2016年08月03日

美しきひとの名は…

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夏クラス、始まりました。
ずいぶんたくさんの方が体験にいらしてくださり、なんと嬉しいことに全員が継続に。

フレッシュで華やかな幕開けの中、本読み教室はまた新しい一歩を踏み出しました。


□□□□□□□□

今季のテキストは、一筋縄ではいかない作品。
構造が複雑なため、1ページ目から順を追っての解釈というのができない。

感想を聞くと受講生の興味は、やはり後半のクライマックス部に集中。
そこで出た解釈を基点に、前半部分へと還していく形になった。


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この台詞に対して印象に残った解釈をランダムに。

キレイと言われる嬉しさは女の本能、言わせることで満足する。
 ゆえに美しいと言わせた後はカマキリのように豹変、相手が死んでも平気。
 この変わり身の速さは女ならでは。

憧れの相手にキレイと言われたら失望する。
 相手にはもっと高いところにいて欲しかったから。
 自分より強い男を求めているのに、降りてこられると恋は死ぬ。
 この男も只の人だったという感覚、男の死はイコール恋の死。

美しいと言われた時から女は歳をとっていってしまう。
 だから言われたくない。
 それでも言われたら、恋の絶頂はその時からもう死んでしまう。

この男と女の会話は精神的セックス。
 美しいと言われることは絶頂、いつまでも浸っていたいから寸止めがいい。
 言われたら後は醒めるしかなくなる。
 それなのに男は欲望に駆られてすぐに言いたがる、絶頂のみを欲しがる。

キレイに見えるが女って汚いよねという作家の目を感じる。
 男の理想が描かれている。
 男の作家が書いたものだなーと思う。

老いさらばえた姿を世界で一番美しいとまで言う男の目線の変わり方が滑稽。
 この老婆は人間の愚かしさ、儚さを引っ張り出す幽霊・妖怪なのでは?
 手管を使って褒め言葉を言わせ取り殺す。
 美しいと言われることがこの妖怪のごはん。

作家は「美」をフリーズさせている。
 戦前の日本が持っていて失くしたものへの恐れ、悔恨を描いている。
 全般的に生と死が意識されている。

一度欲望を抱いたら男は止められない。
 美しいと言いたい絶頂へ一直線に向かうしかない。



□□ READ by Yamagishi □□

この物語には「俗悪」という言葉が9回も出てくる。
作家は「俗悪」ということに何か大きな意味を持たせている、それは何なのか?
舞台設定は「極めて俗悪」=第一行目のト書きからすでに隠しテーマが忍ばされている。

物語の書かれた年は1951年(昭和26年)、クライマックスシーンの舞台は鹿鳴館。
鹿鳴館は明治19年開館。19年前は幕末。黒船来航が明治維新という革命を引き起こした。
然るに昭和26年、こちらもわずか6年前に敗戦から民主主義への大転換が起きている。

この物語には二つの断層が描かれている。
この国が培ってきた文化、歴史、思想は米国によって二度、バッサリと断ち切られた。

小野小町は昭和26年時点でも1100年以上前の時代に生きた、わが国一の美しき人。
千年続いた古(いにしえ)からの美が、アメリカナイズされた近代では老婆と蔑まれている。
作家はこれを隠しテーマにしているのだと感じる。
舞台が鹿鳴館である意味はそこにある。

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敗戦からたった6年で、あまりにも変わってしまった日本。
命を懸けて守ろうとした国は、かつて愛した美しさを刻々と失くしていく…
26歳の天才作家の心に刻まれた思いは、現代の我々には想像も及ばない。

  花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

―小野小町       

この物語は米国の占領時代に書かれている。
日本が独立を果たしたのはその半年後だった。
ただ、戯曲の読解と作家の思想への共鳴は別物、ここに巻かれてはならない。


謡曲の『通小町』では、愛の妄念となった深草少将の霊が小町に取り憑き、
旅の僧の導きによって百夜通いを再現することで二人は成仏できる。

この物語の老婆にはそれがない。
99歳の老婆はさらにもう100年生き永らえねばならず、宿命のループから抜け出せない。
なぜなのだろう。
この老婆は何かを待っている。
いったい何を? なぜ? 待っているのだろう。

戯曲の読み解きをするとハマる罠は、「物語」を逃しがちになることだ。
まして演じ手なら、イメージの力は常に湧き起こしていなければならない。
この作家が描いたのは、絢爛豪華にしてせつないロマンティックな二人なのだから。

私が想う小町と深草少将の在りようは、この美しい曲がイメージさせてくれる。

  

ここまで甘美な世界に仕立てても、まったく陳腐に落ちない物語。
私はそう読んでいる。

そうむしろ、この物語の甘美に浸った方が数々の謎はきれいに通る。
ひとつずつ解釈を深めるごとに、豪奢でさびしいこのロマンスに戻ってみればいい。



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今週も、前へ、進んでまいりましょう。(笑)





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2016年07月18日

本読み教室、リーディングデビューするの巻

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16日は、岸田國士の 『隣の花』 のドラマリーディングをしてきました。
本読み教室の世間さまデビューです。

自由が丘にある、小さな教会のような瀟洒なスペースで、
手作りのカップでコーヒーを飲みながら文芸に触れましょうという、
陶芸教室さんのイベントにお呼びいただいたのでした。

急なお話、かつ、夏の土曜の午後にゆったり憩うセレブなみなさまがお客さまですから、
3月のおさらい会で発表していた 『隣の花』 なら、
色気のある大人の物語だし、すべてにおいてベストバランスの一択ということで、
教室メンバーに出動してもらったのです。

とはいえ公演ですから、見せる朗読に仕上げないとならないわけで。

トータル6時間というとても短い稽古時間のなかで、
役の心情のリアルを表現にまで立ち上げて、演出もしっかり覚えて、
という作業は、演者にはかなりハードだったはずです。

容赦なく飛ばす山岸の無体な注文に、早い理解でついてきてくれたのは、
春のクラスでこつこつ積み上げた、時に身体も使って探った解釈が、
この芝居のベースとしてみんなの中で共有されていたからですね。

つけた演出は、ここぞという時以外はどの役も客席を向いたまま、
役者同士のコンタクトは取らない、いわゆる様式美を追う形にしました。

朗読は、読み手とお客さまの想像力とのコラボレーションで成立するものです。
これ、演劇の、いや芸術の本質ですよね。

だから朗読って、実はそんな簡単なものじゃない。

まして岸田國士の作品は、
日常に隠された心情のうねりが緻密にあぶり出されていく世界なので、
ウソを演ると何も伝わらなくなる、おそろしいホンなのです。

これを言葉だけで成立させようというのですから、
演じ手は、実はけっこうな難度を要求されることになるわけで。

朗読は俳優を鍛えますよ〜。

この、お客さまの想像力に訴える原点回帰を、ちゃんとやりたかったので、
動きは物語の山場を届けるための、座るか前に出るかの最小限に抑えたのですね。

女優陣の衣装には見る楽しみを加えて、わかりやすい遊びを入れました。
いわゆる、花と竹垣?(笑)
とにかく 「シンプルの美しさ」 だけを考えた演出にしました。

実は通し稽古はできないままの、まさにぶっつけ本番だったので、
大丈夫か…という不安も、正直あったのだけど、
とんでもない。

本番のメンバーはみんな、驚くほど澱みない気持ちのいい口跡で、
丁寧にダイナミックに、ちゃんと役を生きて見せてくれました。

女優さんはみんなとってもキレイだったし、男性陣はセクシーだったし、
狙い通りの品格を出しながら、それぞれにフレッシュな弾けっぷりも見せてくれて。
本番の役者というのはやはり大したものです。

主祭側のご都合で、前編後編15分ずつの構成に分けたのですが、
始めがさついていたお客さまも、ある時点からクッと集中され、
あとはずっと、この静かな時間をたのしんでくださって。

後編に入ったら聴きに来られる方が増えていたのも、うれしい現象でした。
うちのE頭さんなど、美人のおくさまに 「素敵でした〜、いいお声ですね〜hartvage12.jpg
とプチ出待ちなどされてましたし。(^o^;)

本当にみんな、よくやってくれました、デビューは大成功でした。
というわけで、終わって心底ホッ。。
とする間もなく 「またやりたい〜」 の大合唱。(笑)

いや、確かに面白かったですもの。
今後、教室でこういうサロン演劇といった場の常設を、
ちょっと真剣に考えようかなと思ってます。

本読み教室はじめての夏は、こうして少しずつ、場が広がってきています。
これも出会ってくださったみなさんのおかげです。
ありがとうございます。

さあ、週末からはいよいよ夏のクラスがはじまります。

今季はどんな方が仲間になってくださるでしょう。
お時間があったら、一度お気軽に覗きにいらしてください。
みんなとっても楽しみに、あなたをお待ちしています。







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2016年05月24日

離風霊船『ゴジラ』ヒロインが本読み教室から出ました

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離風霊船公演 『ゴジラ2016』 は、
おかげさまで連日の大盛況と共にお客さまに大変お喜びいただけております。

東京公演も折り返しに入りますが、
土曜のソワレでは大阪楽日に続いてダブルカーテンコールもいただき、
メンバー一同、それは大きな力をいただけました。

ご来場くださいました皆さま、ご予約を頂戴しているみなさま、
本当にありがとうございます。


扉の写真は、三代目ヒロインやよいを演じております田中奈緒です。

なんと彼女は、この本読み教室の現役受講生です。

昨年の秋から教室に通い始めて数ヶ月経ったところで、
『ゴジラ』 作・演出の大橋泰彦の目に留まり、白羽の矢が立ちました。
今回が初舞台のフレッシュな新人です。

この「やよい」は、浮世離れした清純さが要求されるかなり異色な役のため、
ヒロイン探しには時間がかかっていたのです。

が、まさかこの教室から輩出することになるとは、、、
大抜擢ですからねぇ、私が一番驚いたかもしれません。

奈緒さんは、素直にあるがままの持ち味を出し切ってくれています。
稽古中の伸びしろには、劇団員もみな目を見張りました。

このホンを知っている女優なら、一度は憧れるプレッシャーの大きい役ですが、
本番でお客さまから育てていただく喜びが、奈緒さんの中で覚醒してきたようです。
がんばれ!最後まであがき続けてね。

座組にはほかに、教室一の優等生も出演しています。
あまりに優秀なので名前は伏せます。(えーっ!笑)
でも本当に…終演後のロビーに並んでいる彼女たちを見ると、
ちょっと、得も言えぬ熱いものが胸にあふれそうになって、いつも困ります。

母船の本公演に二人までも選んでもらえたことは、教室の誇りとなりました。

本読み娘たちの情熱が、
初演から30年のリブレの『ゴジラ』に新たなパワーをもたらしてくれています。

東京公演もあと半分、来月には名古屋で大千秋楽を迎えます。
心に抱くのはただひとつ、
「日々進歩!すべてはお客さまのために」

彼女たちの清新でパッションあふれる姿を、ぜひ確かめにいらしてください。


 劇団離風霊船 『ゴジラ2016』

 ■公演日程
 【大阪公演】
 一心寺シアター 5月14日〜15日

 【東京公演】
 下北沢ザ・スズナリ 5月18日〜29日
 24日(火)19時30分
 25日(水)15時/19時30分
 26日(木)19時30分
 27日(金)19時30分
 28日(土)15時(残席わずか)/19時30分
 29日(日)15時(完売)

 【名古屋公演】
 愛知県芸術劇場小ホール 6月4日〜5日
 4日(土)19時
 5日(日)13時

 ■料金
 全席指定3300円

 シニア割り(60歳以上)3000円
 学割3000円
 双子割り(2名1組)6000円

 高校生以下2500円
 限定かぶりつきシート2500円(スズナリのみ)

 ■ご予約
 yrosegarden@yahoo.co.jp (@を半角に)
 『ゴジラ:チケット予約』 の件名でお願いします



ほかの受講生さんたちはといえば、これががまたどんどん!
オーディションを勝ち取っているのです。

これにはちょっとビックリしています。
この春は観劇ラッシュで大変でした(笑)

6月に女優デビューする方もいる一方で、新たな展開に入られたベテラン勢も多く、
メンバー同士、いい相乗効果をもたらしているように見えます。
どの方も呆れるほどの努力家さんですからね、報われないはずはないんです。

みんながここで自信をつけて羽ばたいてくれているのが、本当にうれしいです。

次はあなたの番ですね。

7月から教室を再開しますので、ぜひ一度体験にいらしてください。
2016年教室の詳細は近日アップします!










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2016年03月03日

勝って、しかも負けるという術…

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■第三幕 第二場 104ページ

   ジュリエット
  教えて、汚れなき二人の純潔を賭けたこの勝負に、
  勝って、しかも負けるという術を。

原文:
Come, civil night,
Thou sober-suited matron, all in black,
And learn me how to lose a winning match
Played for a pair of stainless maidenhoods.

現代英語訳:
Come, night, you widow dressed in black,
and teach me how to win my love so that we both can lose our virginity. 


原文の大意を直訳すると、
「初体験に臨む二人が、この勝ち試合で(ちゃんと)喪失する方法を学ばせて」
ということだと思うのだけれど…

原文では「how to lose 」=負け方 になっているのが、モダントランスレーションでは
「 how to win 」=勝ち方 にひっくり返っているところが、軽く気になりつつ。。


上に記した教室テキストは、3人の翻訳家さんの文を混ぜたものなのです。
どれも帯に短し…だったので。


       教えて頂戴、穢れない二つの操を賭けたこの勝負、
       どうしたら失うことで勝利できるのかを。
河合祥一郎:訳 


 意味は分かりやすいのだが訳としてあんまり面白くない(個人的感覚)。
 操って、、なんか急にババ臭くなってジュリエットの心情に乗れなくなる(笑)



       二人の汚れない純潔を賭けたこの勝負、
       どうしたら勝って負けられるかを教えて。
松岡和子:訳  


 前半は詩的に美しい整いがあるのだが、後半はあっさりしすぎて意味が弱い。
 (個人的感覚)
 勝って負けられる?? 何のことやらと原文と河合版を引いて超訳かぁ!と。
 しかし普通に一読しただけでは謎のラインとしてスルーされかねない。
 ここ、けっこうポイント高い台詞なので、困りたものよと。



       お願いだわ、
       純潔無垢の処女と童貞と、その二つを賭けたこの勝負に、
       勝って、しかも負けるという術を教えてもらいたいの。
中野好夫:訳  


 前半の意味はもっとも分かりやすい、がこんな身も蓋もない台詞いうの嫌(笑)
 「勝って負ける」が二本出てきたことで、どうやらこれが邦訳のベーシックらしい。
 どうせなら中野さんの後半の美文調をいただくことにする。


というわけで、
日本語訳には英文の直截な内容以上の哲学的な何かがありそうに思えて来まして。

天下の名訳家たちが雰囲気だけで言葉を選ぶとは思えないので、
「勝って、しかも負ける」からは恋の深淵が覗けそうじゃありません?


恋愛において、「勝って、しかも負ける」とは、どういうことか。。

二人が初めて一つになるという時、運命というものも含め、
何に勝ちたくて何に負けたくなるのか。。


そのあたりを考えて、イメージを広げていただく、
これが今週の宿題です。
それぞれの恋愛観が見えてきそうで、面白い謎解きになると思います。
(^o^)v

私はこの先をせっせとリライトしますので、
まだ未読のシーンを中心に、あなたの疑問や解釈を持ってきてください。

ジュリエットもですが、特にロミオの狂乱っぷりがかなり謎です。
なんであんなに悶絶して、追放という処遇に恐怖したのか。。

そして、あの美しくも有名な別れのシーンですね。

恋するひとを残していく。
恋しいひとの背を見送る。
ひばりの歌で追い立て、引き剥がす、残酷な朝。

その時あなたならどんな激情におそわれるか。。

おうちで追体験しておいてください(笑)








2016年03月01日

恋の手引きで。

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春のクラスを始めて6週間がたちました。
みなさんの熱い心に後押しされて、夢中でここまできたけれど、
ふと立ち止まればあと4週。。

来週からは本格的に自分の劇団の公演稽古が入ってきますし、
4月になれば、教室は初夏までお休みになるのです。

それを思えばなおのこと、あとひと月でみなさんにどれだけのものをさしあげられるのか、
まだまだ、もっともっと!
気持ちばかりが前のめりになって困ります。

あと4週間、とは。
なんだか、春が来るのがこわい。

不思議なものです。
だって、去年の今頃は自分が教室をはじめるなんて思ってもいなかったんだから。
それが今こんなにも愛するものになっているなんてことも、夢にも思わなかったんだから。

というか、こんなにも愛せるものにめぐり逢えた、その不思議に、
打たれているのかなー。

ほとんどが見知らぬ人たちとして、初めまして、から始めているのに、
そういう人に、こんなに想いをかけられるという不思議に、かなー。。

感じているのは、出会いの妙。
よくぞみつけて、尋ねてきてくださった。

たどり着いても続かないご縁もたくさんあったのだし、
それを思うと、会うたびに心の糸を縦に横にと紡ぎ合えている、
これはほとんど奇跡です。

定点にいて待つ身には、その有り得なさが、よーく解かった半年でしたね。


講座は3クラスともかなり深まって、個別の記事にまとめづらくなってきています。

企業秘密的な内容が増えているので(笑)ということもあるけれど、
何より、『ロミオとジュリエット』と『隣の花』の読み解きが、
自分の中で渾然となってきているのが大きな理由かもしれません、
どっちにも共通することなので、どちらかを選んで書けない、というようなね。

どちらも恋がはじまる物語。

そしてどちらも、障害にはばまれた恋。

偶然なんですけどね、
なんだか蓋を開けたらどのクラスでもこの問題と向き合う羽目になってるのが、
お、おぅ?(笑)

ただ、物語が目指す観客席への置き土産は、真逆です。

ロミジュリは、至高の愛、愛の信念を問いかけてくるお話なので、
最終的には宗教的とすら言える人間の崇高の極みが迫ってくるわけで、
まともに触れたら人生観すら変わりかねない強いパワーのある物語。

隣の花は、もっとナマモノな世界、
日常がいかに危ういバランスの上に成り立っているものか、
逸脱させないものは何なのか、それは果たして真に大事なものなのか、否か、
という、軽々しくみせながら多分にシニカルな大人のお話、ですのでね。

その違いは、横たわる障害のビジュアルを見ても一目瞭然。
ロミジュリの間を阻む壁は、こーんなに高い。

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 とりあえず、いっこらせっ…
 とよじ登らなければ、
 ジュリエットには触れられない。

 つま先だけで自重を支えるなんて、
 若者にしかできまへん(笑)

 一方で、隣の花の両家を隔てるものは、
 低くて軽い竹垣ひとつ。

 その気になれば、ひょいと跨ぐことも、
 でいっ! と蹴り倒すこともできちゃう、
 有って無きような便宜的結界。


 しかし、どっちのほうが高い壁かといえば、
 これはなかなかに深い問題。

 簡単に蹴りこくれるような境のその向こうに、
 魅惑の花が、
 たまらん風情でふっくりとひらいていたら…

 あーたは花泥棒にならずにいられますか?



という、ドSにもほどがある選択に、悶々と懊悩することになるわけですから。
大人の日常は、すべてこの闘いかもしれませんが。(笑)

阻まれる恋のことを考えていたら、なんだか『椿姫』が読みたくなってきました。

隣の花には『マノン・レスコー』に触れたセリフが出てくるけれど、
ちょっと前までは雛子のようにファム・ファタールに憧れた自分もいたけれど、
今は『椿姫』が、
やけに気になります。


恋って、なんなんでしょうね。

したいからってできるものでもないし。
周囲は絶賛する存在なのにまーるで心が動かないことだってあるんだし。

本当に、
落ちるもの。

もう二度とするもんか!と誓っていても落ちるもの。
さすがにもう無いと思っていても落ちるもの。
だめだめダメ!と思っていても落ちるもの。。ってダメと思ったときはもう落ちてるのか(笑)

意図せぬうちに、気づいたらもう囚われて、抜け出せなくなっているもの。

  〜ひとりのかよわい娘の中で分別と情熱が格闘している場合、
   我々の経験からいって、9対1の割合で情熱が勝ちをおさめるな〜

                  シェイクスピア 『からさわぎ』

恋をすると詩人になるよね、とは教室で出た話題ですが、
だからロミジュリはセリフがやたら詩!だったりもするわけですが、

芸術はもとより命までも、万物を生み出すエネルギーであるがゆえか、
世の中でもっとも厄介なものでもあるかもしれません、恋は。

そうね、パワーないとできないものだから、
その意味では、恋に落ちる力があるうちは安心していいのかもしれない、
生き物として大丈夫、みたいな?

えーっじゃああたしダメじゃーん!とガヨーンとなるのは早計です。
だっていつ落ちるかわからないのが恋だから。

      〜驚きだ、いつも目隠ししているくせに
       恋の神は見えぬまま思いどおりの的を射る〜

               シェイクスピア 『ロミオとジュリエット』

恋には賞味期限があるけれど、恋する気持ちには、それはない。
いつだって新鮮な罠は待ち構えているのです。

罠にハマればもがくことになるのは必定だから、
仕掛けがありそうなところには近づかない。
あるいは、よほど強力な罠でなければ、かかることはない。

まあ、それも、わかる。
けれど肉体の旬というのはあるのでね、まぎれもなく。
器が丈夫なら、火傷するような熱さも御馳走にできるのです。

いっぱいしたほうがいいですよ、一度しかないんだから人生は。
それも、苦しい恋ほどいいね。

       〜真の恋の道は、茨の道〜

               シェイクスピア 『夏の夜の夢』

人間大きくなりまっせ(笑)


先週は、ボディクラスも『ロミジュリ』と連動し、
マキューシオのセリフを使って、つか風の見得切りをやったりしました。

今の人ってみえきり、知らないのね、やって見せたらわーっと吸い込まれたようで、
夢中になって習得に躍起になってました。
気持ちいいからね〜見得切りって、芝居のケレンの全てがここにあるの。

今週のメンバーなら、何をすることになるかな。
恋も芝居も人生も、運命を決めるのはアドリブだったり。

そのアドリブが美しき裏目ばかりを引いていったのが、『ロミオとジュリエット』。
『隣の花』は、アドリブに飛び込んだところで終わります。

いずれ必ず散るのだけれど、それでもなんとか咲かせたくなる、
小さなちいさな花にすぎなくても、きれいにひらかせてやりたくなる、
それが、

恋。

考えただけで疲れるけど(笑)
厄介すぎて惹かされる、げに厄介な謎の華です。


 
 ジュリエット

誰の手引きでここへ?

  ロミオ
恋の手引きで。

とにかく君を尋ねろとそそのかしたのも恋、
智慧を貸してくれたのも恋、僕はただ目を貸しただけ。

僕は船乗りではないけれど、
これほどの宝を得るためなら、たとえ君が
最果ての海に洗われる岸辺にいても危険を冒して海に出る。


         『ロミオとジュリエット』 第二幕第二場





2016年02月23日

『隣の花』第一回:春まだき 隣はなにを乞うひとぞ

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先週から、岸田國士の『隣の花』の読み解きが始まりました。

庭続きの住宅に住む夫婦二組の話なのですが、これがアブナイホンでしてね〜(笑)

よく、隣の芝生は青いと言いますが、うらやむ対象が芝生ならぬ花だった場合、
…花とはつまり、隣家の奥さまということですね
これはなかなかタイトなことになるだろうことは、容易に想像できようというもので。

しかもこれ、きれいにクロス × しているわけです。
目木(めぎ)家のご主人は久慈(くじ)家の奥さまに、
久慈家のご主人は目木家の奥さまに、岡惚れしちゃっているという。

ソコんとこハッキリしてるなら、もう相手を取っ替えちゃえば? という感じで、
まあ、たぶんソコに向かって進んでいくと思われるのですが(結末が書いてない)
ソコは大人のお話なので、ソコに至る経過が、激しく面白いホンなのです。

ってソコ尽くしな文章になっちゃいましたが(笑) つまりそんな、
こそばいいというか落ち着かない、もやもやとした熱が全編に絡みついているわけです。

あー不倫ってこうやって始まるのね、ということをつまびらかにしてみせたホン、
なのだけれど、
これが巧いんですよねえ。

人の心の機微を書かせたら右に出るものがいない岸田國士の、
真骨頂ともいうべき繊細で自然な描写がリアルすぎて、舌を巻きます。

女性陣の感想に、男性なのに岸田國士ってどうしてこんなに女ごころが分かるんでしょ、
というものがありましたが、わずか30分ほどの物語とは思えない完成度の作品です。


このホンの凄いところは、「始まり」から始めていないところなのです。

つまり、二人の男性の人物紹介が済んだら、
次では目木氏が久慈さんの奥さんに、女房と別れる気でいますとかグイグイ迫ってる。
もうなんだか毎日そんな感じなのねという、途中から見せられるわけです。

それは久慈氏も同じで、男性がすでに迷っていないので、不思議なドライ感が漂っていて、
テーマがテーマの割りにジメジメしたトーンにならないのです。

この感じが独特の都会感をかもしだして、不倫の道に転がりだす男女の話というよりは、
人間って馬鹿だねぇ〜みたいな、戯画的な趣の方が立ち上がってくるんですね。

ご主人同士、奥さま同士の性格も真逆に設定されているので、
生身の人間臭さいっぱいでありながら、彼らはまた「記号」でしかないということも、
だんだん見えてくる。。深いホンです、さすがに。

なのでこのお話は、不倫な気分というものと真っ向から向き合わないとダメなのです。

ホンがドライなので、
演出もドロドロ感を避けようとすると、何が書いてあるのかまるで伝わらなくなるんですね。

ただの色恋沙汰の話だと思って勢いで見せようとすると、痛い目に遭う(笑)
案外骨太な、ひとすじ縄ではいかない仕掛けが施されているのです。

丁寧に、しっかり、隣の花を盗みにいく男心を演じる、
当の花ふたつは、摘まれたがっているのかいないのか、真逆の魔性っぷりを演じる。
そうして初めて、このホンの面白みが立ち上がってくるのですね。


この作品が書かれたのは昭和三年。
『顔』の解釈の際にも話題になったことですが、昔の日本人は大人でしたね。

現代人の私たちは、見た目も5歳から10歳ぐらい若くなってますけど、
精神性もそれに準じて、というのは、果たしていいのか悪いのか、
岸田作品に触れるたびにそのことを考えてしまいます。

戦前の日本は、文化的にはヨーロッパの影響を強く受けていました。
心情的にはフランス人に親近感を持っていたように思います。
そういえば、岸田國士もパリ留学した人でした。

それで思い出した、20代の頃にロードショーで、
フランソワ・トリュフォー監督の『隣の女』という映画を観ました。

こちらは、隣に越してきた一家の奥さんが、昔、激しく愛し合った相手で、
逡巡しながら愛が再燃し、破滅のラストシーンを迎えるという筋書きでした。

「愛し合うには辛すぎて、別れてしまうには愛おしすぎる」というセリフが鮮烈な、
大人の愛の物語でしたが、同じシチュエーションを取りながら、
岸田作品のほうにより成熟を感じてしまうのが、ちょっと驚きです。

破滅まっしぐらとは、いかないと思うんだよな、岸田の『隣の花』のほうの男女は。
愛で哲学してないというか、もっと野放図というか。

この物語にある俯瞰性が、そう思わせるのかもしれません。

それはまた、長く世界一の大都市であった江戸から地続きで育まれてきた、
東京という都市の持つ、あっさりと受け入れていくという精神文化の成せるワザ、
と言えそうな気もします。

反面、恋に関しては、フランス人の集中力にはかなわないけど、
どっこい日本人はなかなか陽気に図太いんだぜ、的なしたたかさも感じたり。

フランス風な色恋の展開に東京人の達観が加わるとこうなる、といった成熟度が、
この『隣の花』にはよく描かれています。


本読み教室でこのどこまでに肉薄できるか、
こんなテーマのホンもそうは無いのでね〜、かなりスリリングな期待、大です。

しかし、戯曲の読解というオフィシャルな場でまじめに不倫を追求するなんて、
なんたる健全。(笑)
ええ、もう安心して文字のアバンチュールを楽しめるってものです。

だってここは、チョットないオトナの教室ですから。
今週も、人生の愉しさ、豊かさを、みっちり読み解いていきましョ!







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2016年02月19日

『芝浜』第四回:江戸に咲う(わらう)

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『芝浜』は先週で終了、いや〜最後に来て大爆笑の素晴らしいクラスになりました。

この日は、急遽の長い帰郷をしていた受講生のAYAKAちゃんが戻ってきてくれたので、
三喜子さんと麻早さんというベテランお二人に、志ん朝版を通しで読んでもらったのです。

この志ん朝版は、落語の王道中の王道、
華やかで随所に笑いの種が仕掛けられた構成のホンです。

それだけに難しいわけですよ、なにせ読みだけで笑いを取るというのは至難の技なので。

ところがどっこい、
熊五郎の麻早さんが歯切れのいいテンポで小ボケをバンバン飛ばしてきて、
そこへ女房の三喜子さんが、やんわりふんわりキビシイつっこみ!

もう、絶妙のコンビネーションに大爆笑です。

お二人はこの日が「はじめまして」のお手合わせだったんですが、
相性ってあるんですね〜。

芸の手は決してゆるめない三喜子さんの、
とってもやりやすくて乗せられちゃった♪ という、晴れやかな笑顔が印象的でした。

真摯でまじめな大人の女性二人ということが、むしろ男のリアルをまろく包んで、
安心して聴いていられるおとぎ話のような、スカッとした『芝浜』になりました。

最後のサゲで終わったときには、全員が心底大満足の拍手を送ってましたもの。
こんなことも初めてでした〜。

いや〜、お見事!
素晴らしかったです。

三月末のおさらい会では、ぜひこのお二人の『芝浜』をお披露目したいですね。



この日はまた、三喜子さんが「福茶」をおふるいまいくださったのです。
梅干しと昆布をタッパーに入れて、おいしいお茶と節分のお豆もご持参くださり、

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 ←例のこれを、
 みんなで初体験させていただきました。

 熊さんは、あんまり美味かねえな、なんて悪くち言ってたけど、
 おいしかったですヨ〜!
 それが証拠にみんな飲みきりましたもん。(笑)

リブレに戻ってくると、こういう“体験”が出来るのがいいですね。
あったかくってほっこりと、とっても和みました。
三喜子さん、お心遣い本当にうれしかったです、ありがとうございました。



そんなわけで、いよいよ若手も読んでみる、ということになったのですが、
そりゃあこのお二人の後ですものねえ、ましてや馴染みの薄い落語、
壁、かなり高し…

というわけで、
けか子ちゃんとAYAKAちゃんの二人には、立ってやってもらいました。
若い人たちには身体の感覚で掴んでもらったほうが早いのです。

とにかく、女房役のAYAKAちゃんにはなんとしても亭主を仕事に行かせること、
熊五郎のけか子ちゃんには、なんとかして今日も休業にすることをお題に、
本気の死闘に(笑) 集中してもらいました。

自分が思っている以上に熱を出していいんだよ、ということが分かってくると、
AYAKAちゃんもどんどんヒートアップしてきて、
たぶん普段では考えられない、突っ張り!突っ張り!突っ張り!のパワー炸裂に。

もうその必死の形相だけで笑えるんですが、
そこへもってきて、受けるけか子ちゃんのオトボケがまたどんどん上がって、
しまいにゃお腹ボリボリやり出して、
「ぇえ〜?」とか「ぁあ〜?」とか素っトボケる体はまさに、ちっちゃいおじさん出動。

チャーミングなお嬢さんなのに、お腹ボリボリ、、、あんなけか子も初めてみたけど(笑)
あとで訊いたら、なんかそんなことになっちゃったんですよぉ、とか言ってたけど、

もう、その小人さんの夫婦喧嘩みたいな二人の様子がカワイイやら可笑しいやらで、
教室はこれまた大爆笑の渦に。

いやあ、当初はどうなることかと思ったけど、よかったよかった。

熱が上がってくるということは、本気になるということなので、
繋がっていなかった感情もきれいに通るようになって、
気づいたら、若さあふれるフレッシュな新解釈の『芝浜』ができあがっていました。

終わった二人はゼェゼェ言ってましたが(笑) 本当に面白かった。

いやぁ、つくづく、やってよかったです『芝浜』。
こいうふうに〆られたのがまた、もうほんっと頼りになるみんなだわっ、と、
ワタクシ少々感涙なぞしたりもして。

熱ですよ、熱。
コトを動かすのはこの一点です。
これさえあれば、突破できないものはないのです世の中には。(断言したな・笑)

企画を提案してくださった Mumble さん、本当にありがとうございました。
こんなに盛り上がるとは、こんなに身になるとは、ねえ。。
教室のここからに、弾みをつけていただけました。



さて、今週からは岸田國士に戻り、『隣の花』 の解釈に入ります。

これはまた、同じ夫婦ものでも打って変わった世界。
隠微と露骨、ドライと濃密の輪舞(ロンド)、って感じでしょうか(笑)
二組の夫婦のエロチックな駆け引きの物語です。

岸田の中では、個人的には 『顔』 と1、2を争うぐらい好きなホンです。

さてさて、教室はどんなことになるかな〜?
みんなの女っぷり・男っぷりが上がるのは間違いなしだから、震えて待ってテ。
ほほほ。






posted by RYOKO at 08:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 新春特別企画 『芝浜』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月15日

『ロミオとジュリエット』〜秘めやかな誘惑

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仮面舞踏会でジュリエットをみつけたロミオは、ひと目で激しい恋に落ちる。

音楽と踊りと、嬌声と喧騒と。
華やかな賑わしさの隙を突いて、ロミオはジュリエットの手を取る。

そして言うのだ。


ロミオ
もしもこの卑しい手が
聖なる御堂を汚すなら
優しい罪はこれ
僕のくちびるは顔赤らめた巡礼ふたり こうして控え
そっと口づけして 手荒な手の痕を清めよう
ジュリエット 
巡礼さま それではお手がかわいそう
こんなにも礼儀正しく帰依する心を示しているのに
聖者の手は巡礼の手が触れるためにある
手のひらの触れ合いは 巡礼たちのくちづけ

出逢ったふたりは手のひらを合わせ、恋に落ちていく…

いかな「本読み」教室とはいえ、このホンにかかわってこの名シーンを体験しないのは、
シェイクスピアへの冒涜ともいえようもの(笑)
当然、手の動きを入れながらの読みをしてみた。

ここで問題になったのが、手を取ってから手のひらを合わせるまでの流れ。

ロミオはジュリエットの手を取り、突然こんな手荒をした罪を赦してほしいと乞い、
その罪を清めるために、巡礼者が額ずいて聖者の足に接吻するように、
手の甲にキスさせてくださいと懇願する。

ロミオは初めからジュリエットを聖なる愛の殉教者と定め、崇敬の対象とし、
教会で祈る巡礼のように、心のすべてをあなたに預けていると言っているのだ。

その悲壮で純粋な思いに、ジュリエットはほだされる、というより火をつけられる。

見知らぬ仮面の男なのだ、警戒すべき相手であるはずなのに、
ロミオの情熱は戸惑うより先に心を突き崩し、ジュリエットを無垢の塊にしてしまう。

そんなに畏れないで。
手のひらを合わせて心を通わせるのが巡礼の慣わしなら、
わたしのこの手はあなたが触れるためにあるのだから。

ジュリエットが言っているのはそういうこと。
そうして取られた手を解き、手のひらをロミオに向ける、という流れ。

ジュリエットは、取られた手をいったん離さないと手のひらを垂直にできないわけだが、
やってみるとこの離す動作がポイントになることがわかる。

拒否した風にならないように、そっと指をはずしていく。
これはひとつの賭けのようなもの、思いが感じられなければ相手は追ってこれない。
演者の間には密度の高い集中が通い合う。

そして、たなごころを合わせる。
この単純な動作がこんなにドキドキするものとは、みんな初めて知って驚愕していた。

このホンのエクスタシーは、まさにここにある。
バルコニーの場でも、結ばれて別れる夜明けの場でもない。
初めて相手を受け入れた瞬間なのだから。

清らかさとさりげなさを装った、とんでもなくセクシャルな行為。
それが手のひらをぴったりと合わせる動きなのだ。

こういうシーンは段取りにしてはならない。

演じ手同士の自然が絡み合うと、思わぬ化学反応が起きることになる。
自分も相手も次にどう出るのかわからない、スリリングで濃密な時間…

ここにこそ演じる醍醐味がある。
他人と溶け合える瞬間は、そうあるものではないのだから。

まあしかし、演者も人間なので、どんなにセクシャルなシーンでも、
いかんとも相手に反応できない組み合わせがあることも確かではある(笑)

この手のケミストリーは、演者同士の相性がよくなければ起きない。
演劇の奇跡のひとつだったりもするのだから、体験すると生涯忘れられない記憶になる。

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何組もでやってみてわかったのは、ジュリエットは決して受身ではないということだった。
ことほどさように、意外にもジュリエットのほうが明確に誘っているのだ。

初めて会っていきなりのこのスパーク。
あまりにも非現実的な、芝居じみたデフォルメの最たるシーンかと思っていたが、
さにあらず。

ロミオ役に真摯が見えると、そんなにも誠実に情熱的に思いをぶつけてくることに、
自然、you do wrong your hand too much 「かわいそう」 という気持ちになってくるのだ。
この思いの熱さは実際に動作をして初めて感じられたことだ。

可哀想ってのは惚れたってことさ、と言ったのは夏目漱石だったが、
文豪はみんなこういう真理を知っていると思うと震えが来る(笑)

確かに、そう思うと指は勝手に動いてロミオの手をきつく握り返してしまうなどという、
思わぬ反応が起きて自分でも驚くことになったりするのだから。

読解だけでは得られない登場人物の生の気持ちに触れられる喜びは、
こういう中にある。

しかし、手というものは雄弁だ。
実は言葉よりも真実を語るものかもしれない。
この手のひらを合わせる行為は特に、ある意味ではくちづけよりセクシーなものだ。

このへんの話をしていて、手のひらは五感の中でもっとも敏感な部分だからじゃないか、
という意見が出たが、
たとえば洋服を買うときには無意識に手触りをポイントにしているように、
確かめるという行為をもっとも的確かつ熟練ワザで行っているのは手なのだな。

その手でそういう手を感じるのだから。
手のひらをぴったり合わせるというのは。
ものすごく官能的な行為だったのだと、今更ながらにかなり驚いている。

シェイクスピアってやっぱり、とんでもない手練れだ。

『ロミオとジュリエット』を書いたのは、まだ20代の頃だったと思ったが、
こういう生理的な官能性を熟知していたことに驚嘆する。

ロミオは、合わせたジュリエットの手のひらから、指先から、
何を感じただろう。
それがあればこそ、二度もくちづけをねだる挙に出られたのは確かなのだ。

恋は、秘めやかな通い合いであるほどセクシーなものなのかもしれない。
その二人にしかわからない、秘密の華。

これを共有してしまったら、そのひとはもう群集の中の一人ではなくなる。
ふっくりとしたつぼみが、少しずつ、けれど素早くひらかれていって、
気づいたときにはもう、落ちている。

結ばれてはいけない相手なら尚のこと、あっというまに落ちていく。
恋という名の厄介な甘い苦しみに。


  これこそがみなさんにお見せしたかったロイヤルの Dnce of the knights。
  またすぐ消されてしまうかもなので急にアップされた幸運を喜びつつちゃんと観てねと切望。


「もしもこの手が…」
このセリフが始まるまでに、ジュリエットもロミオをみつけていたのだろうか。
それとも、スッと目の前に現れた見知らぬ男に手を取られ、驚いたそのとき、
初めてロミオの目を見たのだろうか。

シェイクスピアの原本にはト書きがない。
書かれているのはセリフだけ。
ジュリエットがどの時点でロミオを認めたのか、この会話がどこでなされたのか、
何も書かれてはいない。

それどころか、直前まで、
ロミオを追い返そうとするティボルトがキャピュレットに叱責される場が続いていて、
うっかりすると見逃すほどに、二人の出逢いのシーンは唐突に始まるのだ。

動きの指定がないということは、いかようにも演出できるということだ。

私なら、周囲の役者の艶なる動きも媚笑の交し合いも、そのまま続けさせる。
けれどロミオがジュリエットの手をとった瞬間、会話は手話のように無言にさせる。
音楽もピタリと止め、しかし楽士たちの楽器を繰る動きは続くのだ。

衣擦れの音しかしない静寂の中、ロミオの恋のささやきが始まる。
深海魚のようにゆらめきさざめく人々を背に、そこは二人だけの世界になる。


初めてのくちづけをロミオから二度も授けられたあと、
ジュリエットは言う。
「お作法どおりのキスね」

原本でのこのセリフは、You kiss by th’ book.

ブックとしか書かれていないのだ。
これはいわゆるエチケット本のことというのが、翻訳の際の定説になっているらしいが、
個人的にはここはそのまま、「本のとおりのキスね」 としたい。

ジュリエットはきっと、恋物語を読んでいたはずだから。
お話のとおりだった・・・そこには、未知のものに触れた驚きと、
思ったとおりのロマンチックを体験できた高揚がある。

ジュリエットは恥じらいながら、震えながら、しかし夢見心地の面差しでこう言ったのだ。


こういう微妙なシーンは、人によって違う流れになるのが面白かった。

若い人は形を整えないと入っていけない人が多い。
熟女陣はむしろ驚くほど素直だったりもして。
残っている恥の分量の違い…とは思ってませんよ(笑)

むしろ、刹那に身を預ける術を知っているかどうかの違いだろう。
今、目の前にいる人に、瞬間、恋する。
まさしくのロミジュリそのものじゃありませんか。

せっかく世界一の恋物語と縁が出来たのだ、
3月が終わるまでこのロマンスに夢中になっていただけたら、
センセイは本望です。(笑)