2015年11月19日

音の魔術、官能の発見

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全編エキゾチックな『顔』ですが、先週はなんと和のテイストを試しました。
それも、劇中もっともセクシーなシーンで。

受講生さんの中に京都ご出身の男性がいらしたので、例のイケナイ貴公子、
京野精一を京都弁のアクセントで読んでもらったのです。

関西の声音は、女を口説く局面では最強のパワーを発揮しますからね(笑)


 京野失礼ですが、奥さんは土屋三郎君のお姉さんじゃありませんか?
 園子いいえ。
 京野
そうですか。それはどうも・・・。小倉と言うのは僕の友人なんですが、ちょうどその姉さんが土屋という姓になっているという話で思い出したんです。
 園子土屋なんていうのは、ざらにありますわ。
 京野そうでしょうか。でも、姉弟のように似ているというのは、そうざらにはありませんよ。また、失礼かもしれませんが、小倉っていうのは、奥さんそっくりですからね。

気位の高い年上の人妻、園子が京野のペースに絡め取られていくシーン。

「そうですか」の語尾の、ふわっと宙に放り上げるような関西ならではの音が、
するりと猫のようなやわらかさで耳に忍び込んできます。

「それはどうも・・・」の余韻には言葉以上の含みがかもし出され、京都弁独特
のゆったりした間合いが「奥さんそっくりですからね」というセリフに心地よい
粘り気を与えて、園子に対する距離が標準語よりはるかに近く感じられました。

あのアクセントでゆっくり話されると、耳が聴きにいっちゃうんですよね。

なんなんでしょうね、ごく普通の問いかけなのについ従順になってしまうような、
ある種のスリリングさがあって、ちょっとゾクリとする。
あれは不思議な感覚です。


そんな京都の音にしたことで、京野の女馴れしたちょいワル王子ぶりが鮮やかに
なり、壁ドンならぬ壁ジリジリ(笑)といった大人のエロティシズムが匂い立つ
シーンになりましたよ。

京言葉などという雅は、異国の香りがあふれるこのホンにはまったくはまらない
水と油かと思いきや、明らかに違う階層に生きている人物だということまで見え
てきて、作品の奥行きがリアルに感じられたのが面白かったですね〜。

こういうことは、教室ならでは実現できる試みですよね。
他の役も別の地方の言葉に変換したら、また違うものが見えてくるかもしれない。
それ、かなり楽しそう〜♪

先週まではクラスの男女比がくっきり分かれてしまっていたので、土曜昼クラス
はレスボス島のごときたおやかな様相(笑)でしたが、今週から男性が参加され
ますからいよいよ京野と園子のパートに入れますヨ、おたのしみに。


方言というものはセクシーなものです。
標準語のような均し加工がされていない土地の気分・ノリに根ざした言葉なので、
取り繕いがない分だけ官能的なんですね。

お国言葉を持っているのはバイリンガルってことですから、役者には強味ですヨ。
きれいな標準語を話すのと同じぐらい努力して、失わないようにしてくださいね。

くだんの京都弁も、初め標準語モードが残っていた時にはならではのセクシーさ
はまだ出てきていませんでしたから、気分を変える仕掛けが必要なわけで、そこ
でモノを言ったのが体内時計だったわけですね。

役の時計の問題、ね、忘れないで。
自分との間に乖離を感じたら、ひとまず身体で調整しましょう。
スウィングだけじゃないですからね、るいのセリフなどは8ビートや16ビートも
必要ですから、クール後半戦ではその域にも入っていく予定です。

…受講生さんじゃない方々には、何のことやら???ですよネ。
いやいや時には、こうして企業ヒミツもまぶさないとってことで(笑)
ご興味があるかたは、いつでもお気軽に遊びにいらしてください。



さあ、11月も第三週ですか、秋もいよいよ絢爛ですね。

まさかこのホンの話で、和の扉絵を持ってこれるとは思ってなかったけど、
これも受講生さんたちからいただいた、ゆくりなき美しい進歩です。

燃え映ゆる錦の河を、時の舟に乗って、ゆるりとのぼっていきましょう。





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2015年11月10日

こころを預ける。身体で預ける。

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『顔』冬のクルーズが始まりました。

新しいみなさんもおみえになり、教室も新宿三丁目に移って、
おさらい会から続けてすぐとは思えぬ、フレッシュすぎるすべりだしになって、
はぁ〜満足まんぞく(笑)

3つのクラスとも、嘘のように楽しい時間になりました。
というのは、朗読なのに身体を使ったからですね。

はい、今期は身体と声の関係を探ることがテーマの1つです。

朗読って文字だけを追う行為ですが、
それはすべて頭の中で実感を再現していくということであり、
どれだけイマジネーションを働かせられるかが問われるわけで。

これがむずかしい。
想像できている気がしているだけで、
実際には文字を音にしているにすぎないことが、ほとんどなのですねぇ。

こころの温度を声だけで伝える、これは意外に出来ないものです。
というか、語りものは、実はもっともむずかしいジャンルかもしれない。


リーディング公演ってだいたい、稽古時間をかけずに手軽に上演できるもの、
というイメージじゃないかと思うんですが。
芝居の前段階としてあるものというような…私なども以前はそう思っていました。

が、これもしかしたら逆かもしれないなと、このごろは考えるのです。

本来は、造った芝居から身体を削いで声のみで表現するもの、つまり順番が逆、
ぐらいの厚みが、いるものなんじゃないだろうか。
そこを省くから、筋書きだけは分かったけれど…ということになりがちなのかも、
と。

まあそうなると、朗読のほうがよっぽど手間がかかることになっちゃうので、
とてもじゃないけど興行に乗せるのは無理ですわね。
でも、ということは、こういう教室ではそれが出来るわけ、ですよ(笑)

実際そこを目指すかどうかはまだ分からないですが、
今回は、相手役とのこころの距離を掴んでもらうワークをやりました。
そうしたら、ええ、もう笑っちゃうほど、それは見事に全員変化しましたよ。

これは面白かったですね〜。
肉体って、やはり侮れないものです。
形が生み出す功能をあらためて再認識できて、個人的にも新鮮でしたが。

体験したご本人が、ご自分の可能性の扉がパーッと開いたのを、
一番感じられたんじゃないかと思います。

顔がとたんに明るくなるんで、見ていても本当に嬉しかったです。
やっぱり、自分で発見していくことが、芸は肝なんですよね。。


初参加のみなさんからは、これまでとはまた違ったリアルをいただけて、
教室には、わ〜とかああーとかの声がしきりに上がりました。

そうして、9月からのメンバーが繰り出す読みからは、
この教室が積み上げてきた解釈の軌跡を体感していただけたようで、
彼らもちょっと誇らしく見えました。

敬意と親愛と。
ここにあるのはそんな往還です。
もうみんな一度で馴染んでしまいました。

それもこれも、新しく参加してくださったみなさんが、
きちんとテキストを読み込んで、このサイトを読んで(笑)
みっちり予習してきてくださった努力のたまものです。

ご自分で打ち出してこられた横書き台本には書き込みがビッシリで、
なんと有り難いことかと、、こころから、
敬服しました。

そうして…うん、おさらい会、やってよかった。
みんな格段に変化していました。
他の人の読みを聴いて、意欲的に盗んだのがちゃんと出てた。
それを今期のクラスで試したい!って気持ちで、みんなキラキラしてた。

そんな彼らですから、新しい出会いはもはや大好物ってことでしょう(笑)
ここに集まる人たちは、みなさん貪欲です。
欲望が、ネ、世界を回していくのですよ。


今週は、さらに“肉迫”していただきますからね、
うふふふ。
相手の力を借りて、きっとまた新しいご自分に出会えます。

たのしく濃密に、まいりましょう!


そうそう、こういう稽古なら途中参加でも全然大丈夫だと気づきました。
予習は必須ですが。

応募条件には、全6回参加できる方とあげましたが、
少しでも多くの方に役にアプローチするこの方法を知っていただきたいので、
どうぞご遠慮なくお申し込みください。
今からでも間に合います-☆





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2015年11月04日

楽園、そして始まる冬のクルーズ

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〜『顔』秋のクルーズ〜 は、先日無事に、目的の波止場に入港できました。

二カ月間の航海の軌跡をみんなで確かめあう、
おさらい会をしたのです。

それはまた、教室の全貌が初めてわかった日でもあり、
なのにいきなり初めましてのメンバーとお手合わせとなった会でもあり(笑)

ドキドキの高揚感であふれつつ、同じ志で結ばれた安心の親密感にも包まれつつの、
とても華やいだ時となって、着いた波止場は楽園でした。
嗚呼、ほんとうによかった。。

全3組で読んだんですけどね。
つまりは自分の役を、他の2人のキャストとしっかり比較することができたわけで、
こういう機会もありそうでないものなので、実際、相当におもしろかったです。

なにより、『顔』って実は随所に可笑しなセリフがあるんですが、
まさかこの一回目のリーディングでそれが出てくるとは思わなかった。
爆笑でしたもの。

来春ぐらいには到達できるかなーという予測でしたから、
これは今から先が楽しみになりました。

どの役も通しで読むのはほぼ初めて、という緊張する状況でもあったので、
いやがおうにもその人の本質的な素のようなものが見える、
というのもまた、スリリングかつエキサイティングで、
きれいで緊密な空気のおさらい会でもありました。

ことに、年代が上の方々の読みは、技術などの以前に人生の味が、
ほうっておいても湧き出るので、それはもう個性的で。
あのリアルには敵いません。
役づくりって何なんだろうなあ、なんて根本的な問いを投げかけられましたねぇ。

一方で若い人たちの読みは、必死のエネルギーを全身でぶつけてくる感じで、
え、稽古でやったのとぜんぜん違うじゃん!という良い意味での裏切りを、
ほとんど火事場の馬鹿ぢからの様相で(笑)いっぱい見せてくれて、
いや〜これも面白かったです、強烈にフレッシュでした。

うちの江頭一晃も、ブログにおさらい会のことを書いてくれましたヨ。

蓋を開けてみたら金土と連チャンで参加し続けてくれたエガちゃん、
あたたかい援護射撃、ほんとにありがとう!


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秋のクルーズのクルーたち。リッチにバラエティに富んでます。
ピースの彼がエガちゃん。うちの伊東センセイ(あたまがプードル・笑)も聴きにきてくれました。

お仕事の関係で直前に船を降りられた方々もいらして、残念だったんですが、
どうぞいつでも気軽に帰ってきてくださいね。
〇〇さんはどうしたんですか?ってみんな気にかけてる、もはや仲間ですから。

そうそう、締め切りの関係でおさらい会へのご参加がかなわなかった漫画家さんが、
解釈をつづけてこの作品の‘本読み教室流物語’を発見したことで、
『顔』、こんなに面白かったとは、、イラストを描いてみたくなっちゃった、
とおっしゃってらして。

描いてください〜、ぜひぜひ。
みなさんのスーベニールとも、冬のクルーズのお守りともなってくれますもの。

そう、この二ヶ月の航海でみつかったみなさんそれぞれの特性は、
次に始まる冬のクルーズの海図になるのです。

もう今週末からですね。
時代をひとつ進めて、みっちりじっくり手を入れていきましょうね。


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おさらい会後のおたのしみ懇親会、というか打ち上げ。
地方の仕事から駆けつけてくれたうちのベテラン小林が、
我慢できず‘男’を初見読みしたらとんでもないことになって一同爆笑の図。

とにもかくにも、みなさんがとっても楽しんでくださって、
ほとんどの方に継続を申し出ていただけたので、ホッと、というかもうドッと、
安堵しました。

そうして打ち上げのあとに、私は独りで稽古場に残りました。
いただいた幸せの余韻を噛みしめながら、時間をかけてお掃除して、
始発で帰りました。

が、週末からの冬のクルーズに向けて、すでに緊張はマックス、
心地よいお疲れモードに浸っているばやいじゃナイナイ(笑)

新しく乗船されるみなさんも、たくさんいらっしゃいますからネ!

キャリアをお持ちの方も多いので、おたがいかなり刺激になると思います。
またみんなで佳い旅になるといいですね〜。
私も励みます。

…次の航海では、ちょっと枠にとらわれない実験的なことをしようと思ってます。

ある部分では、本読みももっと深めていくことになります。
解釈を実践に結びつける旅が始まる、という感じですね。


二ヶ月間、おつかれさまでした。
そして、はじめまして。

解釈って面白い。
表現って本当に楽しい。

この喜びを、少しでも多くのみなさんと分かち合いたい。。
メンバーはみんな、同じ思いです。

あまりの楽園ぶりに、土曜の夜のクラスを増設しました。

もったいないので締め切りは作らないことにします。
一度ぜひ覗きにきてください。


あらためまして、みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。





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2015年10月28日

面舵いっぱい、きらめく海原へ

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読み解きも最後まで進んで、講座はいよいよ表現の時代へ。

ここからは…企業ヒミツなのであまり具体を書けないのですが(笑)
解釈をもとにそれぞれの「伝わる表現」の実現に向けて、新たな舵をきりました。

みなさんの声は、もうだいたい分かっていたはずなのに、
あらためて読んでいなかった役を当たってもらったところ、
思いもかけないほどフレッシュな声が続出。

あらま〜、この人は実はこんなに大人だったのね、とか、
うわー可愛い!とか、ありゃりゃりゃセクシーじゃん!とか、
鈴をころがすような声とはまさにあなたのことよ!とかとかとか、
意外な発見がたくさん出てきて、うれしい驚きに満ちた第六回となりました。

それもこれも、ここまでこの『顔』という戯曲に真剣に向き合い、
イメージを膨らませ、ご自身との融合をさぐってきたことで生まれた賜物です。

解釈のベースが出来ているので、こちらからの提案やアドバイスへの理解が早い!
ここは愛情たっぷりにね、とか、もーっとゆっくり喋ってみて、など、
ちょっと整えただけでこちらの予測を超えるものが出てきます。

そうしてみなさん、のびのびとセリフを繰れるようになってきているのが、
わ〜よかったぁ。。

もちろん、課題はまだまだたくさんあるんですが、
キャリアのある人もそうでない人も、この教室では横並びですからね、
みんなでリスペクトしあって役を探っていく楽しみが、
恥ずかしさや自意識を少しずつ溶かしていっているようです。

そう、ここではみんな、よく誉めあいます。
ダメだしよりも、それぞれの佳いところをみつけることが、まず大事。

何につけ「素直」がもっとも能力を伸ばすわけですが、
自分を信じることなくしてそれは持てないので、
おたがいが鏡として有機的に作用しあえているこの状態は、なかなか、
いやかなり、イイんじゃない?と、手応えを感じています。
これがこの教室の一番の特色かもしれません。

日曜は「おさらい会」です。

発表会と書いてきましたが、あ、違うわってことに気づいて名称変更です(笑)
人に聴かせるものではなく、自分の今を感じ、他者という鏡を覗く、
そのための機会なので、噛もうが間違えようが全然かまわないんです。

『顔』の世界を身体で感じることが目標ヨ。

ここから得られる、自分を一歩前へ進める経験は、
11月からの旅の---教室だけではなく、みなさんの実人生の旅においても
頼もしい道連れに、必ずなってくれます。
楽しんでくださいネ。

ああー、なんか、凄く希望のある教室になったなあと、
手前味噌ですが本当に日々実感して、なんだか身体も健康になってきました(笑)

待っているのは、さらにきらめく紺碧の海原です。
いつでも快晴!
クルーも元気!

なんてしあわせなことでしょう。。

この教室のことを考えるといつも、易の「天火同人」という卦を思い出します。

 志を同じくする者が集まり、協力して道を切り開く
 その先には喜びの旗が誇らしく翻る

帆にいっぱいの風をはらんで、面舵いっぱい、全速で進め。
航路は、希望経由―あこがれ行です。









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2015年10月21日

ブロック4:読み解きノート

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ブロックはいよいよ終幕に入ったのだが、ここへきて驚天動地の解釈が。

物語のすべてがひっくり返る仮説の登場によって、全員が解釈の本質というもの
を体験する奇跡と出会うことになった。


【園子に近づく京野】
■京野には人の心にしのびこむ才能・魅力がある。
るいの昔語りが残した濃密な余韻に絡めとられていつもより隙がある状態の園子、
そこにスッと近づく京野は彼女のそういう変化を感じ取ってそこに乗っている。

園子に対して何度も「小母さん」と言ってのける京野。
「不良ね、あなたは」と咎めつつ、園子は結局それを許している。
生意気と思った反面ほぐれて楽しくなったと、園子のセリフを喋った受講生。
京野のペースに降参したあとでは徐々に気持ちを預けるような風情が出てくる。

■園子「ああ、変な気持ちだ…」
これはどう解釈したらいいか、すぐには掴めないセリフ。
受講生からいくつか実感が出てくる。
□るいは気がおかしく昔語りも嘘かもしれない、と聞けば気が抜けたようになる
□あんなに一生懸命きいてあげたのにと少しショックに感じる

もらい泣きするほど心を乱されたことは事実なのだから、嘘で気持ちを掻き立て
られたとしたら真実とはどういうものなのか、何が真実と呼べるものなのか分か
らなくなり、園子からこのセリフが出る。


【京野とるいの日常】
「あたふたと現れるるい」
「あたふた」には園子への期待がある、感想を聞きに戻って来たのだと受講生。
確かに「お前の気持ちはよくわかる」ともあの時‘男’がどんな気であったと思うか
も、るいが希望する言葉は園子からひとつも得られていない。

■毎日同じタンゴをかけられることは京野にとっては苦痛。
若さをもてあましている京野、辺鄙な地に閉じ込められている鬱屈。
一方でるいの飽きずに同じレコードをかけ続けるところは気狂いっぽくもみえる。

■「折角お馴染みになったお客様が…そんなことが何時までも妙に気にかかり…」
るいはどうしてもすぐに話を船のことに持っていく。
京野はジャズを聴いているのにそのお喋りを止めさせようともしていない。
るいと京野には、乳母と若様のような日常が出来上がっている。

7行に渡るるいのこのセリフには特に中身がないことが謎。
短縮上演ならカットの筆頭に上るセリフ。
なぜこのシーンで京野と無関係かつ筋を進める内容でもないセリフを配したか?

受講生より、直後に登場する‘男’と‘女’に立ち聞きさせたかったのではという指摘。

‘男’は食事中などに、昔るいが同僚だったことぐらいは‘女’に話しただろう。
が旅先の男女の会話は他にもあり、話題としてはもう遠ざかっていたはず。
そこへ実際に船の話をしているるいに出くわしたことで、‘女’の興味が再燃する。

「(るいの後姿を見送って)やっぱりそうですか?」
‘男’の答えは「そうらしいね…」
‘男’はこの話をそう積極的に続けたいとは思っていない。

ここは、いよいよ例の出来事の真相が明らかになる、そのイントロ部分。
立ち聞きは、シーンを強調するときに用いられる手法だ。

この7行は作家が構成的な仕掛けをほどこした箇所、立ち聞きはこのあと舞台上で
明かされる事柄の重要性を観客に予感・準備させる効果を生む。
文字で読んだだけでは見落としがちな、立ち聞きという動作の発見はお見事。


【観客だけに明かされる「あの顔」の正体】
■‘男’は‘女’の素直で巧みな誘導によって昔語りを始める。
‘男’が‘女’に話して聞かせるのは、あくまで昔の同僚だったということのみ。
自分が乱暴をした相手だなどと女房に語るわけがない。

しかしその繕いぶりから、るいの話を聞いている観客は‘男’があの火夫だと知る。

観客の興味はるいがそれを知ることになるのかというスリリングな一点に向かう。

※この時点では、実はまだ‘男’が火夫と同一人物であるとは言い切れない。
本当に単なる同僚であったとして、ドライな人生模様をテーマとする余地もある。
しかしそれではドラマにならない(笑)という問題もさることながら、のちに出て
くる驚きの解釈により‘男’があの火夫でなければならない理由が発見されたのだ…

■「待て…(考えて)…おるい…おるい…そうだ。たしか、おるいだ」
これは表現として本当に考えるのか考えるふりをするのか、どちらでもアリ。
‘女’に対する意識がどのぐらいあるか、関係性が浮き彫りになるセリフ。

■p26の4行に渡るセリフにこの‘男’の真実がある。
殊に「…あの女は昔の俺に、火夫の俺に会いたかったと言うよ…」
この‘男’唯一の叙情ゼリフ。
これがこの‘男’を演じる上での肝。

このセリフには4つのスイッチがあり、‘男’は珍しくブンブンにブレまくっている。
いつもながらに理路整然と語っているようでいて、内容は実は支離滅裂。

「この俺に以前のことを知られているのが、ちょっと、やりきれないかもしれん」
「嫌かも」でも「都合が悪いかも」でもなく、「やりきれない」という言葉。
ここに‘男’の墓の下まで持っていく罪の意識が、微かに匂い立つ。


【‘女’の人間性】
■「何処で誰に遭うかわからないものね」
これがこの‘女’の真骨頂。

直後の‘男’の、
「お前なんかにはそれが何かのめぐり合わせみたいに思えるんだろう」
ここからこの‘女’の発言は‘男’にやすらぎを与えたことがわかる。
‘男’の支離滅裂な分かったような分からないような説明に‘女’はツッコまない。
かわいい女ぶりを見せて‘男’の気を変えてやれる。

この‘女’は頭がいい。
無学かもしれないが人の心の機微を分かっており、決して出過ぎない。
何より‘男’をだいじに思っている。


【何も知らないるい】
■直後にホールに入ってきたるいへの、‘男’の応対はこよなくやさしい。
男性受講者にこの心理を聞いたところ、やはりるいにどう思われてきたのかが一番
気になる、そこに許しはあるのか、負い目があるためつい様子を伺いたくなる、
と共に、いたわりやなつかしさといった思いを知らず知らずかけてしまう、と。

「わたくしどもは…でございますから」
このまるで同じ言い回しをるいが二度も続けるのはなぜか?と受講生より。
これはよい気づき。

るいはホテルの女中頭としてこの場にいる。
るいらしい謹厳実直さで、仕える距離をたもって「お客様」に接している。
目の前のこの‘男’が今も恋い続けている火夫だとは夢にも思わないままに。

わりないすれ違いを目撃することになった観客にとって、このるいは憐れ。

特にこのあとは、すぐに園子が入ってきて二階へ上りまた降りてきて新聞を読みは
じめ、その間に‘女’も二階へと上り、またすぐに京野がテラスから戻り園子を誘って
また外に出るという、ダイナミックで淀みない動きが書かれている。
るいと‘男’だけが定点に座ったまま動かない。

読んだだけでは何気ないやりとりにしか見えないこのシーンには、実は過去と現在
を対比させるゴージャスなグランドホテル方式の演出が仕掛けられている。

物語のスケールがもっとも出るシーンなのである。


【『顔』のクライマックスとは】
■‘男’はるいと二人きりの会話を持つ。
あくまで客として、しかし何処かるいに寄り添ってやっているような軽い会話。
そしてお定まりの、船にまつわるるいの長ゼリフが始まるのだが…

個人的に、何度も読むうちこの長ゼリには、るいの求めてやまない時間を与えて
やりたくなった。
すなわち、普通ならあの夜の出来事のあとにあったはずの時間----並んで寝転んで
星空を仰ぎながら身の上を少しずつ語り合うような、不器用であたたかい時間----
を、るいにあげたくなったのだ。

p29のこの8行のセリフを、‘男’にはやさしい共感で生き生きと受け止めて欲しい。
「ああ、そうだ」「うんうん、わかるよ」と、まなざしの合いの手で同じ時間を
共有して欲しい。
そうして初めてるいの心根に触れ、るいの世界と融合したときにこのセリフがくる。

「あの星の下で、人間が醜い争いをするなどとは考えられません…
たとえ、そこで、わたくしをだまし、わたくしに背いた男がいましたにしましても…。」

るいはあの火夫を許している。
これは人の営みの汚れをとび越え、ついに清らかな境地にまで至った美しい言葉。
お定まりにみせかけて、物語のクライマックスは実はここにあるのではないか…

るいはまるで、菩薩のようにそこにいるというのが私の解釈。


【反転してしまったラストシーン】
■「少し病院ですね、このホテルは」
ここまで、‘男’のこのセリフは「ここにいるのは傷を抱えた者ばかり」という意味
で捉えてきたのだが、るい菩薩説を聞いた受講生が驚きの解釈に到達する。

‘男’はるいの許しの姿に触れてものすごく癒されたはず。
とするならこの「病院」は、傷ついた者が集まる場所ではなく「傷を直すところ」
の意味なのではないか。

「まるでセラピーですね、このホテルは」と読めませんか?というもの。

教室は俄然色めきたち、この説で通るかの検証を始めたところ、セラピーから発想
を得た別の受講生が更にもう1つの謎の解を発見する。

‘男’がるいの許しの言葉に触れた直後、ホールに戻って来た京野が園子に言う、
「明日、あの鳥が生き返っていたら、僕の勝ちですよ」
この子供っぽさが彼には異質で、そもそもなんで急に鳥が出てくる?という疑問が
あったのだが、

鳥は自由の象徴と考えればそれが生き返ることには希望がある、
京野も園子も、傷が癒えて自由な世界に羽ばたくという夢を持ったのではないか、
それはセラピーとリンクするイメージではないか、と。

すると園子夫人の反応、
  男「少し病院ですね、このホテルは」
夫人(驚いて男の顔を見る)
これは、「あらま、あたくしも(そう思っていました)」という意味になる。

確かに、冒頭かなりシニカルだった園子は、るいの昔語りを聞いてもらい泣きし、
るいを気狂い扱いする京野に反発し、心臓の調子が悪いというるいを心配する、
という変容を遂げている。

思えばこれまで互いに長逗留しながらドライな距離を保っていた京野と園子が、
急に二人きりで行動をするまでに至ったシンパシーの通い合いも、園子がるいの
昔語りを聞いたあとに起きている。

京野が、るいのお喋りを拒絶していない訳も、乳母と若様のような独特の距離感
を許している理由も、るいに秘かに心地よさを感じていたからかもしれない。
二人ともちゃんとるいに孤独を癒されたのだ。

もっと殺伐としたクールなやり取りで読んでいただけに、ラストシーンがいきなり
清々しい様相になったのはにわかには信じられない反転だったが、たとえ誤読でも
この物語の「山」に肉迫できたことは、この教室のすこぶる大きな収穫になった。

『顔』は、知る限りこれまで4度上演されている。
昭和26年の新派での初演に始まり2002年には本家文学座でも打っているが、評価
はどうも難しいものだったようだ。

このホンはそれだけ厄介なわけだが、4本の芝居の解釈がどういうものだったのか、
読み解きのスペクタクルを経験してしまった身としては気になるところである。


【こじつけ解釈かもだが…】
■ここまでくると、るいを太った女に設定したことにも意味を見出してしまう。
菩薩はやはり、肉の豊かな女のほうがふさわしい。

癒しがテーマなら、海のように豊穣な身体は痩せた女優からは得られない説得力
を放つだろう。
そこまで意図しての設定だとしたら、岸田國士という人は、やはり凄い。

そしてこの設定を思うと、るい菩薩説はあながち誤読とも言えないのではないかと、
確信に近いものを感じるようになっている。


【るいを変容させたもの】
■それはやはり自然だったのではないかと、受講生から。
海があり星があり、それはまさに人間の力では変えようのない神の意思そのもの。
海の上で傷つき海によって癒されたるいは、今も、いつも海に抱かれている。

るい自身は、思い出に囚われたまま明日の望みもないデラシネのように、わが身を
感じているのかもしれないが、波に洗われて、るいは確かに大きな人間になった。

■受講生がイメージしたラストシーンが美しかった。

灯りを消してテラスに続くドアの鍵をかけようとしたるいは、
外から入ってきた‘男’と出くわす。
その瞬間、正面のガラス窓いっぱいに銀砂を撒いたような星々が瞬きだす。
波の音がとどろきはじめる。

20年ぶりに暗がりで出会った、るいと火夫。
そこは地上ではなく、まるで船の上のように見える。

火夫は黙ってるいの前を通り過ぎる。
星はいよいよ瞬きを強め、海はますますとどろく。
火夫はしっかりと階段を昇って、‘男’になっていく。

るいはその背を追うでもなく、船の上をゆったり歩きはじめる。
波の音とともに。
かすかに、遠い汽笛が鳴ってもいいかもしれない。



---------

解釈はひと通り、最後までいきました。
まさか、、こんな展開になるとは、誰が予測したでしょう(笑)

これだから読解は面白い。
戯曲は芝居の設計図であるとともに、気持ちの海図でもあるのです。
それを真摯に丹念に追っていけば、あらたな自分と出会うことは当然なのですね、
海に映しているのは自分の姿なのだから。

人と一緒に読むことは、人を見ることでもあるのです。
驚きの発見が、本当に思った以上にいっぱいあふれた、いい時間でした。

今週からは更に深く、抱いたイメージを身体に落とし込む段階に入ります。
どの役を、どんな声で演じたいか、夢をふくらませてくださいネ(笑)

11月から参加の受講生さんも、続々名乗りをあげてくださってますヨ。

Bon voyage!
菩薩さまのように広く大きな海の旅は、まだまだ続きます。












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