2016年02月19日

『芝浜』第四回:江戸に咲う(わらう)

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『芝浜』は先週で終了、いや〜最後に来て大爆笑の素晴らしいクラスになりました。

この日は、急遽の長い帰郷をしていた受講生のAYAKAちゃんが戻ってきてくれたので、
三喜子さんと麻早さんというベテランお二人に、志ん朝版を通しで読んでもらったのです。

この志ん朝版は、落語の王道中の王道、
華やかで随所に笑いの種が仕掛けられた構成のホンです。

それだけに難しいわけですよ、なにせ読みだけで笑いを取るというのは至難の技なので。

ところがどっこい、
熊五郎の麻早さんが歯切れのいいテンポで小ボケをバンバン飛ばしてきて、
そこへ女房の三喜子さんが、やんわりふんわりキビシイつっこみ!

もう、絶妙のコンビネーションに大爆笑です。

お二人はこの日が「はじめまして」のお手合わせだったんですが、
相性ってあるんですね〜。

芸の手は決してゆるめない三喜子さんの、
とってもやりやすくて乗せられちゃった♪ という、晴れやかな笑顔が印象的でした。

真摯でまじめな大人の女性二人ということが、むしろ男のリアルをまろく包んで、
安心して聴いていられるおとぎ話のような、スカッとした『芝浜』になりました。

最後のサゲで終わったときには、全員が心底大満足の拍手を送ってましたもの。
こんなことも初めてでした〜。

いや〜、お見事!
素晴らしかったです。

三月末のおさらい会では、ぜひこのお二人の『芝浜』をお披露目したいですね。



この日はまた、三喜子さんが「福茶」をおふるいまいくださったのです。
梅干しと昆布をタッパーに入れて、おいしいお茶と節分のお豆もご持参くださり、

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 ←例のこれを、
 みんなで初体験させていただきました。

 熊さんは、あんまり美味かねえな、なんて悪くち言ってたけど、
 おいしかったですヨ〜!
 それが証拠にみんな飲みきりましたもん。(笑)

リブレに戻ってくると、こういう“体験”が出来るのがいいですね。
あったかくってほっこりと、とっても和みました。
三喜子さん、お心遣い本当にうれしかったです、ありがとうございました。



そんなわけで、いよいよ若手も読んでみる、ということになったのですが、
そりゃあこのお二人の後ですものねえ、ましてや馴染みの薄い落語、
壁、かなり高し…

というわけで、
けか子ちゃんとAYAKAちゃんの二人には、立ってやってもらいました。
若い人たちには身体の感覚で掴んでもらったほうが早いのです。

とにかく、女房役のAYAKAちゃんにはなんとしても亭主を仕事に行かせること、
熊五郎のけか子ちゃんには、なんとかして今日も休業にすることをお題に、
本気の死闘に(笑) 集中してもらいました。

自分が思っている以上に熱を出していいんだよ、ということが分かってくると、
AYAKAちゃんもどんどんヒートアップしてきて、
たぶん普段では考えられない、突っ張り!突っ張り!突っ張り!のパワー炸裂に。

もうその必死の形相だけで笑えるんですが、
そこへもってきて、受けるけか子ちゃんのオトボケがまたどんどん上がって、
しまいにゃお腹ボリボリやり出して、
「ぇえ〜?」とか「ぁあ〜?」とか素っトボケる体はまさに、ちっちゃいおじさん出動。

チャーミングなお嬢さんなのに、お腹ボリボリ、、、あんなけか子も初めてみたけど(笑)
あとで訊いたら、なんかそんなことになっちゃったんですよぉ、とか言ってたけど、

もう、その小人さんの夫婦喧嘩みたいな二人の様子がカワイイやら可笑しいやらで、
教室はこれまた大爆笑の渦に。

いやあ、当初はどうなることかと思ったけど、よかったよかった。

熱が上がってくるということは、本気になるということなので、
繋がっていなかった感情もきれいに通るようになって、
気づいたら、若さあふれるフレッシュな新解釈の『芝浜』ができあがっていました。

終わった二人はゼェゼェ言ってましたが(笑) 本当に面白かった。

いやぁ、つくづく、やってよかったです『芝浜』。
こいうふうに〆られたのがまた、もうほんっと頼りになるみんなだわっ、と、
ワタクシ少々感涙なぞしたりもして。

熱ですよ、熱。
コトを動かすのはこの一点です。
これさえあれば、突破できないものはないのです世の中には。(断言したな・笑)

企画を提案してくださった Mumble さん、本当にありがとうございました。
こんなに盛り上がるとは、こんなに身になるとは、ねえ。。
教室のここからに、弾みをつけていただけました。



さて、今週からは岸田國士に戻り、『隣の花』 の解釈に入ります。

これはまた、同じ夫婦ものでも打って変わった世界。
隠微と露骨、ドライと濃密の輪舞(ロンド)、って感じでしょうか(笑)
二組の夫婦のエロチックな駆け引きの物語です。

岸田の中では、個人的には 『顔』 と1、2を争うぐらい好きなホンです。

さてさて、教室はどんなことになるかな〜?
みんなの女っぷり・男っぷりが上がるのは間違いなしだから、震えて待ってテ。
ほほほ。






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2016年02月02日

『芝浜』 第三回:江戸に想ふ

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『芝浜』 第三回は、亜呂波亭ロコ輔さんにご参加いただきました。

身ごろが赤と黒に分かれたモダンで粋なお召し物に、銀糸の縦縞の白い羽織と、
目の覚めるような装いでご登場くださったので、受講生さんたちも思わず、おお〜…
口数が少なくなったぶん、目がキラッキラと輝やくかがやく。(笑)

ああいう凛と華やいだ空気に触れるというのも、初めての体験だったかもしれませんね。
伝統芸能にたずさわる方は、みなさん独特の品格を放ってらっしゃいます。

受講生さんたちに違う世界を感じてもらおうというロコ輔さんの心意気が、
とても嬉しうございました。

装いというものは、手みやげというか、「情け」なんですねぇ、
あらためて、しかし目からウロコの発見もいただけました。


噺家さんは、なにせ話す人ですから、
活字を読んで伝える朗読とは気の持ちようの根本が違うわけで、
慣れた 『芝浜』 をあらためて字で追う、しかも根掘り葉掘り(笑)
表現の差というものをしきりに感じていらっしゃるようでした。

実際われわれも、ホンを離して立ち稽古に入ると、
体の実感がセリフを支えるようになっていって、
覚えて話すのと持って読むのでは、やっぱり熱もリアルもまるで変わりますよね。

以前、まだリーディングというものがこれほど一般的でなかった頃に、
そのさきがけとなるような企画に参加したことがあるのですが、
そのときの演出も、最終的には少しカラダの表現を入れる形を取られました。

読む嘘というものに我慢できなかったんじゃないかと思います。

セリフが伝えるものは実感がすべて。

と言いきっても過言ではないと私は考えているので、
「読み」 も頭でやっちゃだめだと思っているのです。

この教室もその獲得を目指して立ち上げたんですが、
あのときの演出家も同じことを思われていたのが、今になるとよくわかります。

噺となれば尚のこと。
ロコ輔さんの声からは、私がこれまでに体験したことのないものが届いてきました

ご本人は、文字を追うということで演劇寄りの表現になったので、
噺とはまったく違うとおっしゃっていましたけど、
やっぱり俳優のアプローチからは得られない実感を――私が欲しい実感を(笑)
シャワーのように浴びせていただけたんですよね。

なんというか、凄い包容感という感じで、無理というものがまったく感じられなかった。

受講生のお嬢さま方も、なんだかわかんないけどフワ〜っと、
不思議に包み込まれるようなやさしいあれはいったい何だったんだ?!と、
興奮しきりでした。

実はこのフワ〜っと感を、前日の 『芝浜』 クラスでも私は体験していまして。

今季からプロのナレーターの男性がご参加くださって、その初回だったのですが、
そのかたからも、同じ、得も言えぬ包み込み感をいただけたのです。

思えば、噺家さんもナレーターさんも、肉体によらずに言葉を繰るお仕事ですよね。

声のみで伝える、ということの本質を、
期せずして同じタイミングでお二人の男性からいただけて、
ありがたいことに、第三回はジュエルの輝きの教室になりましたね。

年齢もキャリアも、みな違う人間同士が集まっている講座ですから、
その気になれば、どなたもいくらでもご自分の求めるものに出くわせると思うんです、
この教室をそんな風に使っていただけたら、私は本望ですねぇ。

さっそくロコ輔さんからは、出張高座で教室に来てくださるお申し出をいただけて、
ヤッター!
ジャンルを越えて、どんどん広がっていけば、いいですよね〜豊かですよね〜。


落語の基本は、「言葉に演技が奉仕する」 というものなのだそうです。

落語の説得力は、あくまで声の力によって生まれるもので、
しゃべりだけで時間も時代も場所も状況も、もちろん人物も、表現しないとならないので、
声のコントロールということを演技より重視されているとお話ししてくださいました。

話芸というものは、聴き手に押し付けてはならないものということでしょうか。

それは芝居も同じですけど、演技者の場合はヘタクソでも心情があれば伝わる、
という事もあり、場数を踏むほどかえってそのナマ感の獲得に必死になっていきますが、
落語の場合はまず、ヘタじゃ勤まらない厳しさがあるということかもしれませんね。

技術というものは、やはりおろそかにしてはならないものなのですね。
そうして私が感じているシビアな事実は、センスがなければ技術は身につかない、
ということだったりもします。

センスあっての技術なのです。

でもセンスって身につくんですよ。
俳優の場合は、「実感を再現できる力」 のことだと私は思っているのですね。

そのためには色んな経験をしたほうがいい、痛い経験ほどいい。
そして、その痛みを刻み付けて絶対に忘れないこと。

それがセンスを磨くと、私は思っています。
人としては、ゆえになかなか生き辛いことにもなるわけですが。(笑)
まあこの話は、また別の機会にでも。


ロコ輔さんとお手合わせしていただいて、ひとつ大きな発見をしました。

芝の浜で財布を拾った、あれは夢だったのだと騙された勝五郎に、
心底申し訳ない気持ちになったんですよね。

だから、亭主が 「すまねえ」「悪かった」 と謝るたびに、その言葉は聞きたくなくて、
明るいほうへ明るいほうへ気を引き立ててやりたくなった。

ごめんねって言うのはあたしのほうだよと、泣きたい気持ちになりました。

この女房は、三年間ずっとこの重石を抱えてきたんですよね。
あの日から真実、亭主を愛しぬき、労わり大事にしてきたんだなと、
実感できました。

一つ間違えば、夫をたばかる小ざかしい女になりそうで、
難しい役だなと思っていたのだけど、
小ざかしくてもいいんだと思った、
それをやったあとで、心から、「ごめんね!おまいさん!」 って心が振り絞られれば。

『芝浜』 の二人は、成長していったんですね。
こうして 「人」 になっていった。
それが人々の心を打つんだな。。

『芝浜』 と、ご縁があってよかったなあ。
ロコ輔さんとも、実はお会いしたのは初めてだったんですけど、
お導きがあってよかったです。

教室は、こういう化学反応が起きる場所です。

新しくて心ふるえるような自分との出会いを、今週もみなさん、ひとつでも、
していただけたらいいなと願っています。





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2016年01月25日

『芝浜』 第二回:江戸に迫る

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第二回は、柳家さん喬師匠の書き起こしテキストを読みました。

台本は志ん朝さんの半分の厚みしかなく、
噺も動画で聴くと30分もかからずに終えてらっしゃるのですが、
テンポはむしろ倍ぐらいにゆっくり。

実際に読んでみたら、話がパンパンと進んで凄い急展開をしていくんですね。
ヘアピンカーブの連続とでも申しましょうか。

これは、スイッチをしっかり利かせて、緩急の山をしっかり自覚的に作っていかないと、
筋さえ伝わらないものになってしまう。。
難しいホンです。

芝居をしていても観ていてもいつも思うのですが、「山」 というものは本当に大事。
自分の役でも芝居全体でも、山をみつけてそこに向かってそこを立てようとすることが、
何よりの肝です。

解釈というのは、構成全体の中からこの山を探し出すことなのですね。

『芝浜』 の山は二つ、騙しとバラシです。
どちらもリードを取っているのは女房ですが、これが成立するのは、
ひとえに勝五郎のキャラクターあってこそ。
現実を夢だと言いくるめられてしまう人物像を、嘘なく描けるかどうかが肝なんでしょうね。

まあ、今は全員で少しずつ回して読んでいるので、
こまかな表現テクニックが中心の講座になっていますが、期間を延長しましたからネ、
この2本の落語作品のどちらかを、それぞれが通しで読みきることが目標です。

さん喬版は、“ドラマティック”には欠かせない、大胆さ・骨太さが身につくと思います。

志ん朝版は、繊細になめらかに、気づいたらお客さんも手の上で転がされていた、
というようなスライドの妙を学ぶに絶好のホンだと感じます。

どちらも、演じ手にとっては、ノドから手が出るほど欲しい魔法です。

同じお話なのに真逆の向き合い方を打ち出せる、やっぱり『芝浜』は名作なんですね、
観客にとっても演者にとっても。

今季はぜひ、おうちでも作品に触れる時間を増やしていただきたいです。
落語は成果が分かりやすいので、予習復習をしただけすぐに力になっていきますヨ。

声に出して、本気で騙される自分、本気で騙す自分をみつけていってほしいです。


(笑)そうそう先週は、ひとつ面白いことを発見しました。

今、『ロミオとジュリエット』 の講座も始まったのですが、
特に女子に男性のセリフを喋らせると、うまいんですよこれが、
翻訳ものならではの硬いセリフに、品格と男気と切れ味まで出してきて、
みんな異様にかっこいい。

ところが、『芝浜』 になると、とたんに四苦八苦、というか、どどどうしたおい?
とツッコミが入るほどの七転八倒ぶりなんですね。

「に言ってやんでィ、っとにもゥ」 のような独特の表記に振り回されるということも、
確かにあるのですが、『ロミジュリ』 のほうがむずかしく硬い言葉遣いだったりするのに、
ここは難なくクリアできてるこの不思議。(笑)

これ、たぶんね、
若い人たちは、『ロミジュリ』 はアニメの感覚で読めるんだと思うんです。
男たちの壮大な戦い、みたいなものに感応しやすいというか、慣れていて、
イメージがパーッと広がるんでしょうね。

一方で和もの、商いだの朝湯だの、飲む打つ買うだのメシがどうした銭がどうした、
というこまごました庶民の人情噺には、
本当に馴染みがないんだなあと、これはちょっとビックリしました。

世代間格差というか、大げさでなくこの国の文化の断層を実感したです、ホントに。

私より上の世代の受講生さんたちは、落語はもうお手の物なんですよね、
みなさん上手いですヨ〜。

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 お一人などは、
 実は芝浜の女房を演ったことがあった、
 なんて発覚したりして。

 そうそう、こういうムードですね、
 愛情あふれるまなざしで亭主を支える、
 働き者の女房。

 この道20年のベテラン、浜三喜子さんです。
 真っ先にご応募くださった、
 『顔』 クラスの頼れるリーダーです。

アニメのおかげでイマジネイションを広げる術を持てているなら、それは強みでもあります。
絶対ほかへの応用もできますからね。

逆にまた、慣れているものは 「きれいな鋳型」 にハマりやすくなるので、
その罠は誰もが自覚しなくちゃいけないところでもあるわけですが。

きれいに読めるということと、よく伝わってくるということはまったく別のことで。

ゲストで来ていたリブレ主宰の読みは、マジもんのアル中を疑う迷走っぷりで、
江戸っ子でもなければ魚屋でもありませんでしたが、とにもかくにも爆笑でしたもんね。
みんなが大笑いしたのは、ぇえええ〜? と困り果てた心情が伝わったからですよね。

まずは本気があること。
どこからどこまで。

やっぱりこれが表現の原点ですね。


扉の絵は、男になってからの勝五郎さんって感じですね、おかみさんが幸せそう。
『芝浜』 となるとこういう絵を探して塗り絵するのが、このごろの頭休めのマイブームです。

この絵の魚屋さんのキリッと安定の面差しが、さん喬さんの勝五郎にはピッタリだなと。
そうそう、さん喬さんてば、
やっぱりあの声にメロメロになってる女性ファンが多いんですって。

末廣亭までは3分のご近所ですからね、教室の女子隊でぜったい迫りにいかなくちゃ、
さん喬さんに、、ではなく江戸にね、江戸に。(笑)







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2016年01月17日

『芝浜』 第一回:江戸に酔う

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『芝浜』 第一回、いやぁ盛り上がりました〜。

落語はもしかしたら、聞くより演るほうがおもしろいかもしんない。
まあ、聞くと演るとぁ大違い、ありゃりゃ…ってことも、
やってみてわかったわけですが(笑)

あの独特の調子で走り出すと、あっという間に世界に引き込まれちゃう。
落語っていうものは、どんどん気持ちが開放される、
聞いてるほうにもそれが伝染ってって、みんなが一つになりやすい。

ある意味、お酒飲むより酔うかもしんないですね。
ゲラゲラ笑ってましたからねみんな、言い間違えさえ肴になる感じで。
ああいう無邪気な罪のなさっていうのが、お江戸の魔力ってことなんでしょうかねえ、
日本人のDNAを持ってる快感に打ち震えた時間でした。

おもしろかったのは、それぞれの個性が芝居をやるより明確に見えたことで。

話芸っていうのは、そういうことなんですね、
もちろん「役」にはなるんですけど、素で勝負ってところが大きい。

芝居の場合は、役からはみ出るのは基本御法度という堅固な枠があるわけですが、
落語は自分が話すわけだから、むしろ話し手の人間性がどんどん見えてきちゃう。

隠れ蓑があるか、裸を晒すかの違いと申しましょうか。

一枚まとうことがなりわいの役者にとっては、このへんかなり度胸がいるんですね。
ヤケに恥ずかしい!って言ってるメンバーが多かったのが印象的でした。
いや、実際おそろしい芸ですわ、落語。(笑)

古今亭志ん朝さんの噺を、テキスト化してもらって読んだんですけどね。

随所に出てくる「ええ?」とか「なあ」とかいう、“おのれ合いの手”みたいなアレが、
どこにどう入ってくるかというのは、志ん朝さんの語り口のクセなんだけど、
役者はここに苦戦するわけですよ、
言葉として再現しようとしちゃうんで、つい何か意味を持たせてしまうんですね。

いやいや、単に調子を整えるための生理的な音だから、ってことなんだけど、
これは芝居の台本には無いものなので、新鮮、かつスリリングで、
カルチャーギャップをもっとも感じた、妙味のあるところでしたね。


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時代の違うホンに当たるときはお勉強は欠かせないのですが、
この 『芝浜』 に出てくるのは、
江戸情緒を言葉のみでかもし出そうというわけですから、
お江戸の魚屋さんの持ち物や扮装、小道具ひとつとっても分からない名詞ばかりです。

でもこういうのは自分で調べたほうがいい、というかそのほうが圧倒的に楽しい。

私がああ!と見つけたのは、「福茶」 と 「笹」 の意味。
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ほぼスープ…(^ ^:)
福茶 (ふくちゃ) とは、お正月や節分などに出す
昆布や梅干などが入った縁起物の緑茶、
ということだったんですが、
なんか飲み物として強引じゃないですか? 不味そうで(笑)

いや、噺の中で魚屋の熊さんもそう言ってるんですけどね。
私も、いくら縁起物でも大事な節目に不味いもの飲むなんてヤダなあと思い、
何のこだわりが? と疑問が湧いたのです。

そしたら、柳家さん喬さんの 『芝浜』 で、ひとくち飲みながら、
「福じゃ、福じゃ」 って言ってるのを聞いて、あー!語呂あわせを楽しんでたのか!と。
これならやせ我慢が信条の江戸っ子は喜んでやるね、と納得したのです。

そして、「笹」 ですが、
これもかなり唐突に出てくるので、ん? とノッキングするところ。

これはですねぇ、もともと 『芝浜』 は三題噺 (さんだいいばなし) といって、
休憩中に、お客さまから三つのお題をいただいて楽屋で組み合わせて筋書きを作り、
すぐに高座にかけるという、取って出しの荒業(笑)から生まれた噺だそうで、
「酔っ払い・芝浜・財布」 という三題だった、というのが定説なのですが、

もうひとつ、
「増上寺の鐘・財布・笹飾り」 という説もあると知って、あー、この笹なのね、と。

何がなんでもねじ込まなくちゃいけないので、あんな急に出てきたんですね。
そういうライブ感を知って読むと、
噺も終わりがけになって笹が出てきたところで、お客さんはドッ!と湧いたろうなと。

お見事ですもんねえ、お江戸の寄席の楽しさが実感できますよね。
調べてよかった。
 
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商売繁盛 笹もって来いこい♪
ちなみに、笹は、
根強く、繁殖力も強く、風雪寒暖にも強い、
ということで、
古来より神聖な植物として愛でられ、
葉がサラサラと擦れ合う音は、
神さまを招くと言われてきたようです。

笹はタダだが飾りにお金がかかるようで、
魚屋の熊さんのお宅でも、
福笹を求める余裕が出来たんですね。


『芝浜』 は、目利き腕利きの魚屋でありながら仕事に身が入らず、
酒を飲んではサボることばかり考えているダメンズの熊五郎が、
革財布を拾ったことで真人間になっていくという、煎じ詰めればそういうお話。

大ネタなだけあって(1時間前後かかる)、聴けるのは大御所の噺ばかりなので、
この夫婦も30代か、へたしたら40代ぐらいのイメージで、
なるほど演劇的に言うなら、主人公夫婦の 「再生の物語」 なんだなと思ったのですが、

もう一つ、
これって 「成長物語」 にも出来るんじゃない? と、
わたし思いまして。
この切り口でやってる噺家さんがいてもよさそうなものなのになあと、
思っていたら、やっぱりいらっしゃいましたよ。

そう、福茶のフォローを入れてくださってた、柳家さん喬さんです。

さん喬さんの魚屋(こちらは勝五郎)の、キリッといなせな声を聴いたときに、
ああ!これは若い二人の物語だ!これはまた別のいじらしさに涙できる、
と嬉しくなっちゃいました。

『芝浜』 には、大きく分けて二筋あるんだそうですね、
志ん朝さんの噺は、華やかで安心して笑える伝統的な古典、
さん喬さんの噺は、三代目桂三木助師匠の流れにある文学的な新作、
ということになるようで。

正直、女房の第一声を聞いたときには、く、暗っ!うらめしや〜って言いそう、
なんて思っちゃって一瞬聞くの萎えたんですが、ところがどっこい、この人の勝五郎が、
ものすっごい色っぽさ!

それで最後まで聴いちゃって、女房の口説き場まで来たらもう号泣に。
同じ噺なのに、こんなに違うんですよ。
このバージョンを知ってしまったら、ちょっともう素通りはできなくなってしまって・・・
全身耳でテキスト聞き起こしました。

はい、第二回はこの、さん喬版 『芝浜』 を読みます。

必聴です。
さん喬師匠の、水も滴る艶っぽい勝五郎を確かめてください。


たぶんこのおかみさんは、『天皇の料理番』 の黒木華さんみたいな、
喜怒哀楽がおとなしい、けれどしっかり芯のある女なんだなーと感じました。

演劇人にとっては、ドラマチックなこちらのホンのほうがやりやすいかもしれませんね。

今回は受講生さんから自発的に出た企画。
こういうのは大歓迎ですね、
教室をご自分の興味の実現の場にしていただくという理想が、早くも動き出したわけで、
意気に感じてわたくしも、『芝浜』 豪華二本立てにしてしまいました。

名人お二人のホンを比較して勉強できるなんて、ゴージャスにもほどがありませんかい?

そんなわけでこの 『芝浜』、期間延長することにしました。
一回ずつ当たって終わりなんて、もったいなさすぎるぅもっとやりたいぃいいい、と、
受講生さんたちから阿鼻叫喚が出たので。(笑)

これが大事。
自分がやりたいって求めるものが、何につけても何よりの進化をもたらすのですもの。

面白いことになってます。

たぶん、次の教室が待ち遠しくなってくださってるんじゃないかな、なんて、
こんなに仕合せでいいのかい? とふるえつつ、
困るのは、
講座が面白いと寄り道もしたくなっちゃうことで。

しかも新宿、燦然と輝く「末廣亭」の前なんかに出ちゃったひにゃあ、
どうしたって一杯ひっかけてきたくなっちまうんですぁ旦那。

この誘惑と戦うのが、っこわい!
なんたって呑んじゃったら、

夢ンなるといけねえから。







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2016年01月07日

こいつぁ春から

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1月は新春特別企画で、古典落語の『芝浜』を読むことにしました。

受講生さんからのリクエストがあって、私も今回はじめて聴いたのですが、
スゴク面白い噺ですね!
鮮やかなどんでん返しにびっくりぽんです。

これは、夫婦のキャラクターをどう作るかで、味わいがかなり変わるホン、
なんですね〜〜〜。

役者としては、ぜひとも自分オリジナルのキャラ獲得に、
ファイト燃やしたくなるところです。ニンマリ(笑)

短期集中講座ですので、『芝浜』は今月3週間だけのテキストです。
タイムテーブルはこんな塩梅で、1週ごとに段階を追っていきます。

第一週13日(水)15時〜18時
 15日(土)15時〜18時
第二週22日(金)19時〜22時
 23日(土)15時〜18時
第三週29日(金)19時〜22時
 30日(土)15時〜18時

駅地上出口から天国のように近い、新宿三丁目教室での講座です。

本読み教室では、数人でのダイアローグ(会話)でやります。
なので、ちょっとハードルは下がった感じかな。(笑)

いやいや、だって一人芝居ですものね〜落語って、しかも無対象(パントマイム)!
とても一朝一夕に出来るような件じゃございません。

知れば知るほど、噺家さんとは凄い人たちだなあと、つくづく思う今日このごろです。

…ここまで、噺の筋書きを記していないのにはワケがあります。
私が四の五の語るより、
名調子をお聴きになったほうが1000倍イイですものネ♪

ハイ、お楽しみください、三代目古今亭志ん朝師匠の名演、『芝浜』です。


人情噺って、いいですね〜。
私はいつもこの下げ(オチ)で、くっと涙がこみ上げてきます。

でもそれは、志ん朝さんだからなのかもしれない。
他の噺家さんだったらきっと、また全然別の気持ちになるんだと思います。

さてさて、どんな魚熊さんとおかみさんを演りたくなりましたか?
あたしだったらねぇ、、ふふふ。

今なら若干名の空きがございます。
初春から、ちょっとフレッシュな3週間を過ごされたい方は、
どうぞお気軽にお問合せください。

あー、あたしも浜いって釣竿でもたらしてみようかなー。
かすりもしなかったネ、年末ジャンボ♪ (号泣)






posted by RYOKO at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新春特別企画 『芝浜』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする