2016年11月30日

たちきり、立ち来る、ご縁の香

shimura01b.jpg

今季は、古典落語の『たちきり』と岸田國士の『驟雨』という2作品をテキストにしています。

『たちきり』は、元々は上方のお噺で、
たちきれ、たちぎれ線香などのお題で呼ばれることもあります。

お座敷に上がった芸者さんの就労時間を(なんと野暮な言い回し笑)
昔はお線香一本が燃え尽きて断ち切れるまでとしていた、
ここが味噌になってのタイトルです。

大店の若旦那と娘芸者こいとの、悲恋物語。

なのだけれど、
それに止まらぬ江戸の人々のあったかくも厳しい人情の交錯が描かれているので、
若旦那が大人になるための成長物語とも言えますし、
この国ならではの無常の物語とも言えましょう。

可笑しかったのが、初見読みの時で。

落語と聞いて、初めはみんなセオリー通り面白おかしくテンポも早く読んでいたのですが、
話の後半戦に入ったらいきなり、「あ、あら?…ちがった?」
という部分と出くわすことになって、キキーッと急速減速、
口調もしっとりしたものへの大転換をはからねばならないことになり、
読み終えて、「こんな話だったのかぁ!!」と反省のるつぼに放り込まれたことで。(笑)

そう、このお話には前半と後半でもの凄い断層があるのです。
そのへんが、悲恋ということと相まって『ロミオとジュリエット』を思い出させるんですよね。

あの本も、この春にしっかり取り組んでみたら実は前半喜劇だった、
と知ってたまげたものでしたが、
『たちきり』はその逆のパターンで心揺さぶられることになったわけです。

固定観念は捨ててかからないと、ですね。
何事につけ、ですが、
さらにこの打破が、いつも一番難しいところでもあるわけですが。

この、固定観念の話にも通じるのですが、
先週から、たちきり班は身体を使った距離のエチュードに入りました。

“芝居の動き”ではなく、ミザンも気にしない、
セリフを使った身体のインプロとでも申しましょうか、
本読み教室オリジナルの、リアルの習熟方法です。

これをやると途端に、セリフに目の覚めるような鮮やかな実感がこもることになるのです。
聴いていると進歩が分かって大変おもしろい。
観てても面白いですけどね、たまげてキテレツな動きとか出てくるので(笑)

こういうことも、素直な人は吸収が早いです。

昔、教えを受けた演出家から、役者は作品に向かうたびに赤ちゃんにならなければ、
と言われましたが、頭で自動的に描いている思い込みから、自由でいることを、
我々は常に肝に銘じていなければ、ですね。

この『たちきり』はまた、音曲噺(おんぎょくばなし)というジャンルの落語でもあるそうで。
物語のクライマックスをお三味線が担うことになる、大きな仕掛けが施されています。

落語にもこんな演劇的な演出がされているものがあるとは、
わたしもさん喬師匠の噺を聴いたときは、ゾクゾクーっと全身に鳥肌が立ちました。

師匠、熱演です。

速報でもお知らせしましたが、
おさらい会で、このお三味線『黒髪』を弾いてくださる方にめぐり会うことができました。

東 啓次郎(あずま けいじろう)師匠です。

ネット媒体を使ってのダメ元での募集でした、
私としては、お稽古をされている方のお目に留まれば御の字だったのですが、
まさかお師匠さんクラスの方からご応募いただけるとは。

しかも、もう何度も劇伴で『黒髪』を弾かれておいでで、
こんな些細な教室での発表会を面白がってくださるお人柄でいらっしゃる、
さらにはわざわざ静岡からお運びくださると…

なんと恵まれたご縁をいただけたことでしょう。
啓次郎師匠、本当にありがとうございます。

人の輪というものは、本気が繋げるものなのですねえ。

若いころにはくだらないプライドが邪魔をして人に入っていくことが不得手だった、
でももうこの年齢です、人見知りなんて贅沢なことをやっていられる時間は、無い、
もったいない。

それで、大事なものは自分で取りにいこうと決めたのです。
この教室を始めたこともそうでした。

今こうして、たくさんの受講生さんが集ってきてくださって、みんな楽しげで、
発表会では亜呂波亭ロコ輔さんにも再びご登壇いただけることになり、
またこんなふうに啓次郎師匠との出会いもいただけた。。

ひとつひとつ、おひとりお一人が、本当にいとしいです。

この教室のお線香、ついで継いで、たちきれないように、
お座敷は華やかに香り続いていきますように。

さて、金曜にはもう一本、お線香をたてましょうかね。







posted by RYOKO at 21:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 2016秋クラス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月27日

『黒髪』演奏ご応募いただきました!

【速報!!】
boshukurokami02.jpg

ヤッター!お三味線演奏、さっそくご応募いただきました!
なんと静岡のお師匠さんです。
おそるべしツイッター…
って山岸はやってないんでいったいどの筋からこうなったのか???
なのですが(笑)

いや〜よかったです、こんなに早く決まるとは、
しかもお師匠さんは『黒髪』の劇伴を何度もされてきたとのことで、
こんな理想的な方にめぐり会えていいんだろうかと、信じられない気分です。

どうなるかなあ〜ワクワクですぅ〜、早くご紹介できたらいいナ♪
みなさまありがとうございました。






posted by RYOKO at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教室イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

『黒髪』 演奏者募集

boshukurokami01.jpg

リブレ本読み教室では稽古場発表会でお三味線を弾いてくださる方を1名募集しています。

腕試しの場をお求めの方、
お稽古や趣味で三味線を演奏できる方、プロ級の技術をお持ちでなくてもかまいません。

■演目『黒髪』
当日は、俳優たちが落語「たちきり」を朗読します。
この物語のクライマックスを担う『黒髪』を生演奏していただきます。
(39分ごろから演奏)

■12月18日(日)午後
15時過ぎ〜18時頃 2回演奏
2班での朗読となるため、演奏は二度お願いします。
参加30名弱ぐらいの発表会です。

■四谷三丁目 スタジオリブレ
■男女問わず

■花代(謝礼) 3000円
お時間がゆるせば、18時半ごろからの噺家さんによる出張高座と20時ごろよりの懇親会も
無料でお楽しみください。

■リブレ本読み教室 http://libresen.seesaa.net/
教室・主宰情報はこちらでご確認いただけます。

■お問い合わせ
事前に教室の様子をご覧いただくことも可能です。
まずはお気軽にメールでお問い合わせください。

件名は <『黒髪』演奏応募> でお願いいたします。
katentaiyu6-honyomikyositsu@yahoo.co.jp
(@を半角に)

■先着順
応募があり次第しめきりとさせていただきます。

芝居と落語と音曲のコラボを楽しんでくださる好奇心旺盛な方、
ご参加をお待ちしております!






posted by RYOKO at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教室イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月20日

秋クラス、始まりました!

shuu.jpg

リブレ本読み教室2016秋クラスは、早いもので明日から第三週に突入です。

今季もたくさんの方が集まってくださいました。
みなさん本当に熱意のある方々ばかりなので、教室のムードも一段引きあがった感じで。
なにげにこの教室、この秋で開設1周年だったのですが、
季節が進むたびに出会いの刺激が増しているのが、頼もしいったらありゃしません(笑)

今季はどんな旅になるでしょうねえ。
出会った数だけの感性や思考を自分の物にできるのが、この教室の強みです。
なにせ同じホンに寄ってたかるわけですから。

独りでは突き当たってしまう限界を突破できるヒントが、そこかしこに転がってますからね、
ぜひ貪欲に、人から盗むという芸の基本を磨いていっていただけたらと思っております。

今季のテキストは、メインクラスは落語の『たちきり』、プロクラスは岸田國士の『驟雨』です。
どちらもいいお話、そしてなかなか手強いホンでもあります。


『たちきり』は、登場人物それぞれが筋運びの起承転結を担って出てくるので、
役の役目がハッキリしているのですね。
落語だけあって、聴き手と語り手が明確に分かれている。

お話全体の中で、どの役がどんな使命を持っているのか、
その使命をまっとうするために、どんな気持ちの変遷を表現しなければならないのか、
一度ノートに書き出してみるといいかもしれません。

第二週では「場」を抽出し、パートごとにテーマを明確にしたわけですが、
同じ作業を、登場人物に対してもほどこすということですね。
気持ちや言葉が相手役にどう影響して、どうこの物語を形作っていくのかを、考える。

読解の基本はまずこの作業からです。
これが出来るようになると、俯瞰が身につきます。


『驟雨』は、構成的にはもっと複雑。
ダイアローグ(会話)によって出来事を浮き彫りにしていくホンです。

なので、嘘をやると途端に何の話かわからなくなる。
独りで芝居したり、形でやっていては、決して出来ない恐ろしい〜ホン(笑)なのです。

会話の熱が嵩じることで、どれだけ調子付いて脱線していくか、
乱暴な一言でいえば、人間のそういう笑える習性を描いているホンなので、ね。

ダイアローグ劇の面白さは、相手からの影響を即、受けられるところにあります。

いくつもある長ゼリも、相手に向かって自分の意見を言う“切れ間のないお喋り”なわけで、
聴き手は待たされている間に喋りたいパワーが溜まってくるから、
次の会話は丁々発止なものとなる、
というような芝居のリズムが、おのずと生まれるわけです。

相手に状況を語って聞かせる『たちきり』の長ゼリとは、ここが違います。
『たちきり』は聴き手がおとなしく聴いているのが前提(独りで語る落語だからこれは当然)、
でも『驟雨』の聴き手はいつ割って入って来るか分からない(普通、会話ってそうですよね)、
だから喋りが長くなるほど熱量が高くなっていくわけです。


これはすべての役作りに言えることですが、大事なのは役のリアルから離れないことです。
リアルとは、ひとこと一言にちゃんと実感があるということ。

実感が摑めるまで、その一言を追いかけ続ける。
苦しい旅だけど、これほど極上の謎解きもないかもしれませんね。
発見はそのまま、自分の中の未開の地を開拓することになるのですから。

さあ、今週はどんな楽しみをみつけられるか、それはあなた次第。
まわりをよく観てネ。
わたしもがんばります〜。






posted by RYOKO at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 2016秋クラス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

2016年 秋クラス受講生募集

201611b.jpg

ご訪問、ありがとうございます。
本読み教室講師の山岸です。

 行間を読むってどういうことか、実は分かっていない。
 「セリフに気持ちがこもっていない」と指摘される。
 キャラクターづくりが出来なくて困っている。

こんなことを感じたことはありませんか?
これらの問題はすべて、台本の読み方を掴めば解決します。

『リブレ本読み教室』は、表現の要である台本読解の技術をお伝えする講座です。

セリフの間に隠されている「役の真実」を捉えるには、実は技術がいるのですね。
これが身につけば、どんな役でも気持ちを通せるようになります。

読解の技術は、俯瞰や客観性をさずけてくれます。
これがイメージと結びついた時に、的確で印象的な表現が生み出されることになります。
強い存在感の説得力ある俳優になるには、読み解く力はなくてはならない技能なのです。

その力をつけるのが、この教室です。
あなたも、ホンが読める役者になりませんか?


ここはまた、お一人お一人の良さを最大に活かす方法をみつける場所でもあります。

みんなで解釈を深めながら、発想力を高め、その人独自の表現に繋げていく。
それはワクワクする楽しいクエストです。

この新しい扉を開き、受講生さんたちは続々オーディションを勝ち取られています。


nao02.jpg
  積み上げてきた努力が実って、初舞台を掴んだ方たちも
  いらっしゃいます。

  中でも、今年5月・6月に東名阪三大都市で上演された
  劇団離風霊船(リブレセン)の『ゴジラ』では、教室から
  舞台未経験の田中奈緒さんがヒロインやよい役に大抜擢
  されました。

  皆さんの活躍が着々と目に見える形になってきたことは、
  とても嬉しい喜びです。



『本読み教室』は、あたたかく朗らかな励み合いの場です。
開講から1年、受講生さんたちは居心地がいいとずっと通い続けて下さっています。

お互いの本番を観に行くような、支えあえる関係が築けるのですね。

「オフの間に力をつけたいんだけど、稽古の場がない」
そんな悩みを持った役者さんにも、ご都合優先で通っていただける教室です。

安心して実力を蓄えていけるヒミツ基地を、あなたも持ってみませんか?

俳優になりたい方、
調整先をさがしておいでのフリーの俳優さん、
技術の幅を広げたい役者さん、
映像演技の軸を作りたい俳優さん、
また、舞台復帰に向けたリハビリ先を求めておいでの役者さん、
そして、教養として名作戯曲を読んでみたい皆さまも、大歓迎です。

開講から1年を迎え、今季は講座内容が拡大されます。

じっくり勉強を進めて強い演技力を培っていく、本読み教室の真髄である基礎講座
に加え、本番モードで演出と共に作品を完成させるプロクラスを新設しました。
どちらでも、ご要望に合った講座をお選びください。

さあ、あなたもご一緒に、新しい扉を開いていきましょう。




■■ 期間 ■■ 

2016年11月7日(月)〜12月18日(日)
全7回/7週間
随時募集
7週目の12月18日におさらい会(稽古場発表会)をします
以下「タイムテーブル」からご都合のよい曜日・時間をお選びください
無料体験あり




■■ タイムテーブル ■

2時間半の講座です
以下より「第三希望まで」ご希望順にお選びください

例: 第一希望/水曜19時 第二希望/土曜18時半 第三希望/土曜15時半

曜日時間備考
月曜日19:00-21:30残り若干名
水曜日19:00-21:30締め切りました
金曜日19:00-21:30残り若干名
土曜日15:30-18:00残り若干名
 18:30-21:00
要:全回出席
11月11日締め切り


毎週同じ曜日の同じ時間がご自分のクラスになります
 ご都合による週内のクラス移動も可能ですので、都度ご相談ください。

土曜夜クラスは、特別講座につき原則全回出席できる方の募集になります
 (遅刻・早退可)
 このクラスのみ定員になり次第締め切りますので、早目のご応募を推奨します。




■■ 講座内容 ■■

戯曲やシナリオをテキストに全員で解釈をしていく参加型講座です
声の出し方、抑揚、気持ちの込め方など具体的な表現方法の獲得を目指します
テーブル稽古中心ですが肉体を使った簡単なアプローチも実践していただきます
今季より、マスコミオーディション対応用のカリキュラムも新設しました
与えられた短いテキスト内容を瞬時に把握・解釈して、表現に結びつける胆力を鍛える、
実践型カリキュラムです。


月曜から土曜昼クラスは、上記訓練で解釈力を身につける本読み教室のメイン講座、
土曜夜クラスのみ、講師による演出がついて作品の完成を目指すプロクラスです。

全クラス12月18日の発表を目指しますが、
メインクラスは学習成果をご自分で意識していただくためのおさらい会、
プロクラスは観客を意識したプチ上演会という位置づけになります。

テキスト詳細はクラス確定後にお知らせします
筆記具をご持参ください
着替えの必要はありません




■■ 応募資格 ■■

経験・年齢不問
クール途中からの参加も可能です
曜日の振り替え・欠席・遅刻・早退にも対応できます、お気軽にご相談ください。

土曜夜クラスのみ、経験(興行作品出演5回以上等)のある方を募集します。
詳細は、こちらもお気軽にお問合せください。




■■ 受講費 ■■

「月謝制」 と 「週チケット制」 の2種類からお選びいただけます。

月謝 12,000円/月 (出席4週で適用、1回あたり3,000円!)
初回にお支払いいただきます、ご返金はいたしません。
4週以上受講されるとかなりお得になりますので、ぜひご利用ください。

週チケット 各クラス3,800円
毎回の講座の初めにお支払いいただきます

お支払い後は、どちらも複数クラス受講可能(週内の全クラス参加OK)です
無料体験もできます

尚、自己都合(欠席、遅刻・早退等)によるご返金には応じかねますので、
ご了承ください。




■■ 会場 ■■

スタジオリブレ
丸ノ内線「四谷三丁目駅」より徒歩3分

新宿御苑前教室
東京メトロ・都営新宿線「新宿御苑前駅」より徒歩1分

※詳細はお申込み後にお知らせします




■■ お申し込み・お問合せ先 ■■

メール
送受信エラー防止のため、恐縮ですが以下2つのアドレスにご連絡ください
カーボンコピー等の同時送信で大丈夫です。

libresen_kouza@outlook.jp
katentaiyu6-honyomikyositsu@yahoo.co.jp

両アドレス共@を半角に変えてください

三日以上の返信がない場合は、お手数ですが再度のご連絡をお願いいたします
当ブログのコメント欄へのご一報でも大丈夫です、Reコメントさせていただきます。
(その際あなたのアドレスは書かないようにご注意ください)




■■ 申し込み内容 ■■

件名 
【2016秋クラス申し込み】
体験希望の場合=【秋クラス体験希望】
土曜夜クラス体験の場合=【プロクラス体験希望】

記載内容
お名前(フリガナ)
性別
年齢
メールアドレス
電話番号(緊急連絡用)
希望の曜日・時間 (第三希望まで
正規申し込みか体験希望かを明記
お支払い方法(月謝 or 週チケット)
舞台経験の有無(有りの場合は経験年数・出演キャリアも記入)
この講座に希望されていること



  【ご注意ください】

  当講座からの返信はパソコンメールになりますので、
  受け取れるよう、受信設定をお願いします
     ↓
  折り返しメールにてご連絡を差し上げます
     ↓
  再度ご返信いただくことで、応募が完了します






■■ 講師 ■■

山岸諒子 (Yamagishi Ryoko)

山岸諒子120134.jpg  劇団離風霊船所属の俳優。旗揚げより現在まで33年在籍。

  劇団での代表作は『赤い鳥逃げた…』スチュワーデス由美
  /『ゴジラ』ピグモン。近作は『夜が明けたとしても…』
  ブティックオーナー/『ずんどこ』貴婦人。他客演多数。
  舞台出演歴2000回以上。シリアスからコメディまで、
  役幅の広さと七色の美声を持つリブレ自慢の演技派女優。
  齢を重ねるほど魅力が増していく不思議な女優として殊に
  大人の観客層から絶大な支持を受けている。

2002年、演劇個人ユニットRoseGarden立ち上げ。
出演と脚本を手がける。『かわいい幽霊』『甘い生活』『貴方と嘘と夜と音楽』
2008年、ジャズシンガーRYOKOとして鎌倉ミルクホールにてステージデビュー。
以降、赤坂Jazz橋の下に定期出演。
2017年春劇場公開予定、映画『妻に世界一美味しいラーメンを作ってみた』
特別出演。

劇団離風霊船(リブレセン)

1983年創立。大橋泰彦と伊東由美子の二人が主宰。
大橋泰彦は『ゴジラ』で第32回岸田國士戯曲賞を受賞、80年代演劇の旗手となる。
伊東由美子は小劇場界屈指のスターであり作・演出も手がけるマルチ女優。

劇団カラーはエンターテイメント色の強い社会派。屋台崩しの大仕掛けでも有名。
高橋克実を輩出した劇団としても知られている。

【離風霊船HP】 http://www.libresen.com/
【RYOKO YouTube】 https://youtu.be/oaTEiMVvNew
【リブレ本読み教室 Facebook】 https://www.facebook.com/librehonyomi


ご一緒に、良い俳優修行をしましょう!
みなさんのご応募を、心よりお待ちしております。







posted by RYOKO at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 講座情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

ご無沙汰ばかりと…

komachicap48c.jpg

夏の講座は一週間前にすべて終わった。
熱い夏だった。

出会うための場なのだけれど。
すべてが愛おしく、すべてがせつない。
恐れていた秋まで来てみると、その思いはやはり、ひとしお胸に迫って、
嘲るほどに苦しい。
たとえば夏までは見も知らなかったひとが、心の琴線にふれあう存在となって、
そうして秋。
今はそれぞれに、ひとり、独り。

二度と会えない人になるかもしれない。
また戻ってくる人かもしれない。
できるのはとにかく…せいいっぱい愛すること。
それだけは揺るぎなく、いつわりなく、惑いなく。
いや、惑いはあるのだが、常に、一瞬間ごとに、くるくると。

心ほど移ろうものはない。
当てにできない何かただ一点を求めて、人は際限なく餓(かつ)え、振り回される。
まして人のそれともなれば。

恋をすると芸が駄目になる、そんな言葉を、ついこのあいだ聞いた。
なるほど確かに…そうかもしれない。

恋は、人の心を刹那でも得ることができたという、生きる喜びの最たるもの。

しかし、誰かをあまりに恋うると、この実世界では脱け殻になってしまう。
天に浮き、地にもがき、心は瞬間ごとに乱され、とても現実を活きられなくなる。


komachicap40.jpg

恋ほど儚く頼りにならないものはない、そんなものに自分を預けるのは嫌。
人の心を欲しがるから、そのたび苦しい淵に沈んで自分を生きられなくなるのだ。

確かなものが欲しい、決して裏切らない確かなよりどころ、
それは何だろう、この世の中にそんなものはあるのだろうか。

あるのだ、たったひとつだけ。
自分自身だ。
この身が生きているというその事実は、決して侵されることはない。

だから、人の心の介在しない自分の意思というものだけを見定めて、
ただ自分だけを頼みに、生きる。
前へ…進んでゆく。
そうすれば他者から傷つけられることも苦しめられることもなくなる。


komachicap41.jpg

komachicap42.jpg

komachicap43.jpg

komachicap44.jpg


なるほど確かに…人生の構築の前には、恋は悪い酒なのかもしれない。
個人的には、一度しかない今生で、このタチの悪い二日酔いに苦しむことを否とは、
未だにし得ないのだけれど。

小町のこの思いは、言い換えれば 「もう恋などしない」 ということだ。
そう生きられたらどんなにラクか。

小町のこのスーパーリアリズムを完遂できる人間など、実際にはほとんどいないだろう。
恋は、するものではなく落ちていくものなのだし、
やはりもっとも人を成熟させ、人生に意味を与えるものなのだから。

青春の陶酔者、詩人の対極に在る老婆小町に、何か共感しきれぬわりなさが残るのは、
この乾いた達観に追いつけないからだろう。
人はやっぱり潤いを抱かなければ生きてはいけない、たとえそれが涙であっても。

小町はすでに人間の性(さが)の超越者なのだ。
ということは逆に、煩悩に懊悩した体験が、若き日の小町にもあったということだ。


komachicap45.jpg

「それ以来」 とは、いつのことだったのだろう。
その時から恋はやめた、ということなら、それはやはり少将を失った時ではあるまいか。
失ったというよりは、裏切られた時。

その裏切りは究極の愛の証でもあったのだけれど。


これにも関連して、どうしても分からなかった最大の謎が、最後の金曜クラスで解けた。

小町との諍いのあと、死に魅入られた少将が一度立ち止まって直後に吐きだす長ゼリ。
これが何の暗喩か分からず、少将の恍惚の源泉にどうしても迫れずにいたのだ。


komachicap46.jpg

いわゆる三途の川の渡し船というやつが、少将の場合これほどのスケールなのか?
としか考えつかなかったのだが、受講生がこれはセックスの描写では?と気づいたのだ。

なるほど、これは慧眼だ、そう読めばすべてが通る。
「ありえないこと」 の意味がハッキリ解かる。

この少将という男は、性に目覚めた頃から極上の恋を夢みてきたのだ。
小町はこれを実現してくれる存在、まさに夢の女と、彼はめぐり逢ってしまったのだ。

だから百夜通いも達成でき、文弱の徒と罵られようと軍務を放棄することさえ出来た。
だから死によってこの恋を永遠に凍結させることを、真から望んだのだ。


この思いが子供の頃からの強烈な夢だったと分かって、確信したことがある。

これはやはり 『髪結いの亭主』 だ。


komachikamiyui01.jpg

 というか、パトリス・ル・コントは、
 この戯曲を読んでいたのではなかろうか。

 フランスではいまだ別格のこの作家だ、
 知識人なら知っていても不思議はない。

 もしかして、『髪結いの亭主』 は、
 この物語から着想したのでは?

 「究極のエゴは、最大の愛の刻印」

 私が感じたこのメッセージは、
 少将が小町に与えたそれそのものだ。

 映画では男女が逆だが、
 子供の頃からの夢の実現といい、
 ヒロインの残酷な選択といい、
 ディティールが酷似しすぎている。

 これはぜひ映画を観て確かめて欲しい。


少将は小町との恋に陶酔し、死ぬことで永遠を得た。

この世は無常。
時が移ろっていくかぎり、すべては変わる。

どんなに愛した人とも、必ず別れが来る。
どんなに大切なものも、必ず色あせていく。

無常ということと直面するとき、人は打ちのめされ、圧倒的な苦しみにしゃがみ込む。

小野小町こそ無常の体現者。
物語の原本である謡曲も、もちろんこの物語も、すべてはこの歌から始まっている。


komachicap47.jpg

〜桜が長い雨に色あせ散っていくように、恋も自分もあっというまに移ろい褪せていく〜

無常。

少将はこれを嫌った。
相手が変わってしまうなら自分の時を止めれば、関係は永遠に凍結される。

恋に殉じ、自分の時を止めることは、相手に一生消えない烙印を押すことになる。
少将は無常を越えようとした。

老婆は無常を受容している。
相手に出会ったことも失うこともすべて仕方のないこと。

けれど老婆の心の中には少将との時間が息づいている。
何百回、何千回と心をたぐっても、少将との事実が色あせることはない。

失われた恋は、それが甘美であるほど思い出すのが辛すぎて、すべて封印したくなる。
そうしないと生きていけない。

恋の極上が欲しくてあんなに夢中になって情熱を傾けたのに、悦びに纏った艶めく絹は
失った途端に自分の首を絞める紐になる。

苦しすぎて、だからすべてを封印するのだ。
そうして時を経る間に本当に忘れてしまう、あのとき確かにあった幸福まで。

しかし小町はすべてを鮮明に覚えているのだ、百年たっても鹿鳴館の再現ができるほど。
これは残酷なことだ。

人は、離れてしまえば遠くなる。
存在は日常の刺激の向こうに埋れ、薄まり、絆が弱ければ思い出すことすらなくなる。

それが片恋なら、報われぬ想いを忘れようと自ら刺激にまみれる努力をすることになる。
去るものは日々に疎し…
なんと怖ろしい言葉だろう。

しかし毎日をルーティンで生きている小町には、刺激が上書きされることがない。
「それ以来」 80年、記憶は鮮明に保たれたまま。

少将とのことは小町の最後の恋だった、最後で本物の恋。
「それ以来、酔わないこと」 を自ら選んだのだ、どれほど愛していたかということだ。

百年ごとにめぐり逢う恋は、百年ごとに失われる恋でもあるのだ。
いったいこれは幸福なのか不幸なのか。。


komachicap50.jpg


少将は永遠が欲しかった。
小町は永遠など無いと悟っていた。

永遠が欲しい少将は夭折し、永遠など信じていなかった小町は生き永らえる。

もしもあの時…
「思い出した」 と言った詩人が覚醒すれば、小町も滅びることが出来たのかもしれない。
少将から戻って来られれば。

しかし詩人は、完全に少将の魂と融合してしまう。
そうして心から、「君は美しい」 と言う。
それは運命だと知っているから、押し止めようとする小町の声は力なく、細くなっていく。

小町はあの時、三人を相手にしていたのだ。
少将と、詩人と、「男」 という生き物とを。

さびしい、豪奢な、なんという恋。

・・・・・・・・



ひと夏、夢中で追いかけた、小町という名の女の物語。

最後はやはり、この曲に戻りましょう。


この曲との、そして一緒にすごした受講生さんたちとのめぐり逢いが、
この夏を、真から美しい季節にしてくれました。

やはりとてつもない名作でした。
物凄い魔力に満ちた物語でしたね。

夏の旅は、ここで幕です。
でも…

いずれまた。
今度はちゃんと、肉体を使ってこの物語と出逢う。

二百夜か、三百夜かのちに…
そういう運命だから、
ふたたび逢いなおしたその時に、交わす言葉はもう知っている。


ご無沙汰ばかり。


その時は、きっとまあるく満ちている、
月の光もふんだんにある庭で、
焔の影のようにしずかに、いつまでも、、輪舞(ロンド)を踊りましょう。










posted by RYOKO at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 小町という女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月15日

忍ぶ恋にて…

komachicap36.jpg

胸に秘めたまま…決して明かさぬ。

恋の至極は、忍ぶ恋。

なつかしい言葉だ。
個人的な話をすれば、この言葉と初めて出会ったのは高校時代だった。
国語科の先生と交換日記をしていたのだが(笑)その中に書かれていた。
まったく理解できなかった。
だって恋はハッピーエンドを目指すものと思っていたから。

けれど気づけばあの時の先生の年齢を遥かに越え、今、深くうなづく自分になっている。
長い旅をそれなりに、してきたということか。

大人になると、たいせつな思いほど表せなくなる。
表にしたら失われることが、もうわかっているから。

失うぐらいなら、告げない、告げずにずっと想いつづける。
触れてほしいと乞いながら、触れたら終わると戒めて。
忍ぶ恋は、吐息にひりつく大人の恋だ。


百夜目の思いを遂げようとしない少将のエゴが気になって、
というのはただの利己愛の話であるわけがないので腑に落ちず、色々調べているうちに、
この『葉隠』に行き当たった。

なるほどね、確かにこの作家と言えばこの書なのだ。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節で有名だが、作家は10代の頃からバイブル
にしていたというのだから、「恋の至極」も26歳ではもう自家薬籠中の熟成物だったろう。
この年齢で忍ぶ恋の概念を物にしていること自体が驚きだが。

天才は40を越えたところで、葉隠の恋についてこう言っている。


komachicap37.jpg

「美しい」と言うとなぜ死ぬのか、これが今更ながらに湧いてきた疑問だったのだ。

美しいってなに? なぜ「愛している」ではいけないの?
小町は愛されてなかったの?
少将とは、エゴを貫いた自己満足の中に死んでいった、そんな軽い男だったの?

これらの疑問が、この『…入門』で一気に氷解しましたね。

…というか、戦後日本とそれ以前の恋愛観のあまりの違いに戦慄する。
『葉隠』が書かれたのは1771年、江戸時代の佐賀藩士によってだ。

“戦後民主主義” しか知らない自分にすれば武士階級ならではのマゾヒズムなのでは?
と思うところだが、この概念を知ると近松や西鶴の書いた庶民の心中事件も理解できる。
日本人にとっての恋とは、かくも激しく密やかな、滅びと隣り合わせの「至極」だったのだ。

封建制度の理不尽な産物であったとしても、デフォルトが忍ぶ恋だったなんて。
高校生の自分がいた世界では、恋はすでに高らかに謳いあげるものになっていた。

敗戦とはこういうことだったのか。。
なんと恐ろしいことだろう、これは民族の人格の破壊だ。
作家が俗悪と斬り捨てるのもむべなる哉の、おそるべき魂の断層の此岸に、我々現代人
は棲んでいたのだ。

今の安寧や自由はこの民主主義がもたらしてくれている。
それはこんなに深い断層の上に存在していたのだという認識を得られたことが、今回この
作家に取り組んだもっとも大きな収穫かもしれない。
まさかこういうものが描かれていたとは。

ゆえに。
やはりこのホンは、狂おしいまでに美しい叙情に満ちた悲恋の物語にしなければならない。
小町は思いを内にたわめて、忍ぶ恋を生きる人なのだから。

少将は、エゴのために死んだのではなかった。
恋に殉じたのだ。
それが生涯ただ一度の奇跡と解ったから、迷うことなく陶酔に身をゆだね、滅びることを、
選んだのだ。

小町は命を懸けるに足る女。
小町の美を讃美し小町の美の中で死ぬ至福を、男たちは選ぶ。

「美しい」とは、恋の奇跡体験のことなのだ。
それは、瞬間にして生命の神秘や生の真理まで悟ってしまえるほどの体験。
その陶酔を知ったらその先のすべてがいらなくなる、本物の恋。

小町はその意味では、美であると共に恋の化身とも言えるのかもしれない。
だから男たちは、決して愛しているとは言わない。
発散の減殺を頑として受け入れず、美しいと嘆じながらおのれが滅ぶほうを選ぶ。

それは究極の愛の告白。
小町は何度その想いを浴びてきたのだろう。

しかし思う。
小町が必死に取り乱しながら引き止めたのは、少将だけだったのだと。
あの誇り高い女が、自ら老醜を晒し己の存在価値を否定してまで失いたくなかったのは、
少将だけだったのだと。

今も美しいのだと地団駄を踏んだ小町が、自分は醜いのだと足を踏み鳴らす。
同じ行為のもとに行われる、これは大転換だ。

自分を貶めてまで少将を逝かせたくなかった。
それが小町の愛の形。
きれいと思ったらきれいと云うさ、少将のあの言葉は、惚れたら惚れたを貫くさということ。
譲らず、命を捧げる、それが少将の愛の形。

このあたりまでくると人物は渾然一体となって、くるくると出たり消えたりを繰り返す。
小町は老婆になり老婆は小町になり、それは少将と詩人にも言える。


komachicap39.jpg

気がつくだろうか、この「僕たち」は、“詩人と少将” でもあるのだ。

男の恋は百日目に果てる。
女の恋は、百一日目から始まるのに。

二つのあいだにあるものは、永遠に橋のかからない嘆きの河なのだろうか。



komachicap38.jpg

おそろしい皺だらけの99歳の乞食婆が、なぜ「美しいひと」に見えるようになったのか。

鹿鳴館での小町は、人々の中で涼やかにたたずみ、3つの独りごとを言う。
噴水の音、輪舞する焔、風にただよう樹の匂い。
小町は「見えない存在」を感じている。

目には見えないけれどそこに確かにあるもの、それは忍ぶ恋の在りようと同じ。
見えない中にこそ真実がある。

「詩人」とは、まさにこの見えない真実を言葉に置き換える者。
小町の心を通して、詩人は世界を構築していく。

同じものを感じ、同じ感動を共有できる感性は、俗悪な鹿鳴館の人々とは根本が違う。
恋人たちの陶酔を理想としている詩人は、たちどころに小町の世界観に魅了されていく。
詩人の心の目が小町という「女の魂」の美しさを見つけたのだ。

小町の美は見た目に捉えられてはならないもの。
それを考えるとこのホンは凄い戯曲だ、俳優の魔法というものを信じているのだから。

小町は、美人女優はやってはならない役なのかもしれない。
容貌の美しさが観客から「見えなかった真実」の発見を奪ってしまう危険を生じるからだ。
美人に化ける魔法を持ったものが必要とされる、稀有な役だ。

ところが、ここにはもう一つ大きな仕掛けがある。
小町の魔法を客席に発動させるのは、実は詩人役のほうなのだ。

老婆が絶世の美女に見えてくるかは、詩人役の力量・陶酔力、恋情にかかっている。

小町の美しさは、詩人と彼を通した観客の目の中に甦る。
そここそがこの戯曲のキモなのだ。
詩人が恋のために死ぬ説得力は、小町に本気で焦がれることで生まれる。

小町を、命を懸ける価値のある、唯一無二の美しき存在に仕上げる。
それが、詩人役に課された最大のミッションだったのだ。

やはり MISHIMA だ。
彼はどこまでも男の力を信じ、男の世界を普遍にまで広げて見せた。

火のように燃え上がる恋を演じきる。
詩人と老婆とこの物語の成否は、そこにかかっている。

この作品の主役は老婆ではない。
詩人だ。




----------

今月に入ったところで引いた風邪が驚くほど悪化し、三日も高熱が続いたため、
先週の教室は、開講以来はじめての全クラス休講となってしまった。

月末には夏講座は終わっている。
地方公演に向けて稽古が始まる。

今年の夏は、とても短かった気がする。
たのしかった。。

この秋は、どんな彩になるのだろう。
どんな想いを、たわめることになるのだろう。

明日からの二週。
心残りのないように。

豪奢でさびしい、忍ぶ恋に、
よりそいませう。
よりそいませう。









posted by RYOKO at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 小町という女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月04日

百年目の約束…

komachicap35b.jpg

第7週、詩人の心情に圧巻の新解釈が出た。
金曜クラスの26歳の男性受講生によるもの。

第6週の具体的なエチュードをもとに、解釈の更なる深みに到達することができ、
その表現にも思わぬ飛躍が起きた。


----------

彼いわく、少将は小町とのワルツの初めから、絶望しているのだと言う。
なぜなら、“その時”に押しつぶされそうになっているから。

少将の頭の中では、「今日が百日目」という思いが何遍も繰り返されている。
それを小町は敏感に察する。


komachicap12.jpg

この解釈なら、「ご挨拶ね」は少将を軽くなじる台詞になる。
会話は初めから、どことなし不穏なズレを生じさせたまま進んでいくのだ。

踊ることで互いを感じ合い、“その時”へのプレリュードに浸る二人のもっとも幸福な時間、
であるはずなのに、絶望とはこれいかに?

少将にとっては今が頂点、百日自分を突き動かしてきた憧憬があまりに膨らみすぎて、
実際に小町の裸を見たら落胆するところにまで、もはや行っている。
しかし時間は刻々とその時に向かい、このままでは次の段階に行かねばならなくなる。

少将は小町を抱きたくない。
今の居心地が凄くいいから、延ばしに延ばしてラストシーンを迎えたくない。
「二人は幸せに暮らしましたとさ」のハッピーエンドのその先に今のこの幸せはない。
お伽話の王子はたぶん1年でシンデレラに飽きる。

思いを遂げたくない。
一つ一つクリアしていく寂しさ、怖さ。
もう百日欲しいぐらいの気持ちになっている。
ゆえに、何かするごとにテンションはだんだん下がっていく。


komachicap25.jpg

少将はこの日の最初から、これを確認したかった。

それが確定すると、思いはもう死にたい死にたいしかなくなる。
ここで死んで百年後にまためぐり逢えば、今のこの時を永遠に繰り返すことが出来るから。



ここまで聴いて非常に驚いたのだが、このあとエチュードをやってみて更に驚いた。
どの台詞にも実感がこもっていて、芝居がまったく通っているのだ。

小町は必死で引き止めるしか手がなくなり、諍いも自然、説教めいた強い口調に。
小町をキープすることが出来なくなり、瞬間的に老婆とコロコロ入れ替わることになる。
目をおさましというシーンの熱量も、確かに物凄いものになった。

そうして少将は、子供のように目をキラキラさせて明るく果てて行くのだ。


komachicap26.jpg

小町は置いてけ堀のまま、何がなんだか分からないまま「もう百年!」と叫ぶことになった。



恐るべき新解釈。
徹頭徹尾少将のエゴに貫かれた、相手不在の物語。
ぶっちゃけ若者の恋愛離れはここまで進んでいるのかと、26歳の感覚に戦慄した。(笑)

しかしこの解釈の片鱗は、実は先週すでに同年代の女性受講者からも出ていたのだ。
別に恋愛至上主義ではないが、相手とドロドロに溶け合う感覚が忌避されているようで、
役者としては一度ぐらいはそんな経験もしておいてもらわないとと、チト心配になったのは、
閑話休題。
まあね、今、恋愛さえもしづらい時代だもんね。

『お踊りあそばせ…』 で、小町が女にならないと少将が阿呆に見える分析がなされたが、
この解釈ではその逆の現象が起きる。

この解釈のままだと、小町は少将に対して憎しみすら感じかねない。

少なくとも呆れ返るのは必定、惚れて100日通ってきたにも関わらず何だそれは、と。
女ごころからすれば、そんな男のために百年待とうなどという気にはまったくなれない。

ゆえにこれでは物語は成立しないことになるわけだ。

この作品は果たして、片側が徹底的に置いて行かれる物語ということでよいのか。
通い合えぬまま永遠を繰り返す男女の物語・・・ならばこれはなんのための繰り返しか。
小町は亡者に取り憑かれたみじめな犠牲者、そういう物語なのか。

観客の感動はどこに生まれるか。

自分の解釈が通ったあとに必ず検証しなければならないのは、この部分だ。
何度も言うが、演劇は観客のものなのだから。



それはそれとして、くだんの26歳は、しかしこの解釈で飛躍的な進歩をした。
台詞のすべてに自分の思いを通すということは、初めての体験だったかもしれない。

通る、ということはそれほど遠い道のりなのだ。
彼はまったくブレずに読み通した。
声音、間合い、表情、エネルギー、どれを取っても非の打ちどころがなかった。

よかった…1年かけてここまで来た。
もともとポテンシャルは高かったのだが、その出し方をようやく掴めたのだ。
彼も、半信半疑のまま胸の昂りを押さえられない様子だった。

この実感を今後の基本としてくれることを、切に願う。



が、しかし、これはあくまで初めの一歩。
芝居づくりのスタートラインにやっと立てたということ、問題はここからだ。

次にすることは、まず少将と自分の相違点を見つけることだ。

少将は参謀本部の軍人なのだ。
その仕事は、命令とあらばすぐさま命を差し出すこと。

ゆえに、軍人に岡場所(遊廓)は付き物。
彼らにとっての女は、刹那の慰めをくれる女郎か自分の名誉を守ってくれる妻のみ。
当然、少将も小町と出逢うまでにあまたの女を知ってきた。(他の女たちという台詞もある)

そういう成熟した男が、たとえ小町と言えど今さら女の生身に幻想を抱くものだろうか。

少将は、国への忠誠を捨てられるほどの本気の相手と出逢ってしまった。
在ってはならない恋をしてしまった時点で、少将は軍人失格になったとも言える。

小町にしても命懸けだろう、百夜通いは国より自分を選ばせたに等しい行為なのだから。
どこかでは目が覚めると思っていたかもしれない、他の男たちのように。
しかし深草はついに通い遂げ、孚(まこと)をくれたのだ。

そこで次に考えるべきは、女を百年も待たせることが出来るパワーについてだ。

なぜ小町は百年も待てるのか?
何が小町をそうさせているのか?

身も蓋もない言い方をすれば、少将は小町にどんな飴玉を与えたのか。
更に言えば少将も、飴玉を与えられたればこそ今死にたいとまで思うようになったのだ。
それは何なのか、二人はどんな飴玉のやり取りをしたのか。

ここを理解して初めて、物語の体現者(俳優)となれる。
ここを逃したままでは、単なる独りよがり、そも芝居にならない。

相手を動かす。

自分の何が相手の心の動きを引き出し、次の台詞を言わせることになるのか。
独りで芝居するな、とはそういうことだ。

これが分かってくれれば、彼は安定した芝居力をものにすることが出来るだろう。



この奇跡の進歩の目撃者が僅かだったことが惜しまれる。
人の成長を目の当たりにすることは、そのまま自分の成長をも促すことになるのだから。

しかしまあ、そんなものさ。
縁のものなのだ、こういうことは。
思わぬ少人数になったからこその集中が生み出した奇跡だったことも確かなのだし。

一言の発言もなく終わった日でも、どんどん掴んでいっている者はすぐに分かる。

ヒットを飛ばすために100本のファールを打てるか。
ものづくりの基本はこの辛抱にある。
すべて自分次第なのだ。

面白い現象に気づいた。
彼のこの解釈を月曜クラスで紹介したところ、女性受講者はドン引きしたのだが(笑)
ドン引きはつまり死と同じことなのではなかろうか。

男のエゴを目の当たりにすると、女の中でその男は死ぬ。
まあ、逆もまた然りだろうが。

少将のエゴは激烈だ。
100日女をその気にさせておいて気が変わったと置き去りにするのだから。

ここまで深堀りしてきて、あらためて思う解釈の柱はこの2本。
少将はなぜ気が変わったのか?
小町はそれでもなぜ待っているのか?



□□ READ by Yamagishi □□

初めから読み直してみると、そこかしこに重要な言葉がまぶされているのに気づく。


komachicap27.jpg

物語全体から読めば、蜘蛛の巣よろしく定点で網を張って待っているのは老婆の方。
だが詩人の意識は逆、ある晩から老婆が目の前をチラチラするようになったというもの。

以前、男友達が恋愛談義の中で、自分の視界の中に入ってくる女を意識するようになる、
と言っていたことを思い出した。
男って本当に目の前のことしか見えてない(笑)

が、老婆が「決まった時刻に」「このベンチに」来るのは確かなのだ。
夜、ね。


komachicap28.jpg

詩人が俗悪だと言っているこの情景を、少将は再会の場所に指定する。


komachicap29.jpg

少将にとっては、小町とのこの場所はサンクチュアリ。
聖なるめぐり逢いの神殿なのだ。

すると老婆のこの台詞が、逆説的に響いてきたりもする。


komachicap31.jpg

小町はきっと、意に染まぬ相手だったとしても百夜通いを告げる。
まるで馬の人参のごとく、景品のごとく、身を差し出して男の本気を確かめる。
ということは。
百夜通いを果たした相手がタイプではなくても、運命と受け入れ抱かれたのだろうか。

いや、それはない。
女が表立って咲き誇れた鹿鳴館時代なのだ、百夜通いの前に小町は男たちを吟味できる。
そのさなかにも、この百夜目のように何度も男たちと会える。
意に染まぬ相手の熱を冷ますことも、小町ならやすやすとやれただろう。

逆を言えば、これと感じた相手の火を焚きつけ続けることも出来たのだ。
そうして越えてきた男になら、一緒に死んでくれと言われればいつでも従えるほどの情熱を、
きっと小町も持ったろう。

百夜通いを果たした男は、他にも何人かいたはずだ。
彼らは百夜目のその時に感極まり、みな同じことを言う、「あなたは美しい」と。
そうして小町を手に入れる前にみんな死んでいった。

老婆は詩人に、自分が美しいことを認めさせようとする。
鹿鳴館へのタイムスリップはその証明のために起きたことだ。
それほどまでに認めさせたかったことを、しかし小町ははなから否定している。

何度も繰り返された結末なら、小町の男への対応はいい加減ドライなものにもなりそうだ、
だが小町は全力で 「美しい」 と言いたい少将の意志を止めようとする。


komachicap32.jpg

この少将の台詞にくだんの26歳はシビレていた、俺は思っても言えないと。
確かに、軍人らしい、生きざまに覚悟のある台詞だ。

ということは、命の瀬戸際に立たされ続けているような状態にでもいない限り、普通の人生
の中でこんな潔さを発揮するのは無謀に等しいとも言えるのかもしれない。

少将には守るべきものがないのだな。
守るべき唯一である小町が、男のこの決然たる断定を引き出してしまう皮肉。


komachicap33.jpg


退屈。
それは少将が忌み嫌い、そのために死んだもの。
その顔を、小町は好きだと言う。

多くの人間は退屈なのだろう、かく言う自分もそうだ。
こよなく、何かキラキラした邂逅を求めながら、もはや確かに退屈をあきらめ始めている。
もはや確かに、邂逅など訪れ得ない自分になったのではと。

ふと思った。
小町が欲しかった言葉は、思いは、もしかしたら 「一緒に生きてくれ」 …だった?



----------

ちょっと限界。
実は先週、映画の撮影現場で体調を崩したのが大風邪になってしまった。

こんなにやり損なったのは教室を開いて以来初めて、
記事作成も四日かがりに。
滴り落ちる汗と痛みの、なんと憎たらしいことか…
ああ、くちびるが乾く、明日のクラスまでにどうしても治さねば。

この熱が引いたとき、すべての煩悩も消え落ちていればいいのに。
しかし小町はそれを引きずって生きつづける、
百年、また百年と。

タフな女だ。








posted by RYOKO at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 小町という女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする