2015年11月10日

こころを預ける。身体で預ける。

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『顔』冬のクルーズが始まりました。

新しいみなさんもおみえになり、教室も新宿三丁目に移って、
おさらい会から続けてすぐとは思えぬ、フレッシュすぎるすべりだしになって、
はぁ〜満足まんぞく(笑)

3つのクラスとも、嘘のように楽しい時間になりました。
というのは、朗読なのに身体を使ったからですね。

はい、今期は身体と声の関係を探ることがテーマの1つです。

朗読って文字だけを追う行為ですが、
それはすべて頭の中で実感を再現していくということであり、
どれだけイマジネーションを働かせられるかが問われるわけで。

これがむずかしい。
想像できている気がしているだけで、
実際には文字を音にしているにすぎないことが、ほとんどなのですねぇ。

こころの温度を声だけで伝える、これは意外に出来ないものです。
というか、語りものは、実はもっともむずかしいジャンルかもしれない。


リーディング公演ってだいたい、稽古時間をかけずに手軽に上演できるもの、
というイメージじゃないかと思うんですが。
芝居の前段階としてあるものというような…私なども以前はそう思っていました。

が、これもしかしたら逆かもしれないなと、このごろは考えるのです。

本来は、造った芝居から身体を削いで声のみで表現するもの、つまり順番が逆、
ぐらいの厚みが、いるものなんじゃないだろうか。
そこを省くから、筋書きだけは分かったけれど…ということになりがちなのかも、
と。

まあそうなると、朗読のほうがよっぽど手間がかかることになっちゃうので、
とてもじゃないけど興行に乗せるのは無理ですわね。
でも、ということは、こういう教室ではそれが出来るわけ、ですよ(笑)

実際そこを目指すかどうかはまだ分からないですが、
今回は、相手役とのこころの距離を掴んでもらうワークをやりました。
そうしたら、ええ、もう笑っちゃうほど、それは見事に全員変化しましたよ。

これは面白かったですね〜。
肉体って、やはり侮れないものです。
形が生み出す功能をあらためて再認識できて、個人的にも新鮮でしたが。

体験したご本人が、ご自分の可能性の扉がパーッと開いたのを、
一番感じられたんじゃないかと思います。

顔がとたんに明るくなるんで、見ていても本当に嬉しかったです。
やっぱり、自分で発見していくことが、芸は肝なんですよね。。


初参加のみなさんからは、これまでとはまた違ったリアルをいただけて、
教室には、わ〜とかああーとかの声がしきりに上がりました。

そうして、9月からのメンバーが繰り出す読みからは、
この教室が積み上げてきた解釈の軌跡を体感していただけたようで、
彼らもちょっと誇らしく見えました。

敬意と親愛と。
ここにあるのはそんな往還です。
もうみんな一度で馴染んでしまいました。

それもこれも、新しく参加してくださったみなさんが、
きちんとテキストを読み込んで、このサイトを読んで(笑)
みっちり予習してきてくださった努力のたまものです。

ご自分で打ち出してこられた横書き台本には書き込みがビッシリで、
なんと有り難いことかと、、こころから、
敬服しました。

そうして…うん、おさらい会、やってよかった。
みんな格段に変化していました。
他の人の読みを聴いて、意欲的に盗んだのがちゃんと出てた。
それを今期のクラスで試したい!って気持ちで、みんなキラキラしてた。

そんな彼らですから、新しい出会いはもはや大好物ってことでしょう(笑)
ここに集まる人たちは、みなさん貪欲です。
欲望が、ネ、世界を回していくのですよ。


今週は、さらに“肉迫”していただきますからね、
うふふふ。
相手の力を借りて、きっとまた新しいご自分に出会えます。

たのしく濃密に、まいりましょう!


そうそう、こういう稽古なら途中参加でも全然大丈夫だと気づきました。
予習は必須ですが。

応募条件には、全6回参加できる方とあげましたが、
少しでも多くの方に役にアプローチするこの方法を知っていただきたいので、
どうぞご遠慮なくお申し込みください。
今からでも間に合います-☆





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2015年11月04日

楽園、そして始まる冬のクルーズ

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〜『顔』秋のクルーズ〜 は、先日無事に、目的の波止場に入港できました。

二カ月間の航海の軌跡をみんなで確かめあう、
おさらい会をしたのです。

それはまた、教室の全貌が初めてわかった日でもあり、
なのにいきなり初めましてのメンバーとお手合わせとなった会でもあり(笑)

ドキドキの高揚感であふれつつ、同じ志で結ばれた安心の親密感にも包まれつつの、
とても華やいだ時となって、着いた波止場は楽園でした。
嗚呼、ほんとうによかった。。

全3組で読んだんですけどね。
つまりは自分の役を、他の2人のキャストとしっかり比較することができたわけで、
こういう機会もありそうでないものなので、実際、相当におもしろかったです。

なにより、『顔』って実は随所に可笑しなセリフがあるんですが、
まさかこの一回目のリーディングでそれが出てくるとは思わなかった。
爆笑でしたもの。

来春ぐらいには到達できるかなーという予測でしたから、
これは今から先が楽しみになりました。

どの役も通しで読むのはほぼ初めて、という緊張する状況でもあったので、
いやがおうにもその人の本質的な素のようなものが見える、
というのもまた、スリリングかつエキサイティングで、
きれいで緊密な空気のおさらい会でもありました。

ことに、年代が上の方々の読みは、技術などの以前に人生の味が、
ほうっておいても湧き出るので、それはもう個性的で。
あのリアルには敵いません。
役づくりって何なんだろうなあ、なんて根本的な問いを投げかけられましたねぇ。

一方で若い人たちの読みは、必死のエネルギーを全身でぶつけてくる感じで、
え、稽古でやったのとぜんぜん違うじゃん!という良い意味での裏切りを、
ほとんど火事場の馬鹿ぢからの様相で(笑)いっぱい見せてくれて、
いや〜これも面白かったです、強烈にフレッシュでした。

うちの江頭一晃も、ブログにおさらい会のことを書いてくれましたヨ。

蓋を開けてみたら金土と連チャンで参加し続けてくれたエガちゃん、
あたたかい援護射撃、ほんとにありがとう!


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秋のクルーズのクルーたち。リッチにバラエティに富んでます。
ピースの彼がエガちゃん。うちの伊東センセイ(あたまがプードル・笑)も聴きにきてくれました。

お仕事の関係で直前に船を降りられた方々もいらして、残念だったんですが、
どうぞいつでも気軽に帰ってきてくださいね。
〇〇さんはどうしたんですか?ってみんな気にかけてる、もはや仲間ですから。

そうそう、締め切りの関係でおさらい会へのご参加がかなわなかった漫画家さんが、
解釈をつづけてこの作品の‘本読み教室流物語’を発見したことで、
『顔』、こんなに面白かったとは、、イラストを描いてみたくなっちゃった、
とおっしゃってらして。

描いてください〜、ぜひぜひ。
みなさんのスーベニールとも、冬のクルーズのお守りともなってくれますもの。

そう、この二ヶ月の航海でみつかったみなさんそれぞれの特性は、
次に始まる冬のクルーズの海図になるのです。

もう今週末からですね。
時代をひとつ進めて、みっちりじっくり手を入れていきましょうね。


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おさらい会後のおたのしみ懇親会、というか打ち上げ。
地方の仕事から駆けつけてくれたうちのベテラン小林が、
我慢できず‘男’を初見読みしたらとんでもないことになって一同爆笑の図。

とにもかくにも、みなさんがとっても楽しんでくださって、
ほとんどの方に継続を申し出ていただけたので、ホッと、というかもうドッと、
安堵しました。

そうして打ち上げのあとに、私は独りで稽古場に残りました。
いただいた幸せの余韻を噛みしめながら、時間をかけてお掃除して、
始発で帰りました。

が、週末からの冬のクルーズに向けて、すでに緊張はマックス、
心地よいお疲れモードに浸っているばやいじゃナイナイ(笑)

新しく乗船されるみなさんも、たくさんいらっしゃいますからネ!

キャリアをお持ちの方も多いので、おたがいかなり刺激になると思います。
またみんなで佳い旅になるといいですね〜。
私も励みます。

…次の航海では、ちょっと枠にとらわれない実験的なことをしようと思ってます。

ある部分では、本読みももっと深めていくことになります。
解釈を実践に結びつける旅が始まる、という感じですね。


二ヶ月間、おつかれさまでした。
そして、はじめまして。

解釈って面白い。
表現って本当に楽しい。

この喜びを、少しでも多くのみなさんと分かち合いたい。。
メンバーはみんな、同じ思いです。

あまりの楽園ぶりに、土曜の夜のクラスを増設しました。

もったいないので締め切りは作らないことにします。
一度ぜひ覗きにきてください。


あらためまして、みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。





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2015年10月28日

面舵いっぱい、きらめく海原へ

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読み解きも最後まで進んで、講座はいよいよ表現の時代へ。

ここからは…企業ヒミツなのであまり具体を書けないのですが(笑)
解釈をもとにそれぞれの「伝わる表現」の実現に向けて、新たな舵をきりました。

みなさんの声は、もうだいたい分かっていたはずなのに、
あらためて読んでいなかった役を当たってもらったところ、
思いもかけないほどフレッシュな声が続出。

あらま〜、この人は実はこんなに大人だったのね、とか、
うわー可愛い!とか、ありゃりゃりゃセクシーじゃん!とか、
鈴をころがすような声とはまさにあなたのことよ!とかとかとか、
意外な発見がたくさん出てきて、うれしい驚きに満ちた第六回となりました。

それもこれも、ここまでこの『顔』という戯曲に真剣に向き合い、
イメージを膨らませ、ご自身との融合をさぐってきたことで生まれた賜物です。

解釈のベースが出来ているので、こちらからの提案やアドバイスへの理解が早い!
ここは愛情たっぷりにね、とか、もーっとゆっくり喋ってみて、など、
ちょっと整えただけでこちらの予測を超えるものが出てきます。

そうしてみなさん、のびのびとセリフを繰れるようになってきているのが、
わ〜よかったぁ。。

もちろん、課題はまだまだたくさんあるんですが、
キャリアのある人もそうでない人も、この教室では横並びですからね、
みんなでリスペクトしあって役を探っていく楽しみが、
恥ずかしさや自意識を少しずつ溶かしていっているようです。

そう、ここではみんな、よく誉めあいます。
ダメだしよりも、それぞれの佳いところをみつけることが、まず大事。

何につけ「素直」がもっとも能力を伸ばすわけですが、
自分を信じることなくしてそれは持てないので、
おたがいが鏡として有機的に作用しあえているこの状態は、なかなか、
いやかなり、イイんじゃない?と、手応えを感じています。
これがこの教室の一番の特色かもしれません。

日曜は「おさらい会」です。

発表会と書いてきましたが、あ、違うわってことに気づいて名称変更です(笑)
人に聴かせるものではなく、自分の今を感じ、他者という鏡を覗く、
そのための機会なので、噛もうが間違えようが全然かまわないんです。

『顔』の世界を身体で感じることが目標ヨ。

ここから得られる、自分を一歩前へ進める経験は、
11月からの旅の---教室だけではなく、みなさんの実人生の旅においても
頼もしい道連れに、必ずなってくれます。
楽しんでくださいネ。

ああー、なんか、凄く希望のある教室になったなあと、
手前味噌ですが本当に日々実感して、なんだか身体も健康になってきました(笑)

待っているのは、さらにきらめく紺碧の海原です。
いつでも快晴!
クルーも元気!

なんてしあわせなことでしょう。。

この教室のことを考えるといつも、易の「天火同人」という卦を思い出します。

 志を同じくする者が集まり、協力して道を切り開く
 その先には喜びの旗が誇らしく翻る

帆にいっぱいの風をはらんで、面舵いっぱい、全速で進め。
航路は、希望経由―あこがれ行です。









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2015年10月21日

ブロック4:読み解きノート

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ブロックはいよいよ終幕に入ったのだが、ここへきて驚天動地の解釈が。

物語のすべてがひっくり返る仮説の登場によって、全員が解釈の本質というもの
を体験する奇跡と出会うことになった。


【園子に近づく京野】
■京野には人の心にしのびこむ才能・魅力がある。
るいの昔語りが残した濃密な余韻に絡めとられていつもより隙がある状態の園子、
そこにスッと近づく京野は彼女のそういう変化を感じ取ってそこに乗っている。

園子に対して何度も「小母さん」と言ってのける京野。
「不良ね、あなたは」と咎めつつ、園子は結局それを許している。
生意気と思った反面ほぐれて楽しくなったと、園子のセリフを喋った受講生。
京野のペースに降参したあとでは徐々に気持ちを預けるような風情が出てくる。

■園子「ああ、変な気持ちだ…」
これはどう解釈したらいいか、すぐには掴めないセリフ。
受講生からいくつか実感が出てくる。
□るいは気がおかしく昔語りも嘘かもしれない、と聞けば気が抜けたようになる
□あんなに一生懸命きいてあげたのにと少しショックに感じる

もらい泣きするほど心を乱されたことは事実なのだから、嘘で気持ちを掻き立て
られたとしたら真実とはどういうものなのか、何が真実と呼べるものなのか分か
らなくなり、園子からこのセリフが出る。


【京野とるいの日常】
「あたふたと現れるるい」
「あたふた」には園子への期待がある、感想を聞きに戻って来たのだと受講生。
確かに「お前の気持ちはよくわかる」ともあの時‘男’がどんな気であったと思うか
も、るいが希望する言葉は園子からひとつも得られていない。

■毎日同じタンゴをかけられることは京野にとっては苦痛。
若さをもてあましている京野、辺鄙な地に閉じ込められている鬱屈。
一方でるいの飽きずに同じレコードをかけ続けるところは気狂いっぽくもみえる。

■「折角お馴染みになったお客様が…そんなことが何時までも妙に気にかかり…」
るいはどうしてもすぐに話を船のことに持っていく。
京野はジャズを聴いているのにそのお喋りを止めさせようともしていない。
るいと京野には、乳母と若様のような日常が出来上がっている。

7行に渡るるいのこのセリフには特に中身がないことが謎。
短縮上演ならカットの筆頭に上るセリフ。
なぜこのシーンで京野と無関係かつ筋を進める内容でもないセリフを配したか?

受講生より、直後に登場する‘男’と‘女’に立ち聞きさせたかったのではという指摘。

‘男’は食事中などに、昔るいが同僚だったことぐらいは‘女’に話しただろう。
が旅先の男女の会話は他にもあり、話題としてはもう遠ざかっていたはず。
そこへ実際に船の話をしているるいに出くわしたことで、‘女’の興味が再燃する。

「(るいの後姿を見送って)やっぱりそうですか?」
‘男’の答えは「そうらしいね…」
‘男’はこの話をそう積極的に続けたいとは思っていない。

ここは、いよいよ例の出来事の真相が明らかになる、そのイントロ部分。
立ち聞きは、シーンを強調するときに用いられる手法だ。

この7行は作家が構成的な仕掛けをほどこした箇所、立ち聞きはこのあと舞台上で
明かされる事柄の重要性を観客に予感・準備させる効果を生む。
文字で読んだだけでは見落としがちな、立ち聞きという動作の発見はお見事。


【観客だけに明かされる「あの顔」の正体】
■‘男’は‘女’の素直で巧みな誘導によって昔語りを始める。
‘男’が‘女’に話して聞かせるのは、あくまで昔の同僚だったということのみ。
自分が乱暴をした相手だなどと女房に語るわけがない。

しかしその繕いぶりから、るいの話を聞いている観客は‘男’があの火夫だと知る。

観客の興味はるいがそれを知ることになるのかというスリリングな一点に向かう。

※この時点では、実はまだ‘男’が火夫と同一人物であるとは言い切れない。
本当に単なる同僚であったとして、ドライな人生模様をテーマとする余地もある。
しかしそれではドラマにならない(笑)という問題もさることながら、のちに出て
くる驚きの解釈により‘男’があの火夫でなければならない理由が発見されたのだ…

■「待て…(考えて)…おるい…おるい…そうだ。たしか、おるいだ」
これは表現として本当に考えるのか考えるふりをするのか、どちらでもアリ。
‘女’に対する意識がどのぐらいあるか、関係性が浮き彫りになるセリフ。

■p26の4行に渡るセリフにこの‘男’の真実がある。
殊に「…あの女は昔の俺に、火夫の俺に会いたかったと言うよ…」
この‘男’唯一の叙情ゼリフ。
これがこの‘男’を演じる上での肝。

このセリフには4つのスイッチがあり、‘男’は珍しくブンブンにブレまくっている。
いつもながらに理路整然と語っているようでいて、内容は実は支離滅裂。

「この俺に以前のことを知られているのが、ちょっと、やりきれないかもしれん」
「嫌かも」でも「都合が悪いかも」でもなく、「やりきれない」という言葉。
ここに‘男’の墓の下まで持っていく罪の意識が、微かに匂い立つ。


【‘女’の人間性】
■「何処で誰に遭うかわからないものね」
これがこの‘女’の真骨頂。

直後の‘男’の、
「お前なんかにはそれが何かのめぐり合わせみたいに思えるんだろう」
ここからこの‘女’の発言は‘男’にやすらぎを与えたことがわかる。
‘男’の支離滅裂な分かったような分からないような説明に‘女’はツッコまない。
かわいい女ぶりを見せて‘男’の気を変えてやれる。

この‘女’は頭がいい。
無学かもしれないが人の心の機微を分かっており、決して出過ぎない。
何より‘男’をだいじに思っている。


【何も知らないるい】
■直後にホールに入ってきたるいへの、‘男’の応対はこよなくやさしい。
男性受講者にこの心理を聞いたところ、やはりるいにどう思われてきたのかが一番
気になる、そこに許しはあるのか、負い目があるためつい様子を伺いたくなる、
と共に、いたわりやなつかしさといった思いを知らず知らずかけてしまう、と。

「わたくしどもは…でございますから」
このまるで同じ言い回しをるいが二度も続けるのはなぜか?と受講生より。
これはよい気づき。

るいはホテルの女中頭としてこの場にいる。
るいらしい謹厳実直さで、仕える距離をたもって「お客様」に接している。
目の前のこの‘男’が今も恋い続けている火夫だとは夢にも思わないままに。

わりないすれ違いを目撃することになった観客にとって、このるいは憐れ。

特にこのあとは、すぐに園子が入ってきて二階へ上りまた降りてきて新聞を読みは
じめ、その間に‘女’も二階へと上り、またすぐに京野がテラスから戻り園子を誘って
また外に出るという、ダイナミックで淀みない動きが書かれている。
るいと‘男’だけが定点に座ったまま動かない。

読んだだけでは何気ないやりとりにしか見えないこのシーンには、実は過去と現在
を対比させるゴージャスなグランドホテル方式の演出が仕掛けられている。

物語のスケールがもっとも出るシーンなのである。


【『顔』のクライマックスとは】
■‘男’はるいと二人きりの会話を持つ。
あくまで客として、しかし何処かるいに寄り添ってやっているような軽い会話。
そしてお定まりの、船にまつわるるいの長ゼリフが始まるのだが…

個人的に、何度も読むうちこの長ゼリには、るいの求めてやまない時間を与えて
やりたくなった。
すなわち、普通ならあの夜の出来事のあとにあったはずの時間----並んで寝転んで
星空を仰ぎながら身の上を少しずつ語り合うような、不器用であたたかい時間----
を、るいにあげたくなったのだ。

p29のこの8行のセリフを、‘男’にはやさしい共感で生き生きと受け止めて欲しい。
「ああ、そうだ」「うんうん、わかるよ」と、まなざしの合いの手で同じ時間を
共有して欲しい。
そうして初めてるいの心根に触れ、るいの世界と融合したときにこのセリフがくる。

「あの星の下で、人間が醜い争いをするなどとは考えられません…
たとえ、そこで、わたくしをだまし、わたくしに背いた男がいましたにしましても…。」

るいはあの火夫を許している。
これは人の営みの汚れをとび越え、ついに清らかな境地にまで至った美しい言葉。
お定まりにみせかけて、物語のクライマックスは実はここにあるのではないか…

るいはまるで、菩薩のようにそこにいるというのが私の解釈。


【反転してしまったラストシーン】
■「少し病院ですね、このホテルは」
ここまで、‘男’のこのセリフは「ここにいるのは傷を抱えた者ばかり」という意味
で捉えてきたのだが、るい菩薩説を聞いた受講生が驚きの解釈に到達する。

‘男’はるいの許しの姿に触れてものすごく癒されたはず。
とするならこの「病院」は、傷ついた者が集まる場所ではなく「傷を直すところ」
の意味なのではないか。

「まるでセラピーですね、このホテルは」と読めませんか?というもの。

教室は俄然色めきたち、この説で通るかの検証を始めたところ、セラピーから発想
を得た別の受講生が更にもう1つの謎の解を発見する。

‘男’がるいの許しの言葉に触れた直後、ホールに戻って来た京野が園子に言う、
「明日、あの鳥が生き返っていたら、僕の勝ちですよ」
この子供っぽさが彼には異質で、そもそもなんで急に鳥が出てくる?という疑問が
あったのだが、

鳥は自由の象徴と考えればそれが生き返ることには希望がある、
京野も園子も、傷が癒えて自由な世界に羽ばたくという夢を持ったのではないか、
それはセラピーとリンクするイメージではないか、と。

すると園子夫人の反応、
  男「少し病院ですね、このホテルは」
夫人(驚いて男の顔を見る)
これは、「あらま、あたくしも(そう思っていました)」という意味になる。

確かに、冒頭かなりシニカルだった園子は、るいの昔語りを聞いてもらい泣きし、
るいを気狂い扱いする京野に反発し、心臓の調子が悪いというるいを心配する、
という変容を遂げている。

思えばこれまで互いに長逗留しながらドライな距離を保っていた京野と園子が、
急に二人きりで行動をするまでに至ったシンパシーの通い合いも、園子がるいの
昔語りを聞いたあとに起きている。

京野が、るいのお喋りを拒絶していない訳も、乳母と若様のような独特の距離感
を許している理由も、るいに秘かに心地よさを感じていたからかもしれない。
二人ともちゃんとるいに孤独を癒されたのだ。

もっと殺伐としたクールなやり取りで読んでいただけに、ラストシーンがいきなり
清々しい様相になったのはにわかには信じられない反転だったが、たとえ誤読でも
この物語の「山」に肉迫できたことは、この教室のすこぶる大きな収穫になった。

『顔』は、知る限りこれまで4度上演されている。
昭和26年の新派での初演に始まり2002年には本家文学座でも打っているが、評価
はどうも難しいものだったようだ。

このホンはそれだけ厄介なわけだが、4本の芝居の解釈がどういうものだったのか、
読み解きのスペクタクルを経験してしまった身としては気になるところである。


【こじつけ解釈かもだが…】
■ここまでくると、るいを太った女に設定したことにも意味を見出してしまう。
菩薩はやはり、肉の豊かな女のほうがふさわしい。

癒しがテーマなら、海のように豊穣な身体は痩せた女優からは得られない説得力
を放つだろう。
そこまで意図しての設定だとしたら、岸田國士という人は、やはり凄い。

そしてこの設定を思うと、るい菩薩説はあながち誤読とも言えないのではないかと、
確信に近いものを感じるようになっている。


【るいを変容させたもの】
■それはやはり自然だったのではないかと、受講生から。
海があり星があり、それはまさに人間の力では変えようのない神の意思そのもの。
海の上で傷つき海によって癒されたるいは、今も、いつも海に抱かれている。

るい自身は、思い出に囚われたまま明日の望みもないデラシネのように、わが身を
感じているのかもしれないが、波に洗われて、るいは確かに大きな人間になった。

■受講生がイメージしたラストシーンが美しかった。

灯りを消してテラスに続くドアの鍵をかけようとしたるいは、
外から入ってきた‘男’と出くわす。
その瞬間、正面のガラス窓いっぱいに銀砂を撒いたような星々が瞬きだす。
波の音がとどろきはじめる。

20年ぶりに暗がりで出会った、るいと火夫。
そこは地上ではなく、まるで船の上のように見える。

火夫は黙ってるいの前を通り過ぎる。
星はいよいよ瞬きを強め、海はますますとどろく。
火夫はしっかりと階段を昇って、‘男’になっていく。

るいはその背を追うでもなく、船の上をゆったり歩きはじめる。
波の音とともに。
かすかに、遠い汽笛が鳴ってもいいかもしれない。



---------

解釈はひと通り、最後までいきました。
まさか、、こんな展開になるとは、誰が予測したでしょう(笑)

これだから読解は面白い。
戯曲は芝居の設計図であるとともに、気持ちの海図でもあるのです。
それを真摯に丹念に追っていけば、あらたな自分と出会うことは当然なのですね、
海に映しているのは自分の姿なのだから。

人と一緒に読むことは、人を見ることでもあるのです。
驚きの発見が、本当に思った以上にいっぱいあふれた、いい時間でした。

今週からは更に深く、抱いたイメージを身体に落とし込む段階に入ります。
どの役を、どんな声で演じたいか、夢をふくらませてくださいネ(笑)

11月から参加の受講生さんも、続々名乗りをあげてくださってますヨ。

Bon voyage!
菩薩さまのように広く大きな海の旅は、まだまだ続きます。












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2015年10月14日

ブロック3:読み解きノート

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【貨客船の暮らし】
■荒くれた男たちの中で女は6人、外界との隔絶状態で何ヶ月も寝食を共にする。
船の裏方は、船長やチーフメイト(一等航海士)といった管理側の制服組と、火夫
やコック、給仕、荷揚げ人足などの労働組に分かれていたと思われる。
いわゆる女中に相当する6人の女たちは労働組。

■過酷な船底の労働者の日常は、勢い猥雑で奔放なものになる。
直前まで英国人の家庭で上品に暮らしていたるいにはまったく馴染めない世界。
一方で乗船のキッカケを与えてくれた制服組とは、職域も階層も違いすぎて個人的
に親密になれるような踏み込んだ機会は得られない。
マルセイユ行きの船を降りた時点までは客、再び乗船した時には従業員になってい
たのだから。
るいはどっちつかずの孤独な存在だった。

■周囲の色に染まらないるいは、意志が強いとも融通が利かないとも言える。
この不器用さ、かたくなさは処女性のあらわれ。
12年もイギリスの少女と暮らしてきたるいの心持ちは、30を越えても乙女のまま。
このおぼこ娘ぶりは生涯に渡るるいのパーソナリティになっている。


【るいの相克】
■女たちのふしだらさを嫌悪しながら、うらやみ妬ましく思う矛盾に苦しんでいる。
一生男に触れない高潔さを誇りつつ、女ざかりをむざむざ枯らす自分を惜しむ。

「十六,七から二十頃までの憧れにも似ながら、もっと差し迫った刺々しい気分」
「よし、そんなら、という気になっても〜男の前に出るとかしこまってしまう」
恋人を求めながら叶えられないフラストレーションをどうにも解消できないるい。

「正直な鏡ってものもございます〜世の中で自分が一番醜いとは思いたくない」
るいは鏡を見るたびに自分の醜さを思い知らされている。

※この狂おしい葛藤には、文字で読む以上に激しく切迫した運命的な悲惨がある。
これをリアルに理解して演じられるかで、この物語のスケールが決まる。

※一方で園子の聞き方、リアクションも物語に深みを与える大きなポイント。
園子役は、ここでは徹底した「受けの芝居」によって役の魅力を出していく。

■16ページの3行目から10行目までのるいの台詞には大きな意味がある。
「。」が付くまで実に8行を要している、作家はこの切れ間ない台詞にもっとも
大きなエネルギーを与えているということ。
「あんたに誰もそんなことをしないのは、あんたが…と言いかけてくすくす笑う
だろう」
台詞の終わりに来るこの言葉がるいの抑圧のすべてを表している。
膨大なるいの語りの中でもっとも印象に残さなければならない箇所のひとつ。

※「あんたが…」この「…」が大事。
ハッとさせる鋭さを込めることによって、物語はスリリングな急展開を始める。
この瞬間が芝居に観客を引き込んでいくターニングポイント。


【受講生たちの深まる解釈】
■「よし、そんなら、という気に幾度なったか、しかしそれ以上の工夫がつかない」
受講生より、るいは役割としての自分しか知らない人、という分析が出る。
職業人である以前の、女・人としての自分に出会ったことがない危うい状態。

■「自分はもともと清浄無垢な人間という嬉しい得意な気持ち」
 「一生男の肌に触れないでいることがどんなに仕合わせなことか」
英国人家庭で勤めるあいだにキリスト教にも触れたはず。
るいは男を知らない自分とマリア様を重ねる気持ちもあったのでは。
そう思って演じたほうが、後の‘男’とのアクシデントがよりショッキングになる。

秀逸な分析がよく出るようになる。
解釈のコツがつかめてきたようだ。


【解釈の男女差】
レイプに関する若い男性受講者の分析に女性陣驚愕、目からウロコが落ちる。

■女性陣の解釈は‘男’にとってもるいが初めての女だったというもの。
だからるいの名前を覚えており、20年ぶりの再会でも認識できた。

対してその彼より、‘男’の落ち着きぶりが指摘される。
るいが‘男’の顔をハッキリ記憶できなかったことに‘男’の冷静さを感じる。
初体験ならもっと動じる、慎重に顔を見せずにスッとその場を離れるなど不可能。
計算できる余力を持っていたところに女慣れを感じる。

■‘男’はなぜるいに乱暴を働いたか。
火夫という過酷な労働も英語の独学も先の見えない閉塞感を伴う苛立たしいもの。
そんな時に目にしたるいの、海風に吹かれ星を仰ぐ姿はあまりにも自由。
そこに「こんちくしょう」と思うのだという。
その怒りが性衝動に転化する流れは男ならよく分かるという意見。

情けなさや負けん気・プライドが怒りになる、という男性の行動原理は驚きの初耳。
非常に説得力があり、いまひとつ曖昧だった‘男’の人物像がくっきりしてくる。
‘男’がどれだけ本気で将来を切り開こうとしていたかがよく実感され、克己心の強い
真面目な性格なら‘男’にとっても忘れがたい「事件」であったと容易に想像できる。

初めての女という解釈以上の‘男’の心のドラマへの理解が、教室に広がる。

■不縹緻(ぶきりょう)という言葉には別の意味があるという。
なぜこの字を当てているのか分からなければ‘男’の行動心理が理解できない。
不器量の意味はブスだが、それでは押し倒す気になれないらしい(彼は・笑)。
これには何か意味があると踏み、読みが分からず漢字の部首から調べたらしい。
(解:縹=はなだ/緻=“せいち”と打つと出てくる・精緻)

結果、不縹緻には「地味で控えめ」という意味を発見。
ネクラな女の伸び伸びとあでやかな一面を見たら急にそんな気になるのは分かる、
と聞いて一同納得。

この探究心には脱帽した。
「ぶきりょう」という音を聞いただけで年嵩の人間(私)はそれ以上調べなかった。
るいが不美人なのは確かだが‘男’の気をそそるぐらいのものはあったのだ。
るいの親は、娘の容姿より人づきあいの下手な頑固さを見極めたのかもしれない。

この物語は、ひょっとすると鈍臭い女の成長物語としても成り立つのでは?
今のるいは、落ち着いた笑みを絶やさない客あしらいの上手い女なのだから。

彼女はどこからこんなに変化したのだろう?


【るいの思いの反転】
■自分をレイプした男を愛しく思えるようになるものかがこの話の解釈のかなめ。
男性作家が書いた幻想、女の生理を無視した物語という意見もあり。
一方で、求め続けた願いを意図せぬ形ではあったが叶えてくれたのが‘男’であり、
生涯ただ一人の相手ならなおさら、美化も含め愛の対象になるのはあり得ること、
という意見もある。

1つ言えるのは、るいはレイプとは思っていなかったということ。
「ちょっと待って…あたしをどうする気なのさ…ねえ待って頂戴…もう一度、顔を
…あんたの…それじゃ名前を聞かして…名前だけ」

「あたしをどうする気」は、先々恋人づきあいが始まるものだと思っている言葉。
あたしどうなる気、に置き換えて考えると分かりやすい。

ところが‘男’は、一度歩みを止めながら無言で立ち去ろうとする。
それを見てるいは自分の望みが叶わないことを察し、その背中に投げかける。
「もう一度、顔を…あんたの…」
これは、それならせめて顔を見せてという願い。

しかし‘男’は頑として振り向かず歩いて行ってしまう。
「それじゃ、名前を聞かして…名前だけ」
るいの望みはどんどんグレードダウンしている。

そう、るいは懇願しているのだ。
被害者と思っていたら、この一連のセリフはもっと責め立てわめく内容になる。

るいには、ついにその時(幸せな未来)が来たという想いがあったのだろう。
それが容れられないと解かった後になってから、ただ自由にされただけという
無念さ情けなさが湧いてきた、というのがるいの心理の順番。

このセリフのあと、るいは泣き崩れる。
なぜ泣いたのだろう?
園子がもらい泣きするほど激しく揺さぶられた感情とはどういったものだったか?

実際その場で泣きながらこのセリフを言ったとは思えない、‘男’を引き止めるのに
必死でそんな余裕はなかった。
過去に涙する行為は、自分を眺めるある種の俯瞰、距離感があって起こるものだ。
ただの無念や情けなさだけではないものが、ここには動いている。

るいは‘男’に惚れてしまった。
「若いたくましい顔でございました」このセリフには嫌悪感が感じられない。
自分を選んでくれたという意識もあったろう、その充足が愛情にすり替わったと
しても不思議はない、まして初体験の相手なのだ。

受け入れがたい暴力だったら一刻も早く忘れようとするのが普通。
冗談にも「わたくしのロマンス」などという表現はできないだろう。
生きる支えにするほど思い続けているのは、‘男’への情が生まれてしまったから。

■るいの現在の落ち着きはどこから来ているか、彼女はいつから変わったのか。
必死で捜し求めた‘男’はついにみつからず、もう会えない絶望と取り残された自己
嫌悪と「どこかには生きている」という未練が、激しく交互に繰り返される。
どん底の心理体験は、一方で人を波のように洗っていくものでもある。

時代的には翌年に第一次世界大戦が勃発、欧州航路は南米航路に変更されている。
るいの海上暮らしもさらに命がけの様相を濃くし、緊張の数年だっただろう。
恋の苦しみや度を越えた労働は、人に達観をもたらし人格変容の契機を与える。

そのうえで、現在のるいはあれを尊い思い出と言える心境になっている。
‘男’との出来事がなければ、るいはどんな女になっていただろう?


【なぜ『顔』なのか】
■顔がないと思い出が完成されないという意見が受講生から出る。
だからいつまでも顔を追ってしまうのだと。
20年前に愛した男の顔を、女はつぶさに思い浮かべられるものだろうか。
そのとき一度しか会わなかった相手の顔は、どのぐらい擦り切れているものか。

‘男’はるいを認識していたが、るいは「初めて見た顔だった」と言っている。
生涯最大の事件の相手の顔は何があっても忘れないということもあり得る。
たとえば犯罪者の似顔絵を作ることが可能なように。

るいが一番知りたいのは、あの時‘男’は自分に気持ちがあったのかということだ。
実際、園子にそう尋ねてもいる。
客観的には到底そうとは思えないから園子は口を濁して話を打ち切るのだが。

岸田國士はなぜこのタイトルを、たとえば『波』にしなかったのだろう。
『波』は広くいつまでも繰り返す、たゆたっては寄せ、また引いていくうねり。
『顔』は一点凝縮された、たった一つのものだ。

では、『記憶』にしなかったのは?
『記憶』ではなく『顔』。

これはやはり秀逸なタイトルだ。
感覚的なもので説明できないが、そのもやもやと奇妙な説明し難さはそのまま、
るいのもどかしさ、漂泊感にオーバーラップしてもいくのだ。



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ブロック3は、やはり深くて面白い解釈がいっぱい出てきましたね。
密度が濃すぎて、このまとめもずいぶん長くなってしまいました。
疲れた(笑)

俳優というものは自分の心の動きに敏感でなければならず、またそれを覚え続け、
いつでも自在に取り出せる能力がいるのだということを、再認識した回でした。

そして、今回は解釈の男女差の発見が白眉でした。
今まで知りえなかった異性のリアルと向き合えるというのは、こういう場ならでは。
スリリングな興奮に満ちた謎解きの数々は、魔法のように鮮やかでしたね。

2週間のお休みでリフレッシュはできましたか?

今週はいよいよ最後のブロックに入ります。
ここはまた物語がもっとも動く場であり、それぞれがくっきり浮かび上がってくる
ダイナミックな終幕ですからね、5人の人生の在りようを思いきり楽しみましょう。

では、週末に、元気にお目にかかりましょうネ。






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2015年09月30日

ブロック2:読み解きノート

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【るいの半生】
明治15年(1882) 伊勢生まれ
明治22年(1889) 7歳 横浜へ移住
  横浜・東京が市になる(全国36市制定。それまでは町村の概念しかなかった)
  大日本帝国憲法発布/大隈重信遭難事件(テロ行為により右足切断)
  パリ万博

明治33年(1900) 18歳 英国人家庭に乳母としてあがる(12年間)
  横浜居留地は山下(関内)と山手(中区)の二ヶ所
  外国人は山下埠頭に商館を立て、山手の住宅地から通っていた
  当時の居留外国人は5000人ほど 中国人に次いで多かったのが英国人
  短期滞在を考えれば横浜港にはこの倍近い外国人がいたと思われる

大正元年(1912) 30歳 スタッフとして乗船(客室係?16年間)
大正2年(1913) 31歳 男との邂逅
昭和3年(1928) 46歳 ホテルで女中頭(ハウスキーパー)になる
昭和7年(1932) 50歳 現在 4年目


【るいという女】
■洋装がすこぶる板についている
昭和7年はまだ着物の時代。
白いカーディガンをはおっている姿(冒頭ト書き)はかなりラフで異色。
上着に袖を通さないスタイルは派手、現代でも日本人には少し勇気がいる。
ホテルに来るまで長年客船に乗っていたことを知った園子の台詞「道理で…」は、
るいの姿勢のよさや堂に入った異質な雰囲気も指している。

■両親が異国人の家庭に奉公にあがることを望んだのはなぜか?
「母など口を酸くして勧めますものを、わたくしがいやがりまして」
るいの親は横浜に出てきて魚屋をやっていた。
当時の居留地にはグランドホテルなどがあり、たぶん厨房に魚を卸していた。
その過程で、娘が異人に雇ってもらえれば将来は安泰だと考えたのだろう。
しかしこの発想はかなり大胆、両親は相当開明的だったということか?
その割には両親の気質を表すような描写がない、という謎。

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「それが急に気が折れまして…近所の娘が男と駆け落ちをしてしまったので」
るいは尋常小学校を出てからどうしていたのだろう?家業を手伝っていたにせよ…
当時の適齢期を考えれば、10代の娘には当然縁談がもちあがったはず。
実際、同じ年の幼なじみは相手をみつけて出奔までしている。

後半の‘男’の述懐
「あいつは確か一番年増で一番不縹緻(ぶきりょう)、そこへきて変に行儀がいい」
つまりるいはブスだったのである、というか親はそう認識していた。
縁づき先を探す余裕がなかったのか、娘の女としての幸福を早々と諦めてしまった。

るいは容姿がコンプレックスになり、物堅くてまるでコケットのない女になった。

※るいの話はあっちへ飛びこっちへ飛び、それこそ波のうねりのように変化に富む。
「姉妹のようにしておりました、近所のお初さんという娘(こ)」の話など、一見
蛇足のように思える。

が、作家がこの短編の中でわざわざ字数を割いている以上、そこには意味がある。
いや、むしろこういうところにこそ物語の核心を突くものが仕込まれている。
そこを見逃さずに食いつけるかどうかで、解釈は作家の正解に近づいていける。


【英国人家庭でのるい】
■18歳から30歳までの一番華やかな時期を、るいは異人の家庭のみで過ごす。
これはるいの人間形成に決定的な影響を及ぼしている。
乳母としてあがった銀行家のクレプトン家は奥方がイギリス貴族、
るいも英会話は元より、使用人の心得や振舞い方などを徹底して仕込まれたはず。

■初めて見た外国人の女児は天使のようにかわいらしく映ったことだろう。
るいは8歳のカザリンお嬢さまに魅了され20歳で帰国するまで夢中で仕えた。
「その間どなたからも叱られたということがない、これは私の自慢になりますか…」
叱られたことがないのはカザリンでありイコール乳母の自分もということ。

■るいは日本人の男と身近に接することのない12年間を送った。


【園子の(微かに笑う)の謎】
■園子が聞きたいのは、るいが独身である理由と女としてのこれまで。
「お嬢さまが大きくおなり遊ばす間に自分も年をとることを忘れていた」
このるいの発言を聞いて園子はなぜ笑ったのか?

出てきた解釈は、‘そんなわけないだろという嘲笑’というものと、
‘夢中になったら一直線になるるいの性質への軽い驚きと納得’
という二つに割れるが、これはどちらもアリ。
いずれにせよるいのパーソナリティが常識の枠外にあることが判る反応であり、
園子もそのキャラクターを左右する女性としての成熟度合いが垣間見えるところ。


【マルセイユ行きの船上でのるい】
■「お嬢さまのお伴という大役を仰せつかって、船では夜もろくろく寝ずじまい」
夜もろくろく寝られないというのはどういう状況か?
‘これは自分がいかに有能であったかという「盛り」が入った自慢の台詞’
‘お嫁入り前のお嬢さまに悪い虫がつかないように気が気でなかったという善意’
‘るいは必要以上にいっしょうけんめいになってしまう人’

講座ではシニカルな解釈がよく飛びだす。
読解にはその人の価値観や人生観が現れる。
受講者は未知との遭遇に驚かされることしきりな様子。

■「その船で日本へ帰って参ります時は、精がなくて精がなくて、つい涙が…」
るいはなぜクレプトン家を辞めて船で働く気になったのか?
今の邸宅には主夫妻が残るのみ、自分の情熱の受け皿になる環境ではない。
手塩にかけたカザリンが帰国したことで燃え尽き症候群のようになった。

■るいは大海原の上で本当の‘独り’になる。
英国人の家庭という閉ざされた一点の、対極にある広い世界を初めて知る。
日本の男たちが目の前に立ち現れたのも人生で初めての経験。


【るいを理解するポイント】
■「船の仕事は荒うございましたが、一番、人様のために尽くし甲斐のある気が
いたしました」
この台詞がるいの真骨頂。
るいは人に必要とされることを生きる希望にしている。

※表現としても、この台詞はもっとも力を入れるべきところ。
特に「一番」の前後に句読点が入っている意味を正確に捉えなければならない。


【るいの今】
■「ほんとに海上生活って申すものはよろしうございますね」
船は勝手に自分をどこかへ連れて行ってくれる。
命がけの緊張感と目的地に向かう高揚感がない交ぜになった充実が常にある。

■船上生活にくらべて今の自分は、
「望みがないものには行く先のあてでもなければ、その日その日が真っ暗…」
「こうしていても明日のことは考えようにも考えられない」
るいは孤独、帰る家もなければ迎えてくれる人もいない。

これに関しては受講者から、この気持ちはよくわかるわ〜という意見が出る。
誰かの妻、誰かの母でしかないまま三度の食事づくりに追われるだけの生活は、
明日もあさってもずっと変わらない、このまま終わるのかと思うと気が萎えると。
当時の感覚ならるいも自分はもう老境だと思っていたはず。
海上生活ならまぎれていく不安が、陸上の定点ではしょっちゅう意識されてしまう。

■るいは読み手が思う以上の諦観と切迫感に揺れているのかもしれない。


【るいが肥っている意味】
■岸田國士がるいを肥った女に設定したのはなぜだろう?
昔のままの姿だったら‘男’にはひと目でるいだと分かってしまう。
‘男’の認識を曖昧に書いているのは、秘められた過去の重さを劇的に見せるため。
るいと‘男’の再会は意図せぬ偶然、でなければ物語の衝撃度が薄くなる。
作家がこういう仕掛けをしている以上、‘男’は例の事件の当事者ということになる。

また、時間の残酷さ、長さが浮き出て、るいが人生の終盤にいることが分かる。
7歳から50歳までの女の一代記といったスケールの大きさが航海のイメージと重なる。

■るいはいつから肥ったのか?
‘綱に脚をとられて肋骨を折り退職した、その入院がキッカケ’
‘クルーズではやることがないから船に乗っていると肥っちゃう’という体験談。
そこから思いがけない解釈が。
‘そもそも、肥って動きがもたつくようになったせいで綱にひっかかったんじゃ?’
今回一番の爆笑ポイント。


【役づくりのコツ】
ブロック2は比較的難しい解釈を必要としないため、表現方法の具体についても
突っ込んだ講座内容になった。

・台詞は「サンドイッチ」で表現する
・きれいに読もうとする自意識を捨てないと役の心情は伝わらない
・自分の解釈に固執しないこと、反面、仮説はしっかり追うこと

また、このホンは想像以上に笑えるポイントがたくさんあることも発見。
それも表現の仕方如何で、活かされもすれば殺がれもする。
笑いは人間が求める感動の最たるものの1つ、積極的に拾って表現するべき。



---------

今回は男性にもるい役を読んでもらったのですが、男性が読む女性役には独特の
あたたかみやまろやかさが出て面白いですね。

むしろよっぽど女性らしさを感じられたりもして(笑)
女優がしぐさを学ぶなら女形から盗むのが一番だと、常々私は思ってきましたが、
それに近いものを感じます。

すでに読みだけでは飽き足らず、実際に動いて演じたいなんてご要望も上りつつ、
次回は『顔』の一番目のクライマックスシーンへと入っていきます。

おとなしそうに見えてこの物語、演ずるには思う以上の熱量が必要だということが、
次回でわかるかナ。
男性役にとっても、実は核になるシーンですからね、次回は逃せないブロックです。

自分を傷つけた男を恋しがるなんて反転が、女心には本当に起こりうるものなのか。
『顔』とは何を意味するものなのか。

そんなあたりを予習しておいていただければと思います。






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2015年09月23日

ブロック1:読み解きノート

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海浜の寂れたホテル。

訪れたのは、男(45,6)と女(28,9)。

男は苦学生あがりの役人とでも言いたい風貌。
女は素人風をした商売女、と言えば言える感じ。
二人は夫婦のようにも、夫婦でないようにも見える。

先客は、土屋園子(38,9)と京野精一(21)。

園子は、現代風の好みを利かせた洒落た和服姿の、歌を詠んでいるらしい女。
東京の本宅に息子を残して、このホテルの常連になっている。
京野は子爵家の御曹司、体が悪いということで静養に来ている。
二人とも長逗留している組だが、まだ話したことはない。

ホテルには女中頭のるい(50)がいる。

この物語の登場人物は5人。
舞台はだだっ広い日光室。
正面に大きな窓、右手に客室へ上る階段と蓄音機、左に外へ出る扉と窓。


【ホテルに滞在できる人々】
現代とは違って圧倒的な格差があった時代。
ホテルに長逗留できるような人種はそう多くはなかった。
この物語の登場人物はみな裕福、労働者はるい一人。


【男について】
■前身は火夫(かふ・船のボイラーマン)
―― 広野八郎日記より(昭和3年から四年間、火夫見習いとして秋田丸に乗船) ――
「船員たちの生活が如何に惨めで,放縦で捨て鉢なものかという事を痛感しないではおれない.
航海中汗にまみれ,真っ黒になって働いた其の報酬は,全部遊廓か船員相手の飲み屋,カフェーか
淫売屋,そうした享楽と本能欲のために,子供が花でもむしって散らかすように消費してしまうのだ.
そして貰った給料のみかナンバン(火夫長)から,驚くなかれ月1割5分というとても陸では想像も
つかない高利の金を借りて使うのである.
しかし,そうした気持ちになる彼等の心理がわかるようにも思う.日頃の満たされぬ惨めな生活を
癒してくれるのは,油と石炭の粉に汚れた身体を抱き,石のように固くなった手を握ってくれる女と,
苦しい労働も疲れた身体も海上の暴風雨も忘れさせ,麻痺させてしまう酒とよりほかに何があろう.」
火夫は最下層労働者。日当制。

■現在は税関吏(役人)に出世している
転勤がつきもの。現代でも函館・東京・横浜・名古屋・大阪・神戸・門司・長崎の8港に本部がある。
キャリア組は2,3年に一度の割合で財務省や全国の税関、海外勤務とさまざまな場所への異動がある。
女の台詞「あなたってどうしてそう方々をお歩きになったの?」はこの職業に対応。

■女はまだ男の生活のこまかいところを知らない。
夫婦?になって半年か、長くても1年ぐらいだろうというのが大方の受講生の意見。

■男はたぶん初婚。
この地位まで上り詰めるのに必死でやっと結婚する余裕ができた。
若い頃の三國連太郎や吉田鋼太郎のような肉体が説得力を持つ昭和の男のイメージ。


【女のキャラクターについて】
腹にあることをぜんぶ言う女。
それを無教養ゆえととるかお嬢さまととるか
(総理令嬢でも田中真紀子みたいな人もいるし)

‘素人風の商売女’とはどういう人物なのか?
男の台詞「おまえはまたどうしてそう何処も彼処も知らないんだ?」から、
女が狭い世界しか知らないことが解かる、これがポイント。

■男の家の女中だった
田舎から出てきて玉の輿に乗れて夫にふさわしくなろうと頑張っている。
化粧も頑張りすぎてケバくなり、それが商売女に見えるという説が出て座内爆笑。

■カフェの女給
もっともスンナリ入る解釈。
世間知には長けているはずだが稼ぐのに必死で旅行などもしたことがない。

※女中説も女給説も、やっとここまでになった男が選ぶ女なのか?
ということに疑問あり。

■上司、あるいは仕事関係の相手の娘
28,9は今でいうアラフォー。
(当時の精神年齢と人生のスピードは現代の10歳増しぐらい)
10年も行き遅れているということは、女は出戻りかも。
叩き上げの男ならもらってくれるということから世話された話なのでは?

※どの説も決定打としては弱含み。
逆に言えば、女は役者によっていかようにでも演じられる役だということ。
女の前身によって男の人間性が決まるため、配役のポイントが高い。

※女は登場人物中でもっとも健全に見える、一人だけ異質。


【京野精一について】
■療養という名目で逗留しているが、実際は病気ではなさそう
ex.煙草を吸う/酒を飲む

■子爵家の体面にかかわる何かをしでかして、家から遠ざけられているのでは?
ほとぼりが冷めるまでという感じで隔離されている?
「お邸のかたがしょっちゅうみえる」のはチェックに来ているのでは。
海浜のホテルということは街から離れた、人もめったに見かけないようなところ。

■本人の指向と家格にズレがあり、鬱屈を抱えている感じ
ex.「賑やかなことがお好きそうでいらっしゃる」/レコードをジャズに変えさせる
‘精一’という名は長男の証、昔は「一」の字は嫡男にしか付けなかった。
名家の御曹司としての苦しみがありそう。

■ひと回り以上年上の園子に接近するあたり、女慣れした放蕩息子っぽい

■美形であるのは間違いない
染谷将太、高良健吾などの名前があがりつつ、綾野剛で悲鳴が、、(笑)


【土屋園子について】
自分のことを語らない謎の多い人物。
夫は勤めていて息子もいるのに、ほとんど東京の家に帰っていないのはなぜか?

■園子が坊やと呼ぶ息子の年齢はいくつぐらいか?
「ああいうの(京野)のようにさえなってくれなければ」というつぶやきから、
15,6歳という説と、「坊や」の語感から5歳ぐらいという説に分かれる。
5歳児ならなおのこと、それを置いて旅暮らしをしている立場が理解できない。

■夫が妾宅に入り浸り?
でもそれではむしろ子供と結託して家にいそう。
■園子本人がおめかけさん? 子供だけ本宅に取られた?
が、妾なら旦那がいつ来てもいいように家から出られないはず。

■「ああいうのにさえなってくれなければ」
実はこれは息子ではなく、年の離れた弟のことなのでは?
この台詞は京野と実際に話す前に口にしている、
ということは園子は京野という人物を知っていたことになる。

京野の「小倉三郎君のお姉さんでは?」という発言のほうが真実なのでは?

■ひょっとして、園子の話すことはすべて作り話?
旅先でならいくらでも自分を偽れるし、プライバシーを明かすには抵抗もある。
子爵の御曹司という京野に対して、「と、称してるんじゃなくて?」と、
この切り替えしの速さが異質、それは自分もそうだからすぐこう反応したのでは?

■もしかすると園子も家から追われた身なのでは?
「人を気狂いにしてしまうっていうのは便利ですわね」という発言をしている。
歌を詠む芸術家肌な側面が理解されず、あるいは教養が勝りすぎていて、
婚家から疎まれて気狂いあつかいされ、経済的保障だけされて追い出された?


【あの夜の出来事について】
■男はこのホテルに来た初めから、るいがあの女だと気づいた
■男はこのホテルは二度目、るいのことを確かめにきたのでは?
そんな折に女房づれでくるだろうかという疑問も出る。

■男にとってもるいは初めての女だったのでは?
火夫をしながら船蔵で英語の勉強をしていた21歳が女遊びをしているとは思えず。
他の女性乗組員には興味がなかったのに、るいの名だけはずっと忘れなかった。

■この男はあのときの火夫とは別人なのでは?
とするなら「あの女は昔の俺に、火夫の俺に会いたかったと言うよ」とは?
この男には珍しい唯一の叙情的な台詞、岸田がこれを書いた意味はどうとる?

■最大の疑問は、るいが自分の年齢を把握していないこと
ト書きには明確に50歳とあるのに数行先で現在55歳ぐらいと自己紹介している。
ロマンスの昔がたりの中でもるいは年齢を4つぐらい上方修正している。

※二度も出てくるということはここには何か意味があるはず。

■るいのロマンスも作り話なのでは?
現実はもっと味気なくあっさりしたものだというアイロニーがテーマ?
るいは、では、本当におかしくなっているということなのだろうか?



---------

落としているところがたくさんありそうですが、ひとまずのまとめということで。
何か気づいたらコメントしてください。

謎解きの答えがさらなる謎を呼ぶ、刺激的な時間でした。
人が考えていることって面白いですよね〜、
みんな真剣にやってるんですけどしょっちゅう爆笑がおきる若々しい教室です。
(笑)

さてさて、今週はぐっと核心に迫っていくことになりますが、どうなりますか。
CDに焼きましたので、次回はタンゴの音色から始めましょう♪









posted by RYOKO at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 『顔』を読む! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月21日

二つ目の港はパッショネイト!

kao05.jpg

本読み教室第二回が終了しました。

この『顔』という戯曲にはト書きによくタンゴが出てくるので、
頭の中はすっかりそんな風景に。

主人公のるいは、ホテルの日光室の蓄音機でレコードの番をするのも仕事のうち。

過ぎし日に乗っていた客船でよくかかっていたのかもしれません、
彼女はいつも目を瞑って、同じタンゴに飽きもせず聴き入っているんですよね。

昭和7年の欧米航路なら、かかっていたのはコンチネンタルのほうかもだけど、
いいなあと思った編成のピアソラの曲をみつけたので、張ってみる♪


タンゴのリズムを聴くと、あの独特の脚さばきが浮かんできます。

それはさながら、この『顔』に出てくる5人の男女の運命の絡み合いのようで…
るいは目を閉じて、何を思い出していたんでしょうね。


二回目の教室も、ある意味タンゴのごとくでしたヨ。
ハァッ!と驚くような解釈が、まあー出るわ出るわ!(笑)

みなさん敢然とおうち読解を進めていらした成果が、
さっそくあふれ出たのですネ。

一人で考えていては到底発想できない鋭い説がいくつも立ち上がってきて、
土曜の夜クラスなどでは、
このホン、思った以上のとんでもなくミステリアスな物語なのかも!と、
興奮のるつぼに。(笑)

ひとつのホンを大勢で解釈する楽しさ、素晴らしさは、
こういうところにあるのです。

前の日まで見も知らなかった人々と、真剣に、
こんなディープなディスカッションを繰り広げるのですから、
思えばかなりユニークな場ですよね。

自分がどんな人間か、人はどれだけ違うことを考えているのか、
つぶさに体験することになる。

物語の謎解きの旅は、おのずと自分に出会う旅ともなっていくのです。


次のクラスでは、タンゴを聴いてみるのもよいかもしれませんね。

岸田國士がわざわざ書いているのですから、
『顔』の世界観は、あの情熱的でセクシーなせつないムードで彩られている、
ということでしょう。

そうね、るいは意外にも、ホテルにやってくる人生たちを、
こんなにゴージャスな陰影深い大人のまなざしで眺めているのかもしれません。

上に貼り付けたYouTubeを飛ばした人、さあさあ、お聴きになってみて。(笑)



うれしいことに、今日になってまた新しいご応募がありました。
ありがとうございます。
青空文庫で読めるので、旅には十分に間に合います。

ようそろう。
天気晴朗にして波高し。

白い航跡もあざやかに、船は紺碧の海原を快走中です。






posted by RYOKO at 00:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 『顔』を読む! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする