようで、
夢中になって習得に躍起になってました。
気持ちいいからね〜見得切りって、芝居のケレンの全てがここにあるの。

今週のメンバーなら、何をすることになるかな。
恋も芝居も人生も、運命を決めるのはアドリブだったり。

そのアドリブが美しき裏目ばかりを引いていったのが、『ロミオとジュリエット』。
『隣の花』は、アドリブに飛び込んだところで終わります。

いずれ必ず散るのだけれど、それでもなんとか咲かせたくなる、
小さなちいさな花にすぎなくても、きれいにひらかせてやりたくなる、
それが、

恋。

考えただけで疲れるけど(笑)
厄介すぎて惹かされる、げに厄介な謎の華です。


 
 ジュリエット

誰の手引きでここへ?

  ロミオ
恋の手引きで。

とにかく君を尋ねろとそそのかしたのも恋、
智慧を貸してくれたのも恋、僕はただ目を貸しただけ。

僕は船乗りではないけれど、
これほどの宝を得るためなら、たとえ君が
最果ての海に洗われる岸辺にいても危険を冒して海に出る。


         『ロミオとジュリエット』 第二幕第二場





2016年01月01日

初春ですね

あけましておめでとうございます。

旧年中は、みなさまには本当にお世話になりました。
心より、ありがとうございました。
おかげさまで、たくさんのフレッシュな出会いにめぐまれた記念すべき年となりました。

今年もその勢いのままに、
みなさんと喜びに満ちた時間を紡いでいけるよう、
私も精進いたします。

どちらさまも、晴れやかでうららかな1年となられますように。。


20160101.jpg

本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


リブレ本読み教室  山岸 諒子








2015年08月12日

夏の夜の影


bon01.jpg

盆の入り。
この時期にはお祭が多いですね。

盆踊りって、ほんとはお面をつけてするものだったって、ご存知でした?

もともとは、今のような人々のためのにぎやかなイベントではなく、
この世を訪れるご先祖さまのみたまや土地の精霊をなぐさめるための、
神事(かむごと)だったんだそうです。

踊りも、ぼんやり灯した明かりのもとで、人々が輪を作ったり列をなして、
しずかに、単純な振りをくりかえすもので、
お面をつけているので、どこのだれかは誰にもわからない。

うす暗い中で、揺れる人並みは影のようにしか存在しえず、
もしもそこに本当の影が来ていたとしても、お面にまぎれてしまえる。

みたまもいっしょに踊れるように、この世と異界が結ばれる、
年に一度だけの特別な時間が、盆踊りだったんですね。

そういえば、子どもの頃から、
お祭の夜店でお面を売っているのが不思議でならなかったんですけど、
もしかするとあれは、この名残りだったりするんでしょうか。

盆の入り。

けれど私はあの日から、お盆が一日早くなったように思えています。

8月12日。
もう30年ですか。

私にとっては、なぜ芝居を続けるのかを毎年問うてくれる日です。
理由は ここに あるんですけどね。

ひっそりと、お面をつけて踊る、そんな輪がどこかにあれば、
いつか私も混ざってみたいです。